勇者ヒロシ(42)の大冒険

















 部下が持ってきたニュースは相当なものであったらしい。

 なんでもドラゴンが現れたのは都心であったよう。

 しかも行政の中心、霞ヶ関界隈に暴れているようだった。

 総務省四号館の豪快にも崩れゆく様は圧巻だろう。

 翌年のキャリア採用はパイが増えるな、などとは完全な他人事。

 それでも自身の思うところは変わらない。

 なんかもう吹っ切れた。

部長、ドラゴンと戦う為、本日、午後半休を頂きます

は?

それでは失礼します

ちょ、ちょっと!
佐竹くんっ! 佐竹くんっ!?


 娘よ、今日からパパはファイアボールで食べていこうと思う。

 家内は付いてきてくれるだろうか。

だれかっ!
だれか佐竹くんを止めてくれっ!
たのむから、早くっ!


 わからない。

 しかし、私が守らねば、誰が守るというのだ。

 この社会を。

































 社を発って早々、タクシーを捕まえて現場まで移動した。

 勤め先もまた山の手線内に所在する為、幸いにして諭吉一枚で済んだ。

 道中、反対車線の渋滞している点が酷く印象的に写った。どうやら混乱は少なからず近隣に波及して思える。困ったもんだ。

 そんなこんなでやって来た先、眺めるたるはオフィス街の大通りである。

でかいな……

おー、でっかいなぁー


 ヤツと二人して横に並び、歩道から相手を見上げる。

 映像で確認した際より、幾分か大きく思える。

 十階建てのビルの屋上あたりに頭部が位置している。

 目玉一つとっても、自身の胴体ほどありそうだ。

これは本当に倒せるのか?

前の勇者は負けちゃったけど
前の前の勇者も負けちゃったけど
前の前の前の勇者は勝ったよー!

そうか……


 勝率は三割か。

ゆうしゃ

 たたかう
>にげる
 ぼうぎょ
 どうぐ

ゆうしゃ

ゆうしゃはにげだした

でも、相打ちだったけど!

ゆうしゃ

しかし、まわりこまれた

…………


 それは勝ったとは言わないな。

 実質ゼロというやつではないか。

 今の時勢、実質という単語ほど信じられないものはないだろう。

 

…………


 一応、死亡保険は十分な額を掛けている。家のローンを支払って余りある額だ。

 娘が高校を卒業するまでは問題なく持つだろう。

 大学も公立ならなんとかなるのではなかろうか。

 受取人はもちろん妻である。

 しかし、ドラゴン相手に死傷した場合、保険金はおりるのだろうか。

 オプションでドラゴン特約が切に求められる。

ヒロシー?
ヒロシならきっと大丈夫だよっ!


 ああ、せめて娘が嫁にゆくまでは生きていたい。

 まだ小学生だからな。

 今が一番に可愛いのだ。

 これからもずっと可愛いのだ。

 娘可愛い。娘。

 笑った彼女の頭を撫でるのが、我が人生の意義。

 傍らには妻。

 あぁ。

 家族の顔を思い起こして、やる気が沸き上がってくる。

…………


 万が一にも、家族が露頭に迷うなどあってはならない。ならない。絶対。

 必ずや生き延びて、愛しい家族の待つ我が家へ帰るのだ。

 そしてまた、交通整理でも、コンビニエンスストアでも、仕事はなんでも構わない。

 家族の笑顔のために働くのだ。

 それが私の幸せだ。

ヒロシー! ふぁいとー! がんばー!

あぁ……娘よ、お父さん、がんばるぞ


 しかし、頑張るは良いがどうしたものか。

 いかんせん大きすぎやしないかドラゴン。

 流石に正面から突っ込んでゆくのは怖い。

 などとあれこれ迷っていたところ、相手の方から補足された。

ほぅ? エルフが行動を共にする人間か


 目と目があった。

 かと思えば、驚いたことに届けられたのは言葉だ。

 言語でコミュニケーションとれるとは思わなかった。

 まあ、そういうものだと考えよう。

 思い起こせばエルフとやらとも無難に通じている。

あーっ、ヒロシ、気づかれちゃったよっ! ヒロシっ!

オマエが見えるのか? あのドラゴンは

みたいだねっ!

