高良侘助

埴谷警部、駿河警部、どうだ

埴谷義己

ああ、高良警視……。いえ、まだ何も

 埴谷の声に、こいつが高良か、と恵司は高良の顔を見る。あまりまじまじと見てしまうと不自然に思われるが、どうしても睨みそうになるのを抑えるのだけで精いっぱいだった。

高良侘助

……駿河、何か私に言いたいことでも?

 それを鋭く指摘する高良。はっとして、なんでもないと一言返すのが精いっぱいだった。
 相手の手強さを感じつつも、だからといって避けて通る道ではない。それならこっちの事件はいつもより早めに解決してしまってとっととあの男の身包みでも剥がしてやるか、と恵司は死体と手元の資料を交互に見やる。

駿河恵司

森玲奈、20歳、大学生。死因は失血死ですね。この酷い外傷は死後に付けられたもののようです。その上、被害者が今着ている衣服は死後に着せられたもののようです

埴谷義己

どういう事だ? 被害者はわざわざ着替えさせられたって事か?

駿河恵司

まぁ、近いですね。正確には全裸の状態で殺された後、服を着せられたみたいです。……遺体のコーディネート、とでもいうのでしょうか

埴谷義己

趣味が悪いな……お前の兄が好みそうだが

駿河恵司

ええ、全くです

 実際そうなんだからな。口に出す言葉と心の中の言葉はすれ違っているが、恵司は間違えずに口に出す。すると、傍に立っていた高良が何か不快そうに眉を顰めた。

駿河恵司

どうしました、高良警視。猟奇的な死体に不快感でも?

高良侘助

それだったら刑事をやっていないさ。それとも駿河、お前はむしろ快感でも感じているというのか?

駿河恵司

まさか。私の兄みたいに、恋人を殺されでもしなければそちらに堕ちることもないでしょうね

 恵司はわざと空の事件をぼかして話に出す。恋人の艶めかしい遺体を思い出すと胸に浮かぶ興奮と虚無を宥めながら、恵司は高良の顔色を窺った。しかし、彼は何の反応を示すこともなく、埴谷に話を振る。

高良侘助

済まない埴谷、被害者の自室の方を調べてもらえるか。少し駿河と話をしたい

 ――いや、反応したのだ。だからこそ高良は人払いをしようとしている。恵司は上がりそうな口角を抑え、自分も埴谷に行くよう勧める。
 上司と友人からそう言われては、埴谷も動かないわけにはいかない。少し不振がってこそいたが、すぐに移動した彼の背を見送り、恵司は埴谷が伝統的な上下関係を重んじるタイプであることに感謝した。

駿河恵司

死体のある部屋で談笑出来るほど、図太い人間ではないのですが

高良侘助

そう言いながらも笑ってるじゃないか。……駿河、この遺体、お前も見覚えがあるだろう

駿河恵司

さぁ。こんな女性、私は存じませんが

高良侘助

遺体が誰かじゃない。殺し方に見覚えがないかと言っている。お前とて、見たんだろう。砂尾空の遺体を

駿河恵司

……

高良侘助

沈黙は肯定と受け取ろう。模倣か本人かは分からないが、あの時の事件と関わりがあるのは確かだ。上手く形作れなかった、あの事件とな

 笑いながら話す高良。その姿に憤りを感じつつも、此処で気付かれて終わるわけにもいかないと、恵司は何とか無理に笑顔を作る。

駿河恵司

だとすれば、どうするんですか? 過去の事件との関連性でも見つけて過去の事件の再捜査を? それとも、模倣犯だとしての犯人捜しでも?

高良侘助

いや、あの事件の犯人は狡猾だ。証拠を残したりはしない。つまり、幾ら時間を割いても解決しやしない。金にならないんだ


 ほら、来た。
 
 

駿河恵司

結論から仰ってください。何が目的です?

 恵司がそう言うと、高良は待っていたとばかりににやりと笑う。その笑みに、恵司は生理的嫌悪を感じた。気持ちが悪い。彼の顔が、と言う意味ではなく、何故ここまで事がすいすい動いたのか。

高良侘助

君の兄を犯人として逮捕しよう。彼ならば砂尾空の殺人事件の第一発見者、つまり犯人である可能性が存在するし、それなら殺害方法が同様のこの事件の犯人足り得る。警察の肉親が犯人となれば信用問題ではあるが……まぁ多少は仕方がない

 ――成程な。
 利己主義の男がかつて解決出来なかった事件と同様の事件に対し、どう対処するかは見物であった。だが、まさかこうも単純な手に出るとは。

駿河恵司

手段は選ばない、という事ですか。ですが、どうしてそれを私に打ち明けたのです? 兄が犯人に仕立て上げられると知れば、私とて反抗しないわけではないですが

高良侘助

ああ、そんなことは知っている。ただ、打ち明けた方が好都合なのだ。その答えには気付いているのだろう?

駿河恵司

……もし私が兄を想って真犯人を立証すれば、事件の真犯人が捕まる。万一真犯人が見つからなくとも恵司が犯人として逮捕される。仮に私が彼の冤罪を主張しても、貴方はそれをもみ消してしまう。そして、もし私が恵司に逃げるよう指示をすれば私もろとも犯罪者に変えてしまう。そうすれば、破綻するのは私の家族

高良侘助

分かっているじゃないか。……捜査が長引きそうであれば、私は君の兄を逮捕しよう。そのための証拠が揃うまで、君は捜査を続けるといい。何、不自由はさせないさ。何せ、真犯人を探してくれるのだからね

 音耶が言っていたよりも、よっぽど性格が悪いじゃないか。証拠が揃うというのも、作るのに決まっている。恵司はこの男に対し怒りを覚えると同時に、このゲーム性にスリルすら覚えていた。高良が今目の前にいる男の正体を音耶ではなく恵司と気付かなかったのは幸運と言うべきなのか不運と言うべきなのか。
 楽しそうに笑いながら去る高良の背を見送りながら、恵司は事件の謎解き、ではなく、如何にして高良を貶めてやるかを思案していた。

第三話 ② 犯人は“駿河恵司”

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