第 2話 開始の合図
第 2話 開始の合図
宝来雅史(ほうらいまさし)は焦っていた。
婚約者の月野美良(つきのみら)が、自分を置いて北関東にある村に、一人で取材に行ったのは知っていたが、その後の行方が分からなくなっているのだ。もう一週間も連絡が付かない。自分だけでは無く家族や友人たちとも連絡が無いそうだ。
取材そのものは旨くこなして、一旦自宅に戻っているのだが、大学の帰りに雅史宛てにメールを送ったのが最後になっている。
『相談したい事がある』
そんな内容のメールだったが、肝心の相談内容が書かれていなかった。それを最後に彼女と連絡が取れなくなっているのだ。携帯に電話するも”電源を切っているか、電波の届かない所に居る”のアナウンスが繰り返されるばかりで要として繋がらない。メールを送っても返事が返って来なかった。
美良の父親であり、自分の高校時代の恩師でもある月野恭三(つきのきょうぞう)にも聞かれたが、美良と喧嘩などのいざこざは起こしていない。
生来のめんどくさがりの自分と違って、美良は父親に似て結構まじめな性格だ。家族にも自分にも何も言わずに姿を消すなど考えられない。美良の父親と相談した結果、警察に捜索願を出す事にしたが、これといって手懸かりが無い状態になっている。唯一、分かったのが帰宅の為に電車に乗った事と、なぜか美良の車が無くなっている事だ。彼女が行方不明になったと思われる日はガレージにあったと母親が証言していた。
美良が行方不明になる前に取材に行った村に電話をかけてみたが、村から帰った後で美良が尋ねて来た様子は無いとの事。狭い村なので目立ちやすい若い娘がうろついていたら直ぐに判るとも言っていた。何か協力できることがあったら何でも相談してくれとも言ってくれていた。
そこで雅史は一度村を尋ねてみる事にした。現地に行かないと美良が何に巻き込まれたのかが分からないからだ。美良が卒業論文のテーマは”失われつつある農村の風習”。それを助言をしたのは自分だ。
「やはり、一緒に行くべきだったのか……」
雅史は後悔していた。近場と言う事もあり、安心していたし無事に帰って来れたようなので、何事も無かったのだろうと油断していたのだ。しかし、村に行った事で、何かの事件に関わったとは思えなかった。雅史は村にまつわる事件などの面からインターネットで下調べをする事にした。
美良が取材に行った村の名前は『霧湧村(むわきむら)』。小さな村で全住人を合わせても百人 くらいが住んでいるらしい。増毛山と美葉山に挟まれた谷を中心として狭い平地が点在しており、 そこに村人たちの家が密集して建ってた。その村の中心から少し離れたところ、山の斜面の途中に寺があり、増毛山の頂付近に神社があった。
寺は村が飢饉に陥った時に、即身仏となって雨乞い祈願を行った僧侶を祀る為に建立されたらしい。神社は寺よりも古いらしいが具体的な事は書かれていない、”関東圏内の神社から飛びたった使いの鳥が、出雲大社に行く途中で、羽を休める為に建てられた”との逸話が書かれていた。
更に詳しくネットを使って下調べをしてみた所。霧湧村にはいくつかの都市伝説が流されていることが判明した。
『霧湧トンネルを抜けた近くに、日本の法治が及ばない恐ろしい集落『黒霧湧』があり、 そこに立ち入ったものは生きては戻れない』
という如何にもな都市伝説だった。霧湧トンネルは村の入り口にあたる部分にあり、地図で見た限りではどうって事の無い普通の生活トンネルだ。
この都市伝説に関しては諸説が色々と書いてあった。元々、山間で狩猟を生活の糧としてきた村人たちは、江戸時代以前より激しい差別を受けてきたために、霧湧集落は外部との交流を一切拒み、自給自足の生活をしていた。または、流行りの不治の病が流行した時に、村人を閉じ込めて棄てられた村である為、下界の人々を嫌っていたともある。人里から隔離されたような場所にあるので、近親交配が続いて血が穢れているとされて、交流を近隣の村から拒絶されたともある。
ただ、これらの都市伝説については根も葉もない噂話であるとも書かれていた。霧湧は江戸時代中期、元禄四年以前に沼馬藩庁が城下の地行町に居住していた鉄砲足軽に移住を命じ成立させた村落であり、激しい差別を受けていた等の事実はない。また、毛皮や山菜、砂金などの交易を通じて霧湧村と近隣の村は良好な関係にあったとも書かれていた。それと腕の良い陶器職人がいたらしく、皿・茶碗や徳利などの出土品が見つかっている。
雅史は”なぜ、こんな都市伝説が流されているのか?”と、その背景の方が気になった。