…………


 コイツとの会話は一向に慣れそうにないな。

 甚だストレスだ。

 だが、まあいい。こうなったら腹をくくるまでだ。

行くぞ

おー! ヒロシおー!
がんばれー!


 こうなったら掛け値なしの早口言葉をお見舞いしよう。

 数日前より暗記チャレンジした単語カードの威力を思い知れ。

 会社に限らず、自宅の風呂場やトイレでも頑張ったからな。

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈悲はなく、立ち塞がる全ては袖の触れるまでに塵と化す。太古より伝わりし破壊と創世の導きに従い、我はこの地にその力を欲する。天地開闢の業火を伴い、有象無象を焼き尽くせ、ファイアボール


 一発目。

ぐぉおおおおおおおおおおおお

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈悲はなく、立ち塞がる全ては袖の触れるまでに塵と化す。太古より伝わりし破壊と創世の導きに従い、我はこの地にその力を欲する。天地開闢の業火を伴い、有象無象を焼き尽くせ、ファイアボール

ぬぁあああああああああああ

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈悲はなく、立ち塞がる全ては袖の触れるまでに塵と化す。太古より伝わりし破壊と創世の導きに従い、我はこの地にその力を欲する。天地開闢の業火を伴い、有象無象を焼き尽くせ、ファイアボール


 三発目。

ちょ、ちょっとま……

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈悲はなく、立ち塞がる全ては袖の触れるまでに塵と化す。太古より伝わりし破壊と創世の導きに従い、我はこの地にその力を欲する。天地開闢の業火を伴い、有象無象を焼き尽くせ、ファイアボール


 四発目。

まてっ! ちょっとぅぉおおおあああああ

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈悲はなく、立ち塞がる全ては袖の触れるまでに塵と化す。太古より伝わりし破壊と創世の導きに従い、我はこの地にその力を欲する。天地開闢の業火を伴い、有象無象を焼き尽くせ、ファイアボール


 五発目。

ぎゃあああああああああああああ

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈っ……痛ぅぅうっ


 六発目、ついに舌を噛んだ。

 痛い。かなり景気良くガリっといった。

 舌ベラに患部を確認すると、ズキリ疼いた。

 間違いなく口内炎になるタイプの噛みだ。

 帰りに歯医者でケナログを貰うとしよう。

ヒロシすごい! 凄いよっ! ヒロシ!

そ、そうかい……

ファイアボールって
こんなに凄かったんだねー!

その点は他を知らないから判断しかねるが


 ややあって炎より生まれた白煙が界隈から散る。

 その先から姿を現したのはドラゴンだ。

きさまぁ……よくも、よくもこの私を……


 残念ながら倒れてはいなかった。

 これまで対応してきた案件とは格が違うな。

 伊達にドラゴンしていない。

 だがしかし、どうやら相当に堪えて思える。

やられは、せんっ……
やられはせんんぞぉおおおおお!


 むっ、タフガイだな。

 であればこちらも舌の負傷を押して叫ぶ限り。

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈悲はなく、立ち塞がる全ては袖の触れるまでに塵と化す。太古より伝わりし破壊と創世の導きに従い、我はこの地にその力を欲する。天地開闢の業火を伴い、有象無象を焼き尽くせ、ファイアボール


 六発目。

ぐぉおおおおおおおおおおおお

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈悲はなく、立ち塞がる全ては袖の触れるまでに塵と化す。太古より伝わりし破壊と創世の導きに従い、我はこの地にその力を欲する。天地開闢の業火を伴い、有象無象を焼き尽くせ、ファイアボール


 七発目。

ぬぉおおおおおおおおおおおおお

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈悲はなく、立ち塞がる全ては袖の触れるまでに塵と化す。太古より伝わりし破壊と創世の導きに従い、我はこの地にその力を欲する。天地開闢の業火を伴い、有象無象を焼き尽くせ、ファイアボール


 八発目。

ひぎぃいいいいいいいいいいいいい

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈悲はなく、立ち塞がる全ては袖の触れるまでに塵と化す。太古より伝わりし破壊と創世の導きに従い、我はこの地にその力を欲する。天地開闢の業火を伴い、有象無象を焼き尽くせ、ファイアボール


 九発目。

うのぉぉぉおおおおおおおおおおお


 いかん、理由は知れないが、猛烈に辛くなってきた。

 もしかしてマジックパワー的な何かが枯渇したか?

