うー、またこんなの……

一日最後の授業を終えて私は机に倒れこんだ。一日の締めは数学の小テスト。結果は散々。マルよりバツの方が数が多い。中間考査だってもうすぐなのに。合唱のコンクールだってある。うちは特別厳しいわけじゃないけど、あんまり悪い点ばっかり取ってると部活やめさせられたりしちゃうのかな?

教室は私と同じ溜息が半分。気にもしていないのは半分。斜め後ろに座った小晴は、後者の方だ。ここからはテスト用紙の表側は見えないけど、きっと満点なんだろうな。

恨めしそうに睨む私の視線に気付いたみたいで小晴はこちらを見てにっこりと微笑んだ。別に何でもないのに右手を小さく振っている。付き合いたての恋人か、と思わずツッコミたくなった。

小晴、さっきのテストどうだった?

HRまでの短い休憩時間。帰り支度を始めるクラスメイトに倣う前に私はまたうつらうつらと頭を揺らしている小晴の元に駆け寄った。

小晴

う~ん。普通だよ

きちんとファイルにしまったテスト用紙を恥ずかしげもなく私に手渡す。面倒でノートに挟み込んでしまう私とはこの時点で出来が違う。見たいようで見たくなかった小晴の点数は当然の満点。わかっていたけど、自分との違いに結構傷つく。今日はちゃんと復習しよう。

小晴

どうしたの?

肩を落とした私の気持ちなんてきっと小晴には逆立ちしてもわかんないんだろうな。

私はあんまり良くなかったから

小晴

じゃあ、今度のテストまでに一緒に勉強しようね

……お願い

こんな優しいところも小晴の美徳だ。だからどんなにすごくても絶対に嫌いになんてなれない。

小晴

天ちゃん今週は掃除当番なんだっけ?

うん、だから先に部室行ってて

HRを終えて、うーんと固まった体を伸ばす。掃除用具の入ったロッカーから箒を取り出して落ちた塵を一箇所に集め始める。クラスに一台ずつ掃除機でも置いてくれればいいのに。そうすれば当番も今の半分くらいで済んで早く部活に行けるのに。

ほんの少しの短い時間。きっと部室では他の当番の子達を待って練習もせずに皆話し込んでいるに違いない。それなのになんだか皆から遅れてしまいそうで妙に不安になるのだ。

早く済ませよう。そうすればこんなことを考えなくて済む。今日は思いっきり声を出して気になることを全部吐き出してしまえばいい。箒を持つ手に力が入る。イマイチ乗り切らない他の当番の子を尻目に私は急いで散らかった床を掃き続けた。

――それだと言うのに。

なんでじゃんけん負けちゃうかなぁ

掃除当番の最後の仕事。それはゴミ捨て。それほど多くないし、外は暑くも寒くもないから今はそれほど辛くない仕事だ。ちょっと教室から遠いことを除けば。片手で振り回せるくらいの軽いゴミ箱を持って、ブラブラと私は体育館脇のゴミ捨て場に向かっていた。音楽室はちょうどゴミ捨て場からすぐの多目的棟の三階。このまま教室に戻らずに部室に向かってしまいたい気分。

ま、そういうわけにもいかないんだけど

ゴミ箱はちゃんと元に戻さなくちゃいけないし、カバンだって教室に置きっぱなし。また階段を上がらなくちゃいけないと思うと気が重くなる。ゴミ捨て場の大きなゴミ袋に中身を移して、そそくさとその場を立ち去ろうとした。こんなところにいたって何もいいことはない。

でも目の前に映った人影を見て、私は思わずコンクリートブロックで区分けされたゴミ捨て場の陰に身を潜めた。

五十嵐

――のことなんだけど、小晴ちゃんはどう思ってる?