雅史は夜になって美良の実家を訪ねた。今後の方針を決める為だ。誰もが同じことをしていても無駄になるからだ。美良の実家は両親と美良と姫星の姉妹で四人家族だ。両親ともに教師をしており、妹の姫星(きら)はまだ高校生だった。
「ご無沙汰しております」
ご無沙汰と言っても先月来たばかりだ。一人暮らしの雅史の健康を気遣って、美良の母親が定期的に夕食に招いてくれるのだ。非常に美味しい料理と”んっ?”となる料理があるが、後者が美良の手作り料理である事は明白だった。時々、明らかに料理の次元を超えた物が出て来るが、それは妹の月野姫星(つきのきら)特製手料理であろう。
「学会が近いのに済まないね。 まったく、美良はどこをほっつき歩いているんだか……」
自分の恩師でもある父親が憔悴したように言ってきた。碌に睡眠を取ってないのか目の下に隈を作っていた。
「いえ、自分は大丈夫です。 先生こそ大丈夫ですか?」
雅史は相手を気遣いつつも、お茶を持って来てくれた母親に軽く頭を下げて、鞄の中からいくつかの記事を印刷したものを取り出した。
「実は地方新聞の記事を見ていて気が付いたのですが、美良さんが尋ねた神社や寺には泥棒が入っていたようですね」
雅史は美良が村に行く何日か前に、神社と寺に泥棒が入ったとの記事を見つけていた。大した被害は無かったらしいが、詳細は不明だった。この件は村に行って直接聞いてみる事にしている。問い合わせても弁護士ならいざ知らず、民間人に教えてなどはくれないのは解っていたからだ。
「…… その泥棒たちと何か問題を起こしたのか?」
美良の父親は、そんな疑念が湧き上がって来たように聞いて来た。隣に座って居る母親も同じようだった。
「でも、それだったらメールじゃなくて電話寄越すだろうし、親父さんに相談しますよね?」
雅史は自分にはそんな事は何も言ってなかった。
「あっ、そういえば……」
姫星が雅史の話を聞いていて思い出したように言った。
「おねぇが村から帰って来た時に、そんな事を言ってたよ」
いつもの雑談だと思っていたので聞き流していたそうだ。
「何でも泥棒が神社の本殿に入って、金目のものが無かったのに腹を立てた連中が、中の物を壊して回って村の人が困っていたらしいと言っていた」
姫星は行方不明になる前に姉と交わした会話を思い出していた。
「でも、おねぇ自身が何かに困っている風じゃなかったよ?」
姫星が続けて答えた。
「あの日も、大学に行く時は普段と変わらずに出かけていったからねぇ」
今度は母親が答える。美良の家族は羨ましいぐらいに仲が良い。
「じゃあ、泥棒にどうこうされている訳では無いみたいですね」
雅史が姫星と美良の会話を聞きながら答えた。泥棒の一味に捕らえられているのではないかとの懸念があったのだ。
「どっちにしろ無断で出かけるような娘では無い。 それで雅史君は、その何とかって村には行って来るのかね?」
父親が雅史に尋ねる。出来れば自分も行きたいそうだが、学期末という事もあって今が一番忙しいのだそうだ。
「はい、これから出かけて明日にでも現地調査してみようかと、何かしら手懸かりが有るものと考えています」
雅史は仕事が一段落しているので、ある程度には自由が効く、何かしらの手掛かりがないと探しようが無いので、村に行ってみようかと相談に来たのだ。
「あたしも行くーーーっ!」
話を大人しく聞いていた姫星が両手を挙げて言い出した。
「雅史君は遊びに行くんじゃないんだから、お前は家で大人しくしていなさい」
父親に叱られてしまう姫星。
「…… ぶぅーーーっ ……」
予想していたとはいえ、姫星は一方的な物言いに不貞腐れて、クッションを抱え込んでしまった。
「何でも良いから見つけて来てくれ、この通り頼む……」
「はい、御期待に添える様に頑張ります」
婚約者の父に頭を下げられた雅史は、自分も一緒になって頭を下げていた。
雅史はインターネットで別の都市伝説も読んでいた。霧湧村は閉鎖的も閉鎖的で祭りには絶対に部外者を招待しない、一説では人喰いの風習があるらしいとの眉唾な噂もあり、もう少し詳しく調べてみる必要があるとも感じていた。
日本全国各地に俗に『パワースポット』と呼ばれる地脈の集結点や、大地の『気』の湧出点があり、そこを巡る旅行が流行っているが、村にもそういう場所があるらしい。但し、村にあるのは『ダウンスポット』と呼ばれる物だ。『パワースポット』は自然エネルギーを大地から放出するが、『ダウンスポット』は逆に持って行くのだそうだ。『パワースポット』事態なんだか胡散臭いが、『ダウンスポット』の存在があるのなら見てみたい衝動に駆られていた。
