駿河音耶は悩んでいた。
そもそも、兄の唐突な思い付きのために自分が兄の振りをしなければならないというのが事の発端である訳だが、それは運のせいにして流すつもりでいた。恵司という兄を持った自分が悪いわけだし、断る理由も見いだせなかったのが悪い。
だが、ここまで不運じゃなくてもいいだろう。
駿河音耶は悩んでいた。
そもそも、兄の唐突な思い付きのために自分が兄の振りをしなければならないというのが事の発端である訳だが、それは運のせいにして流すつもりでいた。恵司という兄を持った自分が悪いわけだし、断る理由も見いだせなかったのが悪い。
だが、ここまで不運じゃなくてもいいだろう。
あ、麻衣はこれにするのじゃ! スペシャル苺パフェ!
そんなに食べれるの?
当たり前なのじゃー。里香ちゃんも緋糸ちゃんも何でも頼むといいのじゃ! おっきい兄者のおごりなのじゃ!
い、いいのか!? 恵司、大丈夫なのか!?
ん……まぁ、大人の財力を舐めてもらっては困るな。可愛い麻衣達のためなら払っちゃうよ
恵司って、普段どんな喋り方だったか。
思えば元々見た目は同じで、喋り方で判別されていたような自分達だ、殊更に喋り方に気を配らなくては。そう思った音耶は必死に恵司の喋り方を思い出そうとするが、意識的に聞いているわけでもなかったのでどうしたらいいかが彼の中であまり明確化出来ない。その上、相手が実の妹を含む少女達である。ある意味でミスは許されるかもしれないが、口の堅さで言えば信用は薄い。何かあると怖いので、可能な限り隠しておくのが妥当だろう。
兄者は何にするのじゃ? 特盛チョコレートパフェ? それとも激甘バニラパフェ?
楽しそうにメニューを見ながら、音耶に笑いかける麻衣。音耶は甘いものがそこまで好きではないのだが、麻衣に悪気はない。何故なら、恵司は大の甘党だからである。確かに恵司だったらその二択を選ぶだろう。だが、音耶はその名前を聞くだけでも吐き気がする程度だ。
さて、どうするべきか。音耶は覚悟を決め、出来る限り恵司によく似た笑顔を作って言った。
バニラパフェ……にしよう、かな?
それは、恵司が高良と取引を交わしていた時。一人退屈そうに歩いていた音耶に訪れた悲劇である。
あ、恵司!
ランドセル姿の少女がこちらに向かって手を振る。一瞬逃げようかとも思ってしまったが、いまさら何を言っているのかと小さく頭を振って彼女へと歩み寄る。
緋糸ちゃんか。こんにちは
む、今日の恵司は元気がないぞ? 底なしのテンションはどこにやった?
いやぁ、その……そうだ、緋糸ちゃん、学校終わったの? 早いね?
そうだぞ! 今日は四時間の日なんだー
ああ、きっと保護者会なりなんなりで午前中で授業が終わる日だったのか、と音耶は納得する一方、何でこんな日に被せてくるかなぁとやり場のない怒りを感じていた。
そっか。それじゃあこれからお家に帰ってお昼ってとこかな
んー、それがなー
口ごもる緋糸。薄々嫌な予感はするが、その話題を出してしまったのは自分だ。音耶はしぶしぶ続きを尋ねる。
……どうしたの?
実は、今日はおかーさんもおとーさんも家に居ない日なんだー。お昼は適当に買って食べて、って言われたけど、寂しいなーって
音耶はその悪い予感の的中に頭を抱えたくなった。とっとと一人になれる場所に行こうとでも思っていたのに。しかし、彼女を放っておける性質ではない。それに、恵司だったら放っておけない。今は恵司である音耶は、しゃがんで目線を緋糸に合わせ、緋糸の頭を撫でながら優しく言った。
じゃあ、俺と一緒にご飯行こうか。お母さんに連絡出来る?
恵司は空の家族にも認知されているし、家族ぐるみで仲が良かった。普通男と小学生の少女が昼ご飯を一緒に食べるとなれば通報される恐れもある事案だが、緋糸の親なら了承するだろう。恵司も空の前、即ち彼女が死ぬ前は普通の青年だったのだから。勿論、空の死後の恵司を彼女の家族が知らないというわけではないが、だからと言って信頼関係が崩れるほどの事を彼はしていない。
緋糸は携帯電話を取り出すと、母親に連絡をする。子供用の防犯ブザーが付いた可愛らしい携帯電話だ。楽しそうな声色からすれば、何の問題もなく了承を得られたのだろう。
そして、スキップしながら進む緋糸に付いて行きながら、どこで食べようかと色々な店を見て回る最中だった。一軒のファミレス――正確には先程恵司と音耶が食事をした場所だが――の中で昼食を取る中学生と目が合った。そして、その姿に気付いた緋糸は、何一つ悪気のない明るい声でこう言った。
麻衣ちゃんも一緒にがいいぞ!
