木々が入り組みすぎていて陽があまり差し込んでいないのか、あたりが暗くなってきた。
周りの木も、心なしか歪なものが増えてきたような…
それでも兎は森の奥へ、奥へと進んでいく。
僕は不思議の国のアリスを思い出した。森の奥には穴があるのだろうか?
既に不思議の国に来てしまっている僕にとってはつまらないお話だ。


ようやく、止まった。
森の奥の奥にあった、綺麗な泉。どうやらそこが終着点らしい。
先人は言った。水を飲んでいる動物ほど、狩りやすい的はないと。
静かに、矢を振り絞る。弦が音を立てないように。荒い息を吐かないように。
そして、矢を放った。

キュイッと音がして、『ゲムマ』という名前の兎が地に倒れた。
はて、随分と呆気なく終わってしまったが、こんな兎の肉を食べて幸運になれるのだろうか?

ふむ…


近づいてみる。
ちょうど首を射ぬいたようで、多少の血が泉に薄く広がっていた。
この兎は身もさることながら、角も霊薬の材料として高く売れるのだ。嬉しくてうずうずとしてしまう。
これでしばらく両親に頼ることなく生活できるからだ。
なので丁重に兎をリュックの中に入れた。

さて、こんどこそ帰ろう…


僕だって漫然と兎の後を追ってきたわけじゃない。
ちゃんとところどころの木をナイフで切り付けて目印にしている。
そして、帰ろうとしたその時だった。

オォーン…


そう、泉の向こう側から声がしたのは。
暗い森の中だから、そこまでは目を凝らさなければ見えなかったのだ。そして見えたのは…

ド、ドラゴン!?


竜だ。ドラゴンだった。
そう認識した瞬間、走り去るべきなのだけれど。距離があることもあってついまじまじと観察してしまった。眼はいい方なのだ。

やけに弱々しい声だと思ったら、怪我をしていたのか…


ひどい怪我だった。
片目には矢が突き刺さり、アメジストを思わせる色の光沢ある鱗はところどころが剥がれていた。
肩や尻尾には剣、斧、槍など様々な武器が突き刺さっており、見るからに痛々しい。

…助けなきゃ


そう、思った。
竜はこの世界の生き物の中で最も有用で、最も危険な生き物だ。
知性ある竜は人間との交流を望み、悪意ある竜は人間を蛇蝎の如く嫌った。
この国、セルウァ=ソクラテナス王国の王都にも王国竜騎隊という男なら一度は憧れる軍隊がある。
僕なんぞは才能がからっきしだから、なれるはずもないのだが。

泉を見ても深くはなさそうだったので、そのまま渡った。
泉を抱えるようにしてうずくまっている竜は、子供の僕から見ると小山のような大きさだ。
どうやら眠っているらしく、未だにこちらに気づかない。

でもどうやって助けようか。できれば刺さっている剣を抜きたいのだが…
そうやってさらに近づく。それが、迂闊な行動とも知らずに。

え…


いきなり、竜の眼が開いた。鱗と同じ、深い紫の、爬虫類じみた目。…殺意のこもった目。
そこからはあっという間だ。
いきなり尻尾でふっとばされて、体は木に打ち据えられた。
頭でも打ったのか。ぐわんぐわんと視界が回って立ち上がれそうもない。
そこにヤツが近づいてくる。傷ついた体を引きずりながら、泉を渡って。

ああ、俺、死ぬのかな…


ミカエラの顔が浮かんでくる。帰るって約束したのに。人に嘘をついちゃいけないのに。
でも、体は動かない。
とうとう、竜の生臭い息が顔にかかってしまった。
死神の吐息は、熱っぽい。

あーあ、こんなことならゲムマの肉を自分で食べとくんだった


そして肩から胸にかけて、その鋭い牙がかみついてきた。
命の潰れる音が、聞こえる。
さようなら、第二の人生。また、どうしようもない結末か。


僕の意識は、暗い暗い海の底へ沈んだ。

pagetop