Ⅴ ヴァルプルギスの夜②
『殺せ……殺せ……引き金を引くのだ』
声は止まなかった。
それでも私は、力の限り走った。
思いもよらない恐怖から、少しでもこの身を遠ざけるため。
Ⅴ ヴァルプルギスの夜②
『殺せ……殺せ……引き金を引くのだ』
声は止まなかった。
それでも私は、力の限り走った。
思いもよらない恐怖から、少しでもこの身を遠ざけるため。
……俺は、一体……
どこをどう走ったのかは覚えていない。
気がつくと私は、自らのアパートメントの前にいた。
そこには、同じアパートメントに住むウィルバーの姿もあった。
ちょうどウィルバーもここへ辿り着いたばかりのようだ。
私の顔を認めると、ウィルバーは驚いたような顔をした。
『殺せ……殺せ……殺せ……』
声は脳内で、歌うように響き続ける。
私はその邪悪な声を無視し、ウィルバーに声をかけた。
良かった、逃げ切れたんだな
ウィルバーは心の底から安心した様子で微笑み、その白い歯を私に向けた。
ああ、お互い、逃げ切れてよかったな
私もウィルバーの顔を見て、顔の筋肉を緩めた。
しかしそれが、理性をもって私が行った最後の行為となった。
『殺せ……殺せ……殺せ……』
声がまるで教会の鐘の音のように、頭の中で共鳴する。
少しずつ大きくなりながら、繰り返し繰り返し、響いていく。
気がつくと私は、その声に自分自身を乗っ取られていた。
懐から護身用の拳銃を取り出し、ウィルバーへ銃口を向けていた。
夢見るような陶酔感と鮮やかな覚醒が、私の精神を支配していた。
『引き金を、引け。引くのだ』
私の頭に棲みついた悪霊は、たしかにそう囁いたのだ。
そして当然ながら、その声に逆らう術など、私は持ち合わせていなかった――。
その先に起こったことについて、私がここで言及することはない。
すべてはそう、誰にも知られず闇に葬り去ることが出来たのだから――。