百人一首の解説をしていた笹塚先生とそれを聞いてくれているトオル君。

「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」

(訳)秋の田の仮小屋の屋根が粗いので
水がしたたって、衣がぬれている。

トオルは先生の問いかけに対して、この歌は「そこに居ないひと」が詠んだのではないかと想像した。

この歌の詠み手が先生と仮定して、仮小屋で作業するトオル君のことを詠む先生の気持ちって??

笹塚先生

さあ、なんで

トオル

ドキドキ…

笹塚先生

俺はお前のことを

トオル

ドキドキ……

笹塚先生

詠むんだ?

トオル

…さあ?

笹塚先生

じゃあヒント

トオル

ほっ

笹塚先生

たとえば、先生は貴族だとしよう

トオル

それで?

笹塚先生

俺は牛車(ぎっしゃ)に乗っている

少し考えて、先生は口を開いた。

笹塚先生

…秋だし、紅葉狩りにでも行ったんだろう

その日、貴族笹塚はお供を連れて紅葉狩りに出掛けた。

トオル

ほう

笹塚先生

それで俺はお前のいる田んぼの傍を通りかかった

貴族笹塚は牛車に乗って、のんびりと山道をいく。

トオル

そこを通りかかったとき、貴族笹塚は不意に思い出す。

あの少年がいたのは確かこの辺りだったと…

笹塚先生

使用人に牛車を止めるようにいう

トオル

ど、どうしよう

そこは谷間に作られた田んぼ。
日に照らされて、山々の紅葉が黄や赤に照り輝く。
美しさに思わず目を細めるほど。
その田んぼの脇に…この時期ならばあるはずだ…

笹塚先生

そこで俺は簾(すだれ)を上げて

トオル

なんか

笹塚先生

お前がいるだろう小屋を

トオル

ドキドキする

笹塚先生

探すんだ

トオル

笹塚先生

お前はどうしているだろうかと

さる夏の日、貴族の乗る牛車の前に飛び出した野良着の少年は、怯えた眼をしていた。
牛車ががくりと急停止したため何事かと御簾をあげると、今まさに使用人が罵声を浴びせるところだった。
「やめよ」
貴族は使用人に命じた。
満足に食を得られない体はやせ細り、夏だというのに震えていた。
「……」
少年は、慌てて立ち上がると何も言わずに森へと消えていった。

 
あれから数か月、貴族は再びそこを通りかかる。

トオル

気になるんだ…

「今」と「昔」がシンクロする。

笹塚先生

今は秋だからきっとあの小屋にいるだろう

トオル

こうして毎日会っても

笹塚先生

あの小屋の中は寒くないだろうか

トオル

わかんないのに

笹塚先生

きっと寒いだろうな。だって

トオル

だって

笹塚先生

あんなに屋根が粗い

トオル

だってこんなに…

人の「想い」が言葉となる。
言葉は時空を超えて、人を繋ぐ。
人が何かを想う時、言葉は口にのり、紙にのり、願いを叶える。

笹塚先生

で、別人が詠んだんだけど、

笹塚先生

天智天皇の人柄を偲ばせる句として
採用された~

それは「甘い蜜」か、それとも「毒」か…

笹塚先生

みたいな?

トオル

…へ~

笹塚先生

え? なんか反応薄くね?

トオル

いや、別に?

笹塚先生

面白かったか?

トオル

うん。まあまあかな

笹塚先生

まあまあか…まあいいか。
おし、じゃ次は…

トオル

よかった

笹塚先生

うん?

トオル

今がそんな時代じゃなくて

笹塚先生

ああ、そうだな

窓から西日が差し込み、先生の顔が照らされる。
眩しそうに目を細める先生からは、きっと見えない。

以前より少し表情が柔らかくなったトオルが、
先生のとび色の瞳を必死に脳裏に焼き付けようと
見つめている、その、恋する瞳が。

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