私の名前は佐竹宏(さたけひろし)。

 都内の物産企業へ勤めるサラリーマンだ。

 新卒入社から勤めあげること今年で二十年。

 言ってはなんだが、極々一般的な企業人である。

…………


 そんな私なのだが、最近、ちょっとした副業を始める運びとなった。

ヒロシー、そっちにいったよぉー

うむ


 業種はサービス業になるのだろうか。

 業務は典型的なブルーカラーである。

炎を纏いし古代の神、その怒れる雄叫びに慈悲はなく、立ち塞がる全ては袖の触れるまでに塵と化す。太古より伝わりし破壊と創世の導きに従い、我はこの地にその力を欲する。天地開闢の業火を伴い、有象無象を焼き尽くせ、ファイアボール!


 その名を勇者という。











勇者ヒロシ(42)の大冒険
















やった! 倒したよっ、ヒロシー

ああ、無事に済んでなによりだ


 仕事帰り、例によって遭遇したのがモンスターだ。

 こんなヤツだ。


 なんでもデスウルフというらしい。

 随分と物々しい命名だろう。

 いやまあ、名前などどうでも良い。

さて、それでは急いで帰るとしよう


 ここ最近、仕事外で帰宅の遅くなるケースが増えた。

 偏に勇者業のせいである。

 だからだろう、若干、妻に疑問を持たれているようだ。

 一度、シャツを汚して帰宅した日があったのがキッカケだ。

ヒロシー、
がんばったご褒美にアイスたべてこーよ

帰りにコンビニで買ってやる
それで我慢しなさい

いやだー!
駅前で売ってる美味しいやつがいいー!

…………


 コイツめ、日に日に舌が肥えてきているな。

 段々と要求水準が上がってきている気がするぞ。

 羽虫の分際で人様の食べ物を所望するとは贅沢な。



















 翌日、勤め先でのこと。

……え? ロリータ工業が倒産、ですか?

ああ、おかげで明後日に納品予定だった資材がおじゃんだ

それ大丈夫なんですか?

卸先には伝えているが、向こうも必死だからおかんむりだ

なんとまぁ……


 朝市で部長から聞かされたニュースに衝撃を受ける。

 ロリータ工業はうちの取引先の一つで、機械部品の類を製造している中小企業だ。

 納期や契約の面で融通が効く為、重宝していたのだが、まさか潰れてしまうとは。

そこで佐竹君、悪いのだが対応をお願いしたい

わ、私ですか?

なんとか同じ型の商品を調達して欲しいのだ

いえいえいえ
流石にそれは厳しいのでは?
明後日ですよね?

今回の卸先はうちにとって大口だろう?
どうしても外せないのだよ

しかしながら、部長
あの手の製品は取り扱いが少ないですし……

悪いとは思うが
これは社長命令となっていてな

しゃ、社長命令ですか?

ああ


 なんということだ。

 これを断るということは、会社を辞職するに等しい。

 少なくとも我が社においてはそういった代物だ。

 年に数回発令されては、どこかで誰かが人身御供。

 ついに、ついに私にもお鉢が回ってきたというのか。

 くそう部長め、我が身可愛さに社長へ直談判したな。

費用には目を瞑ろう
とにかくモノを用意して欲しい

ですが、流石にそれは……

悪いが頼んだぞ、佐竹君

は、はい


 ポンと軽く肩を叩いて、部長はフロアを去っていった。




























ヒロシー、元気ないぞぉー?
だいじょーぶ?

…………


 困った。困ったぞ。

 ひと通り伝手を当たってみたが、全てダメだった。

 こうなったらロリータ工業の社長に直接電話で尋ねるか。

 もしかしたら多少は不良在庫が存在するかも知れない。

ヒロシー?
おーい、ヒロシー、ヒロシー!
ロシヒィー?


 誰がロシヒだ、誰が。

よしっ

お?


 頼む、繋がってくれ。

 受話器を手に、祈るような気持ちで番号を打ち込み回線をつなげる。

…………

はい、こちらロリータ工業ですが……

とは言っても、潰れちゃったんですけどね


 電話越し、いきなり自虐ネタだ。

 しかも声の質からして、これ社長さんだろう。

 以前は四十過ぎの壮年女性が電話受けであった。

すみません、わたくし丸内商会の佐竹と申しますが

あぁ、佐竹さんですか
これはこれは、社長の田村です

どうもお世話になっております

いえいえ
こちらこそお世話になっておりました


 会話の端々に悲壮感があるな。

 これが会社を潰した男の末路か。

 とは言え、今は同情している場合じゃない。

 下手をすれば明日は我が身というやつである。

 養うべき家族のため、私は頑張らねばならぬ。

すみません、一点、
どうしても伺いたいことがありまして

あぁ、そういえば
丸内さんからも発注を受けておりましたなぁ

はい、そちらなんですが、
やはり難しいでしょうか?

