第 3話 都市伝説

霧湧村(むわきむら)の入り口。

 北関東と言っても広い。場所としては群馬と新潟の県境辺り、赤城山よりも奥の方といった感じだ。車で進めて行くと道がどんどん狭くなってきて、舗装された道路が無くなり、やがて電信柱も無くなり、どんどん山奥の方に入っていく。 更に目的地の霧湧村に行く為には、狭いトンネルを抜けなければならないらしい。
 目指している霧湧村は東西南北を山に囲まれていた。東に増毛山、西に美葉山、その峰と峰を繋ぐように稜線が伸びている。増毛山からは増毛川、美葉山からは美葉川が流れ出ている。川といっても幅が一メートルしかない小川だ。その二つの小川は、村の中央付近で合流し、霧湧川となって北に流れている。川はやがて信濃川と合流するのだそうだ。その霧湧川には、北側の稜線を分ける険しい渓谷があって、それに沿って遠鳴市まで延びるバイパスが、現在の村への出入り口だ。
 霧湧トンネルは村の南西側に有り、バイパスが出きるまでの唯一の出入り口だったらしい。他には獣道のような山道が在るだけだった。

「郵便配達とか新聞配達とか大変だったろうな……」
 雅史はそんな事を考えながら運転していた。車の場合はバイパスを通れば村に早く到着するのだが、今回は敢えて霧湧トンネルを通る事にしている。美良が何故にトンネルを通過する事にしたのかを確かめる為だ。カーナビのアップデートが間に合わず、バイパスが開通しているのを知らなかった可能性もある。あるいはパッと地図を見て、トンネルを通った方が早いと誤解していた可能性もある。
「それにして、よくもまあ…… こんな田舎の祭りを見つけたもんだな…… 美良は……」
 宝来雅史はそんな独り言を呟きながら車を運転していた。車は大学生時代から使っているクラウンだ。もちろん中古で購入したもので、かなりの距離を乗り回してるが、まだまだ現役で十分使える。元々、車に拘りが有る訳では無い雅史には、動けばそれで良しとする考えが有る。
 夜中という事もあるが、ここ一時間程対向車とすれ違っていない。車のヘッドライトすら吸い込まれるような暗闇の中を走っていた。
 すると車のヘッドライトの中にトンネルの入り口が浮かび上がり、同時にトンネル入り口の横に古びた看板があるのに気が付いた。白地に黒で書かれていたらしい看板は、今は所々が剥げて灰色に変色していた。


 月野美良から来たメールでは何も書かれていなかったが、その看板には『白の信徒は迂回してください』と書かれていた。
「白の信徒ってなんだ?」
 雅史は車をトンネルの入り口に止めて考えた。こういう取材で気を付けなければならないのは宗教だった。うっかり対立する宗派の話題を出すと、相手がヘソを曲げて協力してくれなくなってしまうからだった。だから宗教がらみの話題は口にしないようにしている。
「どちらにしろ、他の信仰を受け入れないんじゃ、普通の信仰じゃ無さそうだな……」
 村社会において、自分たちが認知できない物を拒む習性が根強いのは良くある事だ。自分たちと同質の物だけを選別して多様性を拒む、そうしないと狭い村社会では平和を保てないのだろう。だが、それが村の閉鎖性を産みだし、その息苦しさに嫌気が差した若者は村を出て行く、村は益々多様性を失って新しい物を拒む…… 悪循環が終わらないのだ。
『なんだか、めんどくさそうな村だな……』
 いきなり暗雲が漂う気配を雅史は感じていた。とりあえず、気を付ける事にして車を先に進めた。日付が変わる前に宿泊先の村役場職員の自宅に辿り着きたかったからだ。
「あっ、たぬきが草の間から顔を出したぁー かわいー」
 雅史の心配をよそに、月野姫星は呑気に手を叩いてはしゃいでいた。