そう、食事をしていた中学生は麻衣と里香だったのだ。どうしてこうも不運が続くのだろう、と音耶は早くも目が死にかけていたが、緋糸に腕を引かれながら元居たファミレスに戻ってきてしまったのだった。
まさか、麻衣ちゃんのお兄さんに会うなんて思わなかったです
ああ、俺もそう思うよ……
彼女達がファミレスに居た理由は緋糸と似たようなものである。午前中で学校が終わってしまったから、一緒に昼ご飯を食べようと麻衣が誘ったのだという。既に昼食を取っている音耶を除いた緋糸と麻衣、沢近が各々好きな昼食を取った後、麻衣がデザートを頼むと言い出し、冒頭に戻る。昼食のためだけのお金しか持っていなかった沢近と緋糸の分は音耶が出すことになったが、別にそれはさほど問題ではない。音耶にとっての一番の問題は、今目の前にあるバニラの香りの塔だ。
……
麻衣は巨大なパフェに夢中だし、沢近は抹茶のアイスクリームを口に運んでいる。緋糸はパンケーキに大量のメープルシロップを掛けていた。それを見るだけでも音耶は既に満腹である。それなのに、目の前は白い塔。恵司なら軽々と平らげてしまうそれだが、音耶ではそうはいかない。
兄者? どうかしたのじゃ?
あ、いやいや。麻衣達、一口食うか?
いいのじゃ? それじゃあ一口!
麻衣がスプーンに大盛りの一口を掬い、美味しそうに食べる。その姿を見て音耶はそのまま丸ごと麻衣に食べて欲しいとも思ったが、流石にそれは怪しまれる。遠慮する沢近にも勧めると、やはり食べたかったらしく小さくだが消費してくれた。緋糸はパンケーキにアイスを乗せたかったらしいので、音耶は自身のパフェに乗っていたソフトクリームを怪しまれない程度に乗せてやった。これで、三分の一は減ったろう。だが、これ以上は限界だ。音耶は、意を決してパフェを口に運んだ。
ふー、おいしかったのじゃ!
うん! ……すみません、お兄さん。ええと、恵司さん、ですよね
ああ、そうだよ。俺ら双子だからなー。よく間違えられるんだけど、里香ちゃんは流石俺達を見分けてくれるんだな!
恵司には双子の弟がいるのか? 私も今度会ってみたいぞ!
そかそか! じゃあ今度音耶に言っとくよ、可愛い女の子がお前に会いたがってたぞ、ってな!
食事が済み、会計をしてファミレスを出る。中学生と小学生の女の子に混ざる男の姿は外から見たらどうなのだろうか、とか、そんなことを考えるような普段の音耶はどこにもいない。パフェを完食した結果、グロッキーになった故である。そんな音耶はむしろ恵司によく似ていたが、これはただ単に彼の理性が疲弊しきった結果だ。元々双子は性格も似ていたのだろう。
それじゃあ兄者、ばいばいなのじゃ。麻衣はもうちょっと里香ちゃんと遊んでくるのじゃ!
おう、遅くなるなよー
すみません恵司さん……。ありがとうございました
ああ。礼儀正しい子は嫌いじゃないぞ
去っていく二人の姿を見送りつつ、音耶は残った緋糸に優しく笑う。
ごめん、緋糸ちゃん。俺も用事があって帰らなきゃいけないんだ。一人で帰れる?
本当は用事など無いのだが、これ以上彼女と一緒に居て自分が平気な気がしない。音耶は少し申し訳ないと思いつつ、緋糸にそう言った。
うん。感謝するぞ、恵司! またな!
手を振って歩いて行った緋糸の背を見る。ああ、やっぱりどこか空に似ているな。そんな事を考えながら、自分も一度休憩しようと音耶は自分の住むマンションに足を向ける。
そして、その一歩と共にその場に倒れ込んだのだった。
……やっぱ、激甘は……無理……
……おい、こんなとこで何寝てやがる。……ったく、何があったか知らんが、またアホな事でもやってんのか……。
倒れていた音耶を見つけたのは鬱田だった。傍に有る本屋で新刊の文庫本を何冊か買った帰り、こんな状態の彼に出会ったのである。倒れている友人を見捨てるわけにもいかず、鬱田は音耶の肩をそっと叩いて呼びかけてみる。しかし、返事は無い。
仕方なく体を起こして音耶の顔を見た鬱田は少し驚いた様子で呟いた。
てっきり恵司かと思ったが、音耶の方かよ……。仕方ねぇ、このまま寝かせてるわけにもいかないからな
親ですらまともに判別出来ない恵司と音耶を顔だけで判別できる数少ない人員である鬱田はそう零すと、音耶の肩を持つとそのまま半ば引き摺る様に歩き始めた。
悪いが、俺は非力なんだ。とっとと起きろ馬鹿双子の弟
ん……無理、だって……生クリームは…………恵司に……
よくわかんねーうなされ方してんな……
一向に起きる気配の無い音耶。流石に彼の家までは知らない鬱田は、とりあえずこのまま自分の家に帰るかと歩を進めていった。