申し訳ないんですが
もう何も残っておりませんでして

そ、そうですか

ええ、そうなんです
便所の蓋まで持って行かれてしまいました

…………


 一体どんな手合からお金を借りたのだろう。

 放っておいたら今晩あたりに夜逃げしそうだ。

あの、我々としてはロリータ工業さんに限らず、どうにかして同じ製品を調達したいと考えているのですが、ご相談に乗って頂くことは可能でしょうか?

なるほど、そういうことでしたら
私、一つ知ってますよ

本当ですか?


 やったぞ、これは掴んだかもしれない。

 何事も諦めずに訪ねてみるものだな。

今もうち以外に作ってるところがありまして。ただ、そことうち以外は、もうどこも手を引いたんじゃないかと思います。はい

すみません
是非そちら、お伺いしたいのですが

ちょっと待っててくださいね。たしか以前、名刺を交換した覚えがあるので

はい

えぇっと、どこにやったかなぁ……


 おっと、通話が保留になった。

 BGMが鳴り始める。

 よりによってドナドナだ。

 ドナドナがBGMに設定されている。

 社長、相当に病んでいるな。

 あるいは吹っ切れて、むしろ今を楽しんでいるのか。

 だとすれば危険な徴候だ。

お待たせしました
ありましたよ、佐竹さん


 ややあって回線が戻った。

本当ですかっ?

グローバルソリューションさんですね
ご存じですか?

いいえ。すみませんが、
お伺いすることはできますか?

ええ、ちょっと待って下さい
番号が……


 よかった。

 あぁ、よかった。

 かなり古い製品であったから、もう駄目だとばかり。

 無事にロリータ工業の社長さんから社名と番号を頂戴した。





















 さて、今度は今し方に教えて頂いたグローバルソリューションさんに電話だ。

…………

はい、こちらグローバルソリューションです


 よし、出たな。

すみません
わたくし丸内商会の佐竹と申しますが

はい。お世話になっております

ロリータ工業さんからご紹介頂いたのですが


 つい今し方にロリータ工業の社長さんと話していた内容を担当者に伝える。

 すると、お調べしますのでとの案内の後、電話が保留となった。

 今度はドナドナじゃない。

 曲名こそ知らないが、耳の覚えのあるクラシックだ。

 やはり普通はこうだろう、保留というものは。

 ややあって、再び電話が通話に戻る。

取り扱いを確認いたしました。
たしかに卸しております。

本当ですか? ありますか!?


 きたっ!

 きたぞっ!

 ビンゴだっ!

 首の皮一枚繋がったぞ。

はい。弊社は日本にも卸しておりますので

……日本にも?

はい
弊社の製品は基本的に海外生産の上、
その過半数が国外向けとなります。

勿論、国内にも対応はしておりますが

な、なるほど

お伺いした型でしたら
えぇと、そうですね……


 なにやら電話の向こうで調べる気配。

 良くない予感がした。

 したのだよ。

 繋がったはずの皮がブチンと切れるような。

 唐揚げから衣だけがツルッと剥げるような。

あっと、ありました
来週頃には着くのではと

……そうなのですか

今期のロット分の生産は終わって
既に発送段階にありますね

…………


 なんてこった。

 これだからグローバル社会は嫌いだな。

 なんでもかんでも海外海外と。

 ロリータ工業さんの倒産も無関係ではあるまい。

如何しました?

いえ、その、あの……ちなみにどこに?

製造元は、えぇと……
弊社のベトナム工場になります

そ、そうですか……


 ベトナムですか。そうですか。

 …………。

 どうしよう。























ヒロシー? どーしたの?
さっきから元気ないぞー?

…………


 ヤツに頭をポンポンと撫でられる。

 思えば初めての物理的接触だ。

 しかし今の自分は、これを振り払う気にもなれない。

 場所は会社フロアに設けられた自席。

 椅子に腰掛けて、呆とパソコンのディスプレイを眺める。

おーい、ヒロシー
おーいおい、だいじょーぶ?