 雅史は動きやすいようにハンチング帽に上下カーキ色のジャケットとパンツを着ている。目立たないように行動したかったのだ。着替えなども三日分程持って来ている。
 一方の姫星の格好。黒を基調としたゴスロリ服だ。汚らしく茶色に染めて無い黒く長い髪に、黒に白のフレアを付けたカチューシャが似合っていて可愛いのは良いのだが、これから行く山間の村の風景にはかなり違和感がある。
「ねぇ、姫星ちゃんさあ…… 着替えとか他の服は持って来て無いの?」
 雅史はトランクに居た姫星を見つけた時に、荷物を一つも持ってなかったのを思い出した。
「ん? 無いよ??」
 聞かれた姫星はキョトンとして返事をした。どうやら、いきなり思いついての行動らしかった。
「いざとなったら宝来さんが、近場のショッピングセンターにでも連れて行ってね」
 姫星はニッコリと微笑んで雅史を見返した。
”荷物が無いという事は…… 財布も俺なのか?! そうなのかぁ!!”
 自分の財布の中身が、自分の物で無くなった瞬間を感じた雅史であった。


 到着した時は夜中過ぎだった。田舎なので当然寝ていると思っていたのだが、連絡して置いたお蔭か灯りを付けて待っていてくれた。
 民宿と言っても正式な物では無く、美良が尋ねて来てた時に、村の中を案内してくれた山形誠の家に泊まるのだ。雅史が電話して一度訪ねたいと言った時に快く承諾してくれた。何しろ目玉になるような観光産業が無いのでホテルはおろか民宿すらないそうだ。
「ども、夜分遅くにすいません。 仕事をなるべく早く切り上げて来たんですが、伺う前に月野美良さんの実家に寄らなければいけなかった物ですから……」
 雅史が頭を下げると、横に居た姫星も頭を下げた。
「いえいえ、事情は聞いておりますから一向に構いませんよ。 こちらが先日いらした方の妹さんですか、いやあ、お姉さんにそっくりのべっぴんさんですね」
 誠はニコニコしながら挨拶した。べっぴんさんと言われて姫星も釣られてニコニコしていた。
「あいにくと客間はひとつしか無いんで、姫星さんは家の妹の部屋を使うと良いですよ。 東京の学校に行ってるんで、今は留守にしていますからね」
 その家は誠の他には誠の父母しか居らず、広い割には部屋が空いているのだそうだ。
「はい、急に無理なお願いしてすいません」
 その後、応接間に通された雅史は、山形の両親に挨拶して何日か泊まる事の御礼を言った。
「長旅でお疲れでしょうから、お風呂に入って疲れを癒してくださいね」
 山形の母親がタオルを差し出してくれた。急な来訪にも関わらずに親切な一家だ。
「わーい」
 姫星は喜んでタオルを受け取り、そのまま風呂場に直行して行った。着替えは雅史のスウェットだ。大きくてブカブカになるだろうが仕方があるまい。


 雅史は姫星が風呂に入っている間に、美良が村に来てからの足取りを調査をする事にした。姫星に聞かせたくない事もあるので有難い配慮だった。
「当日の美良の足取りを教えていただけたら幸いです」
 客間に案内された雅史は、誠を前にして早速本題に入った。
「あの日は朝の十時前後にいらしたと思います。 最初に神社に行ってからお寺を回って、そのままお帰りに為られました」
 誠が簡単に答えた。村の中をあちらこちら見て回らなかったらしい。
「神社に泥棒が盗みに入ったと聞いていたのですが……」
 雅史が尋ねる。
「ええ、美良さんがいらっしゃる三日程前ですけどね、でも泥棒は当日に警察が捕まえていますよ?」
 誠が村の広報誌を取り出して来て答えた。窃盗事件など何年も起きていなかったので珍しかったらしい。広報誌に詳細に書かれていた。
「じゃあ、泥棒とは直接には接触はしていないのですね?」
 一番の懸案だった質問だ。泥棒に脅迫されて連れ出された可能性を心配していたのだ。
「ええ、美良さんが尋ねていらした頃には、隣町の警察署に勾留されておりましたから無理ですね」
 誠が広報誌を示しながら答えた。それでも尋問の時に質問にしてくれるように、警察に掛け合ってくれると約束した。