 心臓が全力疾走でもしたよう窮屈な痛みを訴える。

こ、このっ、喰らえっ……


 その隙を突いて、ドラゴンから反撃が。

っ!?


 巨大な尻尾がこちらを捉えて振るわれた。

 その直撃は大型トラックに轢かれるようなものだ。

 どうしよう。

 いかん。

 これは死んだな。

ヒロシー! あきらめちゃだめだぞー!


 ヤツの声が響いた。

 かと思えば、次の瞬間、肉体が移動していた。

 魔法的な何かで強制的に移動させられたよう。

 目の前にはドラゴンの顔がある。

 


 驚きに見開かれた巨大な瞳が自身の肉体を映す。

 スーツ姿に飛び上がった中年リーマンの姿を。

 しかも意外と格好良いポーズで放り出されたぞ。


 おいおい、これは決めるしかないな。

 中年リーマンの最高にイケてるところを。

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈悲はなく、立ち塞がる全ては袖の触れるまでに塵と化す。太古より伝わりし破壊と創世の導きに従い、我はこの地にその力を欲する。天地開闢の業火を伴い、有象無象を焼き尽くせ、ファイアボール!


 十発目。

ぎゃぁあああああああああああああああ


 ひときわ大きい悲鳴が一帯に響き渡った。

 とっておきのファイアボールは相手の目玉に直撃。

 応じてドラゴンの肉体は、ずずん、大地に倒れた。

 まるで地震でも起こったよう、一帯が震える。

 同時に身体は再び場所を変えて、地上へと戻った。

 ヤツはちゃんと送迎してくれたようだ。良かった。

 万が一にもドラゴンの頭の高さから落ちたのでは堪らない。

はぁ……はぁ、はぁ、はぁ……


 膝に手をついて呼吸を整えるべくハァハァと。

 もうむり。

 なにでもきない。

 胸が凄く苦しい。

ヒロシー! すごいー!
やった、やったー!

あ、あぁ、こちらこそ助かった。感謝する

ほんとう!?
うれしいなー! ヒロシー!

だが、まだ生きているようだ……


 とどめを刺すべきだろう。

 ゆっくりと歩んではドラゴンの元へと向かう。

 撃てて後一発といったところだろう。

 いいや、もしかしたら出ないかもしれない。

 正直、そのまま心臓発作で死んでもおかしくない。

 非常に胸が苦しくて、今も痛いほどに脈打っている。

ま、待てっ! 待つんだっ!


 すると、先方からは慌てに慌てた声が届く。

 また意識は残っていたよう。

 やたらと大きく吠えられた。

 その声色には明らかな怯えが混じって思えた。

 過去の勇者はどうであったか知らない。

 ただ、当代の勇者はなかなかのものみたいだな。

 少しだけ誇らしい気分ではないか。

待ってどうする?

はなしっ!
は、話をしようではないかっ!


 交渉か。

 今更だな。

それは構わないが、
私は気の利いた話題など持っていないぞ

それはほら、あれだっ、ほらっ、えっと……


 あっちをみたり、こっちをみたり。

 最終的にヤツの視線が落ち着いた先は頭上だ。

きょ、今日は良い天気だなぁ!


 まるで新卒採用一年目の新人みたいな話題の振りだ。

 このドラゴン、尻尾は脅威だが、コミュ力は大したことないな。

ああ、そうだな
ジャケットを着ていると暑くてかなわない

ヒロシー、さっさと倒しちゃおうよー!


 一方でこちらの相棒は意外と遠慮がないな。

 ドラゴンのヤツ、めちゃくちゃ焦ってるいるぞ。

っ……

相手はなにやら物言いたげだぞ?

駄目だよ? ヒロシ
悪いドラゴンは退治しなくちゃ

そうなのか?

うん!
向こうでもたくさん、たくさん
たぁーくさーん、人を殺したのー

とっても悪いドラゴンなの
とっても有名なのー!

そうなのか?
だとすれば放ってはおけないな


 なるほど、そういった理由があるのか。

 であれば私としても抵抗は少ないそ。

 さっさとファイアボールしてしまおう。

ま、まて、分かったっ! 私が悪かったっ!