…………


 大丈夫じゃないな。

 ぜんぜん大丈夫じゃない。

 別にこれといって出世街道を歩んできた訳ではない。

 しかし、決してスタンダードなコースから外れてもいない。

 平凡ながらも満ち足りた人生街道。

 そんな今の自らの身の上が、この上なく危うい。

 日常の崩れる音が聞こえる。

 漠然とした不安が、アラフォー男の心を苛んでいる。

 サラリーマンの人生とは、こうも容易に崩れるのか。

ヒロシー、ヒロシー
なにか嫌なことあったのー?


 上目遣いに見つめてくれる。

 もしかして心配してくれているのだろうか?

アイスを食べたら
元気になれるかもしれないぞー?


 いいや、それはないな。

 コイツはただアイスを食べたいだけだ。

 日に日におねだりが上手くなってきている。

お昼休みだから
みんな外いっちゃってるよー


 あぁ、もうそんな時間か。

 というか、昼休みを昼休みとして、ちゃんと認識するのか。

 これでなかなか、無駄に賢い生き物だな、コイツは。

 などと、適当に時間を過ごしてた頃合いの出来事だ。

 不意にフロアへ部下の、山田の声が響いて聞こえた。

課長っ、ヤバイですよっ!
これ見て下さい! これっ!


 なにやらノートパソコンを抱えてこっちに来た。

騒々しいな。どうしたというんだ……

ドラゴンッスっ! ドラゴン!
ヤバくないですかっ!?

…………


 山田の持ってきたパソコンにはドラゴンが映っていた。

 どうやらニュースの映像らしい。

 街中で巨大なドラゴンが好き勝手に暴れているのだ。

 しかもアナウンサーの言葉に従えば生放送である。

マジでヤバイっすよね!
前のキマイラも相当でしたけどっ

あ、あぁ、そうだな……

どうなってるんですかね?

あ、うわっ!
人が踏まれて潰れましたよ。ぶちって

…………


 これを目の当たりとしては、早々、ヤツが吠えた。

ヒロシー、勇者の出番だぞー!
がんばらないとっ!


 だがしかし、悪いが今はそんな気分じゃない。

ヒロシー?
おーい、ヒロシー
どーしたのー?

…………


 あぁ、また画面の向こうで人が潰された。

 あっけないものだな。

 人の命とは、本当にあっけないものだ。

 瞬きする間に、一人、また一人と潰されてゆく。

…………


 そして、自分もまた、同じように終わるのだろう。

 形こそ違えど、これまで歩んできた道を。

…………


 それは例えば、病院のベッドの上かもしれない。

 それは例えば、交差点を歩んでいる最中かもしれない。

 それは例えば。

 それは例えば。

…………

ヒロシー? どーしたの?


 なんだろうな。

 ふと冷静に考えてみると、馬鹿らしい気持ちだ。

 思えば入社から二十年、ただひたすらに尽くしてきた。

 会社に尽くしてきた。

 盲目的に今の平穏を享受してきた。

 きっと世間的に見れば幸せな毎日であったろう。

 嫁さんと、可愛い娘に恵まれて。

 それで良いのだと、自らもまた心から納得して。

…………


 ただ、それなのに、今は明日が見えない。

 どうしても見えてこない。

 楽しそうに笑う、妻と娘の笑顔が、どうしても見えない。

…………


 自分はこれからどうなるのだろうか。

 今までと同じように残る二十数年を勤めるのだろうか。

 定年するのだろうか。

 家に戻るのだろうか。

 やがては病を患うのだろうか。

 そして、苦しみ抜いて死ぬのだろうか。

…………

ひろしー?


 ロリータ工業の社長さん。

 彼が電話の保留にドナドナを流した気持ち。

 今なら少しは理解できるかもしれない。

 ギリギリに立ってこそ、見える風景もあるのだろう。

…………


 そして、それは人が生を全うする上で、

 実は割合、重要なものなのではなかろうか。

 なんて、

 なんて、

 年甲斐もなく考えたのならば――――。

……行くぞ


 自分は、それが今だ。

おー! 行くぞー!
ヒロシー! おー!

ああ、行くぞ、ヒロシ


 凝り固まった価値観にしがみつくのはやめよう

 覚悟を決めたぞ。

 あぁ、決めたぞ。

 ヒロシはドラゴンを退治すると、

 今この瞬間、決めたぞ。

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