埴谷義己

おい駿河、こっち、ちょっと見てみてくれ

駿河恵司

はい。……中々酷いものですね。適度に血を抜かれた青い肌に、顔は傷つけぬよう徹底された配慮……ああ、顔に飛び散った血は拭き取られているようですね、流石としか――

埴谷義己

……どうしたお前、兄みたいなことを

駿河恵司

失敬。ちょっとうつってしまったようですね。不愉快なことですが

 スーツ姿の長身の青年――駿河音耶、ではなくその双子の兄の駿河恵司――は久しぶりに見る理想の死体の前に口が滑ってしまった事を後悔する。何のためにわざわざ弟の振りをしてここまで来たかが分からなくなるから、次からは気を付けよう。心の中でそう誓いつつ、目の前の“芸術品”の品評を続ける。
 何故わざわざ恵司が音耶の格好で事件現場にいるのか、その理由は数時間前に遡る――。


 

駿河恵司

へぇ、今回の事件の指揮をするのがめんどい刑事だと

駿河音耶

ああ。こういってはなんだが、利益を追求するタイプの人間でな……。俺もやりにくいから苦手なんだ。下手をすると最短ルートで犯人をでっち上げかねない

駿河恵司

成程な……そんじゃあ、俺の介入なんて殊更無理な訳だ

駿河音耶

毎度毎度呼ぶ気はない。まぁ、お前が勝手に入って来ようとしても無理だろうがな

 何時もの通りファミレスで昼食を共に取りながら、音耶は恵司に少し愚痴を零す。なんだかんだ言って兄弟仲のいい二人は、よく互いの相談をすることもあった。

駿河音耶

とにかく、午後からはその人の指揮で動かなければならない。犯罪の片棒を担がされるのかと思うと、気が重い

駿河恵司

そんな冤罪をする前提の事を言ってやんな、顔は見てないが可哀想じゃないか

駿河音耶

前科があるんだ。ただ、権力はあるからだれも逆らえない。それに、実際そうなった事件は真犯人も見つからない。……恵司、空の事件の担当も

 音耶がそこまで言うと、恵司はバンとテーブルを叩いて立ち上がる。場所が場所故に視線が恵司へと集まるが、恵司は何も気にせずそのまま口を開こうとする。しかし、それを音耶が制した。

駿河音耶

気持ちは分かるが、抑えろ。大声で話す話じゃない

 その言葉に、恵司はしぶしぶ頷いて席に座る。そうして、少し間を置いてから話を続けた。

駿河恵司

空の事件の担当刑事か

駿河音耶

ああ。ただ、あの事件は彼にしては珍しく犯人を検挙出来ていない。証拠になり得る証拠が出なかったか、それとも

駿河恵司

犯人を逮捕してしまうと面倒なことになるか、ということか

 出世欲や自己顕示欲の強いその刑事も、例えば警察組織、身内から犯罪者を出してしまうとどうなるのかは分かっているのだろう。あくまで例え話ではあるが、可能性としては捨てきれない。

駿河恵司

……音耶、その刑事に会わせてくれ。話を聞きたい

駿河音耶

無茶を言うな。お前は今日俺が捜査する事件とは無関係の人間なんだぞ。それに、あの人が俺の話を聞くとも思えない

 その言葉に、恵司は一瞬言葉を詰まらせる。珍しく頭があまり回っていないのは、空の事件に関係するからなのだろう。どうしても、彼は空の事件に関するときだけ思考回路が鈍ってしまう。
 しかし、それでも何か思いついた様子の恵司は音耶の服から顔を舐めるように見ると、呟くように言った。

駿河恵司

音耶、お前ならその刑事に会えるんだな

駿河音耶

当たり前だ。指揮する人間とされる人間なのだから……って、お前、まさか

駿河恵司

ああ、そのまさかだ。音耶、代われ

 席を立つと徐に音耶の腕を引き、トイレへと向かう。音耶は酷く嫌そうな顔はしていたものの、こうなった恵司は止められないだろうし、理由が理由であったために特に強く抵抗することもなくそのまま引きずられて行った。

 トイレの個室に二人で入り、着ていた服を互いに交換する。背の丈も、体型も、体重もほとんど同じ双子だからこそ何の問題もなく二人は服を交換することが出来た。狭い個室の中で器用に着替えた二人は、微妙な感情で互いの姿を見ていた。

駿河恵司

なんかこう……服が変わっただけだって言うのに精神まで入れ替わった気になるな……

駿河音耶

お前が言いだしたんだ、何故そんな不安そうな顔をしてる

駿河恵司

いや、その……と、とりあえず情報だけ共有させてくれ、多分埴谷にも協力を得ないまま進めるから

駿河音耶

……ああ、まぁあいつなら俺達の事を呼び分けはしないし、間違えるってことは無いだろうが、変な気を回しそうだな

駿河恵司

ああ。だから、あえて隠せるところまで隠す。あ、で何かあったらお前に聞くから、常に携帯に注意はしといてくれ

駿河音耶

分かった。……ああ、間違ってもバレるなよ、立場が危ういのは俺だ

駿河恵司

分かってるって。お前だって一応隠しとけよ? 何があるか分からないし

駿河音耶

恵司の振りか……少々屈辱だが、まぁ仕方ないな

駿河恵司

何だよお前、兄の振りを屈辱って!

駿河音耶

……恵司、気を付けてな。あの刑事――高良には

駿河恵司

勿論。……さて、いい加減行くか。二人してトイレ行って長く帰ってこないんじゃあまるでゲイカップルだ

駿河音耶

……冗談でもやめろ

 外の物音を確認し、誰もいないことを確かめてから二人はトイレの個室を出、元の席へと戻る。
 そしてその数時間後に、話は丁度冒頭へと戻るのだった――。

第三話 ① それは“双子”の常套手段

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