その謝罪は違うな
私に向けるべきものではないだろう?

ぐぬぬぬっ……

ヒロシー! 逃したら駄目だよ?
ドラゴンの翼は凄いんだから!

そうなのか?

うん!
高い山も、大きな海も、ひとっ飛びなのー

なるほど、それは大したものだな……

今逃げられたら
きっともう倒せないと思うよー

なるほど


 ふと、エルフの言葉に引っかかるものを感じた。

 なんだろう、私にとっては非常に大切な何かだ。

頼む、み、見逃してくれよう
もう悪いことはしないから


 一方でドラゴンのなんと謙虚なこと。

 まあ、腹の中はどうだか知れないがな。

…………

なぁ? いいだろう? なぁ?

ヒロシー? どーしたの?
ファイアボールしないの?


 空には報道局のヘリが。

 周囲には野次馬がわらわらと。

 そこらかしこからは遠慮のないカメラのレンズが。

……………


 社会人として色々と終わってしまった感がある。

 先刻より延々と感じていたところだ。

 なにより部長の命令さえ無視しての強行である。

…………


 だがしかし、ヤツの言葉に一筋のひらめきを得た。

 あぁ、そうだ。

 もしかしたら、社会復帰できるかもしれないぞ。

 ふと思い至る。

 そして、至ってしまえば、抗うことは難しい。

 このような状況にあって、それでも私は社畜だった。

 会社員だった。

 サラリーマンだった。

許してやっても良い

ほ、本当かっ!?

ただし、以後は私の部下になって貰う

ぐっ……に、人間の分際で……

いやなら交渉は決裂だ


 社長命令、見事に達成してみせようではないか。

 そのために必要なパイが、今、全て揃った。

わ、わかったっ! いいだろう!
く、く、くっ、下ろう、き、貴様の下にっ!

よし、商談は成立だ

ぐるるるる……


 悔しそうに喉を鳴らすドラゴンへ、私は伝える。

それでは早速だが
君には私の足になって貰おう

……足だと?

悪いがベトナムまで飛んでくれたまえ


 そう。

 私には仕入れなければならない商品があるのだ。























急げドラゴン君、取引先は決して待ってはくれないぞ!

ぬかせっ!
このドラゴンの翼、他の何にも負けぬっ!

だからこそ急ぐのだ
今この世界で君は最速だ

当然だっ!


 無事にグローバルソリューション社のベトナムの工場で必要なパーツを手に入れた。

 そして、今、我々は取引先へと空を急いでいる。

 納品は本日中との契約だ。

おー! はやいー!
ドラゴンすげー!

当然だっ!
エルフ風情が無駄に吠えおってっ!

ヒロシー! すごいなー!
ドラゴンすごいなー!

ああ、そうだな


 このエルフの脳天気具合はどうしたものか。

うわー! すごいぞー! はやいぞー!

いちいち煩いっ、黙っていろっ!


 そうこうするうちに景色は進む。

 むっ、見えてきたぞ。

 取引先の収まるビルが。

 何度か打ち合わせで足を運んだ覚えがあるので間違いない。

 発送先とは異なるが、子細知れぬが故に致し方なし。

 強引にも本社へと運びこむ算段である。

 ここまで来てしまったら、もう突っ走る限り。

 おそらく無碍に扱われることはあるまいて。

 伊達に先刻から傍らには戦闘機が飛んでいない。

 更に報道ヘリがゆく先々でウヨウヨである。

 もうどうにでもなれだ。

あそこだ
あの背の高い建物の正面に付けてくれ

ふんっ、いいように使いおって


 こちらのアバウトな指定にも関わらず、熟練のタクシードライバーも斯くやあらん。

 ドラゴンはとても具合の良いところに止めてくれた。

 以後、相棒の魔法でドラゴンの背中から降り立ち、駆け足でエントランスへ。























 辿り着いた先は立派な作りの受付窓口だ。

 誰も彼もが玄関の外、巨大なドラゴンに注目している。

 その只中、私は受付嬢に尋ねるのだ。

ど、どちらさまでしょうかっ……

丸内商事の佐竹と申します。

すみませんが、営業部の第三営業担当、斉藤様をお願いできませんでしょうか? お約束の品をお届けに参りました


 ミッションコンプリートである。





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