それに自然エネルギーという考え方も、ちょっと目新しかったのだ。すべての生き物の生命は自然エネルギーの集合体であり、豊穣の実りは自然エネルギーが移動した結果に過ぎないという考え方らしい。村に行けば、もう少しまとまった考えが聞けるのかもしれない。
そんな事を考えながら車を霧湧村に向けて走らせていた。途中の高速のサービスエリアで、飲み物を買おうかと停車した。すると妙に車の後ろが騒がしい。もちろん、一人で来ているので後部座席には誰も座っていない。
”ドンドンドン……ドン…… みゃぁみゃぁみゃぁ……”
どうやら車のトランクの中から何かが聞こえる。猫か何かがトランクの内側で鳴いている感じだ。トランクの中には交換用のタイヤぐらいしか入ってないはずだ。だが雅史は嫌な予感がした。
雅史はトランクを恐る恐る開けてみると、”ポンッ”という感じで姫星が飛び出て来た。そして目に涙を浮かべながら言った。
「お…… お…… おトイレぇ~~~」
「 あぁぁ、やっぱり…… 」
雅史は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。そして、そのままサービスエリアのトイレの方角を指差した。姫星はそのままパタパタとサービスエリアのトイレに走って行った。姫星は車のトランクに隠れて、美良の捜索に加わる事にしたのだった。
「今から…… 姫星ちゃんを家に届ける訳には行かないか……」
腕時計を見ると夜中を回っている。一旦、送り届けてもう一度来るとなると朝方になってしまう。美良の探索に休日を充てたかった雅史は、無理をして徹夜で仕事を片付けていてヘトヘトになっていた。どうやって車のトランクに入ったのかとか、質問は色々とあったが姫星を連れて行く事にするべく家に電話する事にしたのだった。
雅史は携帯電話で月野恭三に電話をかけた。家族が心配していると拙いし、知らなかったとは言え、未成年者を連れまわすのは色々とうるさいご時世だ。
『家に居ないのでまさかと思ったが…… やはり、付いて行ったのか……』
月野恭三は予測していたように電話口で呟いていた。
「はい。 トランクの中に入っていました」
そう、雅史が言った。
『…… はぁ ……』
恭三は深いため息を付いた。すぐそばに母親もいるらしく、同じようにため息を付いている。夫婦で脱力している様は目に浮かぶようだった。
「これから迎えに来られますか?」
雅史は電話で聞いてみた。出来れば迎えに来てほしいとも願っていたのだ。
『私は生徒の成績表を付けなければならないから無理だ。 女房は残念ながら免許を持っていないんだよ』
雅史の儚い願いは打ち砕かれた。
「自分も仕事の都合がありますので、これから戻るのでは時間が掛かり過ぎてしまいます」
美良が心配なのは変わりないが、日常の生活が優先されしまうのは致し方ない事だ。仕事をしないとご飯が食べられない。
「それでは明日にでも、村までお母さんが迎えに来ていただく、と言うのはどうでしょうか?」
そこで雅史は代案を出してみた。
『そうだな、その辺が落としどころか、それまでは済まないが姫星の事を宜しく頼むよ』
雅史の事を信頼してくれているのか、それとも行方不明の娘が心配なのか、姫星の外泊になってしまうのに気にしていない様な返答だった。
「はい、分かりました」
姫星の事が嫌いなのでは無いが、余計な気遣いをする事になるので、面倒事が増えてしまったと雅史は嘆きたかった。
『くれぐれも間違いを起こさないように…… いいね?』
大魔神が喋っているような余韻を残しつつ恭三は言った。
「あ、はい。 それは大丈夫です。 ご安心ください」
もちろん、雅史には間違いを起こすつもりはない。美良にバレたら自分の身が危ない。そっちの方がとても怖いからだ。
『帰って来たら姫星は叱っておく、姉妹で迷惑を掛けてしまって気が引けるが宜しくお願いします』
なんだかんだ言いながらも雅史の事は信用しているらしい。雅史は通話を切った。そこにパタパタと姫星が戻って来た。
「後で説教が待ってるそうだ」
雅史は父親に渋々と捜索の旅への同行を許されたと姫星告げた。姫星は”ホッ”とため息を付いて車の助手席に収まった。
「三ツ星の高級ホテルがいいなあ~」
雅史の気疲れを他所に、姫星は呑気に喋っていた。車の助手席で髪を弄りながら足をぱたぱたさせている。
「あの村は観光地じゃないんだから民宿すらないよ。 今回も村の役場の人の好意で泊めて貰えるんだから、我儘は言っては駄目だからね」
そう言うと雅史はカーナビをチェックして車を走らせ始めた。
こうして、姫星は雅史の旅に同行する事に成功したようだった。