午後一番の授業を終え、俺は休憩時間に保健室を訪れた。桐原は自習していたらしく、英語の教科書を見ながらノートに何かを書き留めていた。

エンリケ

よう、桐原

美雨

ダミルア君。こんにちは

 桐原は教科書の上に手を置いて、小さく微笑む。

エンリケ

突然なんだけどさ、今週の日曜、昼から空いてるか?

美雨

え?

 桐原が驚いたように目を見開いた。

エンリケ

まだ美晴とちゃんと話し合ってないって言ってたよな? 俺が間に立つから、あいつとちゃんと話し合ってやってくれないか?

美雨

美晴、と?

 桐原は困った様子で眉を顰めた。だがすぐにコクリと頷く。

美雨

そうね。いつまでも先延ばしにしてたら、ダミルア君も心配だよね

 思ったより早く、桐原は決断してくれた。

美雨

わたし、美晴と話し合ってみる。ダミルア君が間に入ってくれるなら、美晴だって乱暴な物言いはしないだろうし

エンリケ

よし、決まりな。そんなに改まる必要ないからな。だって桐原と美晴はもともと姉妹なんだし

美雨

ええ

 僅かに緊張しているのか、桐原は口元に手を当てて視線を逸らしている。やぱり美晴と同じように、直接話し合うって事に恐怖心を抱いてるんだろうか?

エンリケ

怖いか?

美雨

ええ、少し

 教科書を閉じ、桐原はふっと吐息を洩らす。

美雨

だってもう何年も、美晴とはちゃんと口を利いた事がないんだもの。いつもキツく命令されるだけで

 美晴だって桐原に対して恐怖心を抱いてるんだけどな。それは言わずに置いた。

エンリケ

桐原ならちゃんと話し合える。桐原は優しいし人の痛みが分かる奴だ。きっと美晴と仲直りできるさ

美雨

うん。わたしも……美晴と仲直りしたい

 桐原はそう呟き、両手を胸に重ねた。

美雨

怖くてドキドキする。だけどダミルア君がいるなら勇気が出せる。わたし、美晴と話し合えると思う

エンリケ

ああ、できるさ

美雨

ありがとう。わたしたちのために骨を折ってくれて

エンリケ

気にするな。俺が言い出した事だからさ

 そうだ、俺が言い出したんだ。お互いに話し合って解決しろと。だから俺には最後まで見届ける責任がある。
 改めて自分の口にした事柄に責任の重さを感じ、俺はキリリと唇を引き結んだ。

 キッチンの奥へ姿を消したばあさんに見つからないよう、ファンテの平らげた生姜焼きの皿と俺の手付けずの皿を交換し、俺は食べた振りをするために、皿に残った脂を唇に付けた。
 俺とファンテは学校の終わる時間が中途半端だからと、じいさんとばあさんとは、夕食の時間をずらしてもらっている。だからいつも二人きりの夕食だ。

ばあさん

おや、エン君はいつの間に食べちゃったんだい?

 テーブルに戻ってきたばあさんの声を聞きながら、俺はさっき唇に塗った脂をティッシュで拭う。

エンリケ

ばあさんの味付けが美味かったから、一気に食べちまったんだ

ファンテミオン

本当におばーちゃんのお料理は美味しいよ

 ファンテも一芝居うってくれる。そしてモリモリと二皿目の生姜焼きを食っていた。

ばあさん

そうかい。嬉しいねぇ

 ばあさんが心底嬉しそうに笑う。優しいばあさんだ。だからこそ、嘘を吐くのが心苦しい。

ばあさん

じゃあ私は居間に戻ってるから、食べ終わった皿は流しに置いておいていいからね

エンリケ

いつもありがとう

 礼を言い、俺は残りのサラダを口へと運んだ。
 ばあさんがリビングへと姿を消し、俺はファンテに話しかける。

エンリケ

ファンテ。今日の昼間、お前に提案してもらった通り、今週の日曜に桐原と美晴と話し合いに立ち会ってくる。だから土曜の夜の爺さん捜しは休みだ

ファンテミオン

あんたも本当に物好きだね。人間に深入りするなって言ったのに、もう逃れられないらいくらい深入りしちゃってるじゃない。後で面倒な事になるよ

エンリケ

仕方ないだろ。そうなっちまったもんは

 俺だってこの町に来た当初は、桐原や美晴とこんなに深く付き合う事になるなんて思わなかったさ。けど毎日顔を合わせるんだ。それなりに情も湧くし感情だって変化する。
 確かに後々、面倒な事になると思う。爺さんが見つかって故郷に帰る時、二人の記憶を消さなきゃならないとなったら、二人の関係を変化させてしまった俺という存在を記憶から抹消するにはかなり深い消去の魔法を使わなくちゃならない。それは多分爺さんに任せられると思うけど、いざとなったら、俺がその魔法を使わないといけないかもしれないわけで。そうしたら必然的に俺は翌日昏倒という未来が待っている。
 はぁ……嫌だとは思わないけど、ファンテの言う通り、厄介な事に首を突っ込んでしまった。なるべく人間とは付き合わないようにと思ってたのになぁ。
 でも桐原や美晴に出会った事に関して、後悔はしていない。それぞれに魅力的な女の子だし、後々面倒であっても、今現在が楽しい時間を過ごせているんだから。
 他人を自分のレールに介入させて、楽しいと思える事なんて今までなかったんだ。これこそ他人と関わる事の醍醐味なんだと、俺は生まれて初めて悟った。
 桐原と美晴に出会って関わる事に後悔はない。俺は二人がそれぞれに大好きなんだ。

エンリケ

ファンテ、食い終わったらいつもの〝散歩〟な

ファンテミオン

ほいさ。今日も働くよん

 ファンテの二皿目の生姜焼きはすでに食い尽くされていた。本当にこいつの胃袋はブラックホールだな。

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