◆ 渇きを癒やすために

 今夜も爺さんを捜して夜の町をうろついている。収穫は無しだが。

エンリケ

ファンテ。たまには別れて捜してみようか?

ファンテミオン

あたしがいなくて大丈夫? ガーネットとかいう奴と遭遇したらどうするの?

 それはそうだが、二人固まって捜すのも効率が悪い気がする。俺が思案していると、ファンテはにっと笑った。

ファンテミオン

でもたまにはそうしてみよっか。あたしはエンリケと一本道を挟んだところを探索してみる。そしたらすぐ駆け付けられるでしょ

エンリケ

そうだな。そうしてもらおうか

ファンテミオン

よし、決まり!

 ファンテはそう言い、足早に向こうの通りへと姿を消した。
 俺は一人になり、周囲に気を配りながら歩き始める。

 明るく騒がしい町の夜。この辺りは住宅街だから、繁華街に比べて暗いのは確かだが、それでも点々と灯る街灯は明るい。そんな街灯の陰に誰かが隠れているんじゃないかと、俺は少々怯え始めてしまった。
 一人になると極端に気弱になってしまう。俺の悪い性癖だ。
 街灯の下に誰もいない事を確認しながら歩く。爺さんの姿を捜して、ガーネットの気配に怯えて、俺はゆっくり歩を進める。
 大丈夫だ。ファンテがすぐ傍にいる。念を飛ばせばすぐ駆け付けてくれる位置にファンテがいる。何度も自分に言い聞かせる。
 幾つ目の街灯だったろうか。俺はあの神社の傍まで来ていた。そこで懐かしいにおいを捉える。
 においは爺さんのものでなく、血のにおいだ。ヴァンパイアが好むにおい。
 俺はソロリソロリとにおいを辿った。どうにかしてやろうという気はなかったが、誰かが怪我をしているのなら、助けなければいけないと思ったからだ。

エンリケ

誰かいるのか?

 神社の石段の下に、自転車が倒れている。その傍に、誰かが蹲っていた。

エンリケ

どうしたんですか?

美晴

自転車で転んじゃって……って、エンリケ?

 暗がりにいたのは、美晴だった。短いスカートから除く膝小僧が血でベトベトになっている。派手に転んだらしい。

エンリケ

美晴か。間抜けだな

美晴

うるさいなぁ。ちょっと大きな石を避け損なっちゃったのよ。暗くてよく見えなくて

 そうか。俺たち闇の住人には、街灯は充分明るいと感じるが、人間の目にはまだまだ薄暗い灯りでしかないんだ。これは新発見だ。

美晴

でもあんたに会えるなんてラッキー! 携帯の充電も切れて、誰も通らないしどうしようかと思ったんだ。悪いけどウチまで送ってよ。美雨はいい子ちゃんだからもう寝てるだろうけどね

 美晴は厚かましい頼み事をしてくる。俺は苦笑しながら自転車を起こした。

エンリケ

後ろ、乗れよ。俺が押すから

美晴

うん

 美晴は自転車の荷台に座り、体を支えるために片手でサドルを握った。俺はハンドルを押して歩き出す。

エンリケ

こんな夜中なのに一人で出歩いてたのか?

美晴

習い事だよ。アタシこれでもピアノを習ってるの。その帰り

エンリケ

見えないな。お前がピアノを弾く姿なんて

美晴

結構上手いんだよ?

エンリケ

なら学校の音楽室で証拠に聞かせてもらおうか

美晴

望む所よ

 おれたちは談笑しながら、美晴の家へと向かっていた。
 美晴のピアノの話に始まり、学校の授業の事、家での事、いろんな事を話した。今週末、桐原との話し合いがあるが、あえてその話題は避けてやった。気負い過ぎてもいけないと思ったから。
 美晴は少々気の強い厚かましい奴ではあるが、話してみるといい奴だと分かる。悪友とは言わないが、話していて飽きない人間だった。

 美晴の家へと向かう最中、俺はふと美晴の血のにおいに酔い始めている自分に気付いた。ヴァンパイアとしての本能が、血のにおいに過敏になってきたらしい。
 いやいや。美晴を吸血する訳にもいかないし、俺は吸血行為ができないんだ。血のにおい程度に酔ってどうする?

エンリケ

美晴。怪我したトコ、ハンカチか何かで抑えろよ。血のにおいがちょっと……

美晴

もうすぐウチじゃない。ハンカチ汚れちゃうから、あとちょっとくらい我慢してよ。触ると痛いんだから


 俺の願いを拒否する美晴に、俺は眉を顰めた。
 できないはずの吸血欲求が込み上がってくる。ダメだ! 何を考えているんだ、俺は!
 必死に本能を押し込めようとする。だがそうすればそうするほど、俺の中の欲求は肥大化していった。喉の乾きが堪え切れないものとなっていった。
 ……少しだけ……小さな傷を作る程度なら。

エンリケ

美晴

美晴

なによ?

 俺は自転車を停め、美晴に向き直った。美晴は訝しげな顔をする。

エンリケ

美晴、ちょっとだけ、夢を見ていてくれ

美晴

え、なに? きゃっ!

 俺は美晴の顔の前に手を翳し、チャームの魔法を放った。
 途端に美晴の瞳から光が消え、彼女の意識が飛ぶ。夢現(ゆめうつつ)となり、フラフラと体が揺れる。チャームの魔法が効いたんだ。

エンリケ

美晴、ちょっとだけだから

 俺は美晴の手首を掴み、その白い首筋を引き寄せた。自転車の荷台から美晴の体が滑り落ち、俺に寄りかかってくる。俺は彼女を抱いて、首筋へと噛み付いた。

 甘く、辛く、切ない味が喉を通る。乾きが急速に癒やされていく。
 ああ、俺はやっぱりヴァンパイアなんた。血が俺の喉を潤す。俺の本能がもっとくれと要求してくる。
 美晴、もう少しいいよな? チャームが効いているから、目を覚ませば何も覚えていないはずだから。
 俺は無我夢中で美晴の血を貪り吸った。魂の欲求に素直に従い、目の前の獲物に食らいついていた。

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