コウヘイ

邪魔するぞ

ミユキ

邪魔するんやったら帰ってー

コウヘイ

そんな吉本新喜劇には乗らん

ミユキ

つまんない

リサ

つまらない男ね!

コウヘイ

言い直す必要はなかったな!

ミユキ

おもしゃない

コウヘイ

お前、最近『村上海賊の娘』を読んだだろ!

 というわけで。
 本日も四条清水高校の売店部のコンビニである。
 たった今やってきたのは、ミユキとリサのクラスメイトにして幼馴染のコウヘイだった。
 本人たちもしばしば忘れているのだが、彼女たちは高校生である。

コウヘイ

そういや、このコンビニってたまにハードカバーの本を置いてるよな

ミユキ

田舎のコンビニだもん。そりゃあ、なんでも置いてるよ

コウヘイ

『共産党宣言』と『我が闘争』でサンドイッチするのはどうかと思うが

ミユキ

ちゃんと一番左と一番右に置いてるでしょ?

コウヘイ

真ん中にあるのがマキャヴェリの『君主論』なのは……

ミユキ

当店は共産主義者もファシストも帝国主義者も歓迎します!

リサ

言っとくけど、本のコーナーは全部ミユキに任せてるからね。ノータッチだからね!

コウヘイ

タッチしろよ、共同責任者だろ!

リサ

ちゃんとバイト情報誌とか置こうとしたんだよ?

ミユキ

いやあ、都会の情報しか乗ってないし

コウヘイ

ここらへんにゃフリーペーパーなんかもないしなぁ

 四条清水の周辺は全国的に見てど田舎である。
 まさに『田舎』としか言いようがないが、自治体は欧米風を気取って『カントリーサイド』と自称している。
 風車や水車小屋などがあれば、まだ風光明媚なオリエンタルカントリーサイドにもなったろう。
 しかしながら、四条清水にあるのは鬱蒼とした森と担い手がおらずに放置されたままの畑と、時刻表の空白が圧倒的に多いバス停だけだ。

リサ

ちょっと。暇なら手伝ってよ

コウヘイ

バイト代は?

リサ

無料で

コウヘイ

断る

リサ

ケチだなあ

コウヘイ

労働には対価が必要だ。なんでも無料で手に入ると思うのは魂の堕落の第一歩

ミユキ

おや、なかなかインテリぶった言い回し

コウヘイ

姉ちゃんが言ってた

リサ

やっぱり

 コウヘイの姉は都会の大学に進学している。
 あまりにも珍しい出来事だったので、四条清水の住民たちはコウヘイの家に集まって大宴会を催し、町へ向かうバスを万歳三唱で送り出した。ちょっとした出征の光景である。
 あくまで大学に合格しただけで、全国的に見れば、飛び抜けて頭が良いわけでもない。ただ、四条清水の水準からすれば、非常に高いと言える。すでに『末は博士か大臣か』と大人たちの間でささやかれているぐらいだから、その衝撃の度合がわかろうものだ。
 このあたりでは小学校に送り出すのすら渋る親が多い。『学校に行かせるくらいなら家の手伝いをさせた方がマシ。学ぶことはたくさんある』というのが言い分である。四条清水においては『漁師とコンサルタント』の逸話を地でいく家庭が主流派だ。

コウヘイ

ふたりともよ、卒業したらどうするんだ?

 コウヘイはお菓子の棚を眺めながら、ちらりと視線を飛ばしてきた。

コウヘイ

希望すれば、もちろんここで店員も続けられるだろうけど。こんな田舎じゃ、せっかく学んだことも使えないだろ?

ミユキ

考えたこともなかった

コウヘイ

おいおい

ミユキ

いやあ、私にとっての世界って、ここだけだしさ

コウヘイ

そんな幸せな時代じゃねえんだよ。田舎だって世界とのシェアの食い合いだ

ミユキ

お父さんもそう言ってた

リサ

うちも。インターネット使ってPRしていかないと、大変みたい

ミユキ

コウヘイ。結婚したげるから、養ってよ。私はここでのんびりお店してるから

コウヘイ

やだよ。俺は都会へ行って、サラリーマンになるんだ

ミユキ

社畜だー

リサ

社畜だよ

コウヘイ

この店を続けるのだって家畜みたいなもんだろ?

ミユキ

家畜と社畜は違いますーぅ

リサ

どうしよっかなぁ。ちょっと『共産党宣言』でも読んで活動家になろうか

コウヘイ

テレビくらいは見ろよ。もう左翼なんて流行んないぜ。過激派扱いされるだけだ

ミユキ

でもでも、『公安にマークされる』ってかっこよくない?

リサ

家に迷惑は掛けたくないな

コウヘイ

いっそ『我が闘争』を読んで独裁者になっちまえばいい。人間ってのは支配されたがってる生き物だ。面倒事が嫌いだから、全部他人の責任にしたがる

リサ

責任って言葉は嫌い

コウヘイ

そりゃ、本のコーナーにタッチしないくらいだもんな

リサ

責任……とってね?

コウヘイ

やめろ

 ミユキはふたりを指さして大笑いした。
 大笑いしてから、ふっと憂鬱な表情を見せる。

ミユキ

こんな時間も、終わりがあるんだなあ

リサ

まだ先の話じゃない

ミユキ

そうだけど

リサ

その日の自分に任せりゃいいの

コウヘイ

今日できることは今日やれとも言うぞ?

リサ

別れの悲しさなんて、その日にならないとわからないでしょ。うちのお父さんが死んだ時もそうだったし

コウヘイ

それもそうだなあ

ミユキ

そんな湿っぽい話も吹き飛ばすアントニー・バークリーの『毒入りチョコレート事件』がこちらになっています

コウヘイ

お前、もうコンビニじゃなくて書店員やれ!

ミユキ

書店もやるからコンビニエンスなんだよぅ

 カウンター下から取り出したアンチミステリの古典に、コウヘイが放擲するようなツッコミを見せたのも無理はない。
 ちなみに、ミユキはこういう展開のために仕込んでいたわけではなく、たまたまそこに再読のために置いておいたのである。迷探偵シェリンガムを始めとする推理の迷走が楽しいこの作品は、ミユキのお気に入りだった。
 これが『バレンタインデーに毒入りのチョコレートが出てきてさあ大変!』な内容でないあたり、彼女の女子力の欠如を物語っている。

ミユキ

明日は晴れるかな

コウヘイ

晴れらしいぞ

ミユキ

明後日も?

コウヘイ

うん

ミユキ

ずっとずっと、晴れならいいのに

コウヘイ

そうなりゃ、どこの家も上がったりだよ。大干ばつだ。じゃあな

 コウヘイは去っていった。
 ミユキはしばらくその背中を見つめていて、リサがさらにその光景を眺めていた。

リサ

雨が降る日もあるから、傘は売れる

ミユキ

でも、私は晴れてる方がいいな

リサ

飽きるよ。晴ればかりだと

ミユキ

その時は水浴びするよ

 ミユキはペットボトルの緑茶を飲んだ。
 それから、チョコレートをひとつまみ食べて、『毒入りチョコレート事件』を読み始めた。
 いつも食べているチョコレートが、少しだけビターに感じた。

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