小晴

――私も、好きです

五十嵐

そっか。じゃあそう伝えておくよ

体育館の裏側はたまにバレー部がトスの練習をしているくらいでほとんど人なんていないはず。もし話をするとしたらそれは誰にも聞かれたくない秘密の話だ。それを盗み聞きなんてよくないってわかっていたけど、小晴の後ろ姿を見て素通りすることなんて出来なかった。

あれは、合唱部の五十嵐先輩。面倒見がよくて私たち二年生からも今年入ったばかりの一年生からも頼られている。なんで部長にならなかったんですか、って聞いたら、香織が泣くからって笑っていたけど、本当の理由は教えてもらえなかった。

その五十嵐先輩が小晴に何の用だろう? それにわざわざこんなところで。

さっきの話を思い出してみる。遠くてよく聞こえなかったけど、なんだか好きとかなんとかかんとか。

もしかして、告白?

いやいやまさか。だって五十嵐先輩は女だもん。じゃあ誰かの代わり? 面倒見がいいからちょっと探りに来たとか? でも合唱部は女子しかいないし、先輩の知り合いの男子とか?

でも小晴なんていつも教室でぽけーっとしてるし、朝も放課後も帰りも私と一緒だから男の子と接点なんてないはずだし。

だからこそ五十嵐先輩が間に入ってたり!?

思いつくことが頭の中を走り始める。高速で回るメリーゴーランドみたいに。同じようにゴミ捨てに来た人が不思議そうにこちらを見ているのに気付く。いったい何人に見られたんだろう。小晴も五十嵐先輩もいつの間にかいなくなっていた。音楽室に向かったのかな。

気になるなら聞いてみればいいじゃない。そう自分に言ってみるけど、急に部室に行きたくなくなったのはどうしてなんだろう?

教室で自分のカバンを掴んで廊下をゆっくりと歩いて音楽室に向かった。いつもより階段の数が減ったような気がした。掃除当番だったからかなり遅い到着になったけど、まだまだ部員はおしゃべりの途中で基礎練習も始まっていない。思わず五十嵐先輩と小晴の姿を探す。二人とも別の部員と話しているみたいでほっとした。

部活が始まってからも小晴のことが気になってしょうがなかった。いつもは半分寝ているようなぼんやりした瞳も今日は爛々と輝いてとても嬉しそうに見える。私が小テストで満点取ったらこのくらい浮れてるかもしれないけど。小晴じゃいつものこと過ぎてあくび一つで終わりそう。その理由が気になって、私は小晴が乗り移ったみたいにぼんやりとした頭で小晴を見つめていた。

二人っきりの帰り道。聞こうと思ってもなかなか聞けない。なんでも言えると思っているからこそ、相手が言わない理由を探ってしまう。

小晴、何かいいことでもあったの?

小晴

どうして?

なんかすごく楽しそうだし

小晴は気持ちが簡単に顔に出る。いつものぼんやりとした様子も中身がそのままだって知っている。だから隠し事はびっくりするくらい下手で、去年の誕生日プレゼントも朝からそわそわしているのが丸わかりで素直に驚いてあげられなかった。

小晴

天ちゃんは私のことすぐわかっちゃうね

小晴の場合は誰でもわかると思うけど

夕日に向かって歩きながら、小晴はちょっと悔しそうに道端の小石を蹴った。あまり飛ばずにころころと転がって、マンホールの窪みに挟まるように止まる。

小晴

そっか~。今日ね、とってもいいことがあったの

そうなんだ。どんなこと?

小晴

う~んとね、まだ秘密だよ

日に日に暑さを帯びていく夕日に照らされて、アイスが溶けるみたいに小晴の顔がふにゃりとほころんだ。

そっか。私には教えてくれないんだ。

隣で速度を合わせて歩く小晴が急に遠くなったように感じる。手を繋げるくらいの距離なのに手を伸ばしても届きそうにない不思議な感覚。

だったら今日の放課後五十嵐先輩と何話してたの? そう聞けばいい。小晴は嘘がつけないからごまかそうとしても出てきた言葉を繋ぎ合わせればその内容はわかってしまう。

でもそれはやっぱりずるいのかもしれない。

私の言葉の意味を小晴はどのくらい理解しているのだろうか?

いつもと変わらない眠たそうな目で不思議そうに私の顔を見つめているけど、賢い小晴なら私の頭の中を覗き見るように気持ちを全部わかってしまっているようにも思える。

いつかは教えてくれるの?

小晴

うん、いつかはね

今はこの約束を信じることしか弱虫な私には出来ないみたいだ。

con spiritoⅡ

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