「そういえばインターネットで、この村の噂話を見たのですが……」
 雅史はネットで読んだ、村にまつわる都市伝説の事を聞いてみた。
「あっはっはっは、そんな噂は村では見た事も聞いた事も無いですよ」
 誠は笑いながら否定した。
「すいません。 まあ、インターネットの噂というのは、根も葉もない事が多いですからね」
 雅史は無礼を詫びながら言い訳を言って見る。
「こちらが反論しないのをかさに着て、いい加減な話をしているんでしょ。 ほっといても良いですよ。 どうせ何も出来ない人達ですから」
 いくら田舎とは言え、インターネットぐらい出来るので、噂話の事は知っていたらしい。しかし、下手に返答して炎上しても、益が無いので放置しているのだそうだ。


 誠は一冊の冊子を取りだして来た。
「先生がいらっしゃる聞いて、村の長老から郷土史を借りてきました。 ご参考までにどうぞお読みください」
 最初のページに粗筋みたいにまとめられている概略が載っていた。
 それによると、霧湧村は江戸時代の初期に入植地とされたそうだ。それまでは猟人や修行僧ぐらいしか住み着いていなかったらしい。最初は酷い土地だったと、寺の人頭帖に書かれている。江戸の中頃まで碌に作物が育たず、村は極貧で飢饉に苦しめられていたとも書かれている。
 そして、食べるのに困った親たちが、子供たちを連れて行く森があった。村から山に入って少し離れたところだ。そこで親たちは子供を手に掛ける。絶命したら山に遺体を埋めて村に帰り、村の者たちに子供が神隠しに遭ったと触れ回る。村の者も事情は似たようなものなので、何も知らぬふりをして神隠しの噂だけが残った。昔はそういう悲しい出来事があったとも書かれている。
 ある時、旅の途中の坊さんにどうすれば良いのかを聞いた所。五穀豊穣を願うウテマガミ様を祀る儀式を教えられた。最初は旨くいったらしいのだが、ウテマガミ様の力が強すぎて村人が力に当てられてしまう…… つまり、発狂してしまう者が出てしまった。それで鬼門の方角に寺を建立して、力の強すぎる神様に対する結界としたらしい。
「中々、興味深い郷土史ですね…… これは、美良は読んでいるのでしょうか?」
 冊子から顔を上げた雅史は誠に尋ねた。
「いえ、美良さんはお持ちじゃないです。 村の長老の所に尋ねた時に、東京から学生さんが来たと話したら、こういう冊子があるから大学に送ってやれと頂いたのです」
 誠が冊子に付いている、村の地図を指差しながら答えた。
「村の長老と言うのは、何と言う方なのですか?」
 雅史は地図を見ながら尋ねた。
「伊藤力丸という、ちょっと頑固な爺さんですよ。 明日、時間があるようなら尋ねてみますか?」
 誠は欠伸をかみ殺す様に言っていた。もう、眠いらしい。
「はい、ぜひお願いします」
 雅史は頭を下げて頼んだ。


「それでは手間をお掛けして申し訳ありませんが、美良の足跡を地図に示して貰えると助かります」
 雅史は手元の地図を広げて見せた。
「それも良いですが、明日は一緒に回りましょう。 これも何かの縁ですから、何かお役に立てそうなことなら何でもどうぞ」
 誠は意外な提案をしてきた。もちろん、勝手が分からない土地を自力で回るよりも、地元の人間が案内してくれた方が何倍も心強い。
「役場の方は大丈夫ですか?」
 雅史は誠の仕事の心配をした。
「ええ、構いませんよ。 ただ朝は村役場に出なければなりませんので、午後から一緒に回りましょう」
 村の役場は午前中が忙しく、午後は暇なのだそうだ。上司に頼めば多少の融通は利くと言っていた。
「急な話で役場に迷惑かけても大丈夫なのでしょうか?」
 役所の仕組みは良く判らないが、急に人員が抜けても大丈夫なものだろうかと心配になったのだ。
「大学の先生を案内するといえば大丈夫。 田舎の人間は学者先生って単語に弱いもんですよ。 はっはっは」
 誠は豪快に笑いながら答えた。それを聞いて安心した雅史は礼を言ってから、睡眠を取る為に宛がわれた部屋に引っ込んだ。
”とりあえず、何か手掛かりを見つけなきゃな…… ったく、どこに行ったんだか……”
 先程の冊子を読みながらアレコレと思いを巡らした。
”村の人にも話を聞けると良いんだが……”

 そんな事を考えている内に雅史は眠りに付いてしまった。

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