四月の、ある日の朝。
 俺――九十九彰人(つくも・あきと)――は、この後に、観想学園高等部の入学式を控えており、その為の身支度をしているところだった。

九十九彰人

うーん……本当に、高校でもこの恰好を突き通すんだろうか……。

九十九彰人

流石に慎重になるべきじゃないか?
絶対、ヘンな目で見られるぞ……。

九十九彰人

とはいえ慣れちまったし、むしろこの方が、なんていうか、安心感が有るっていうか、しっくり来るんだよなァ……。

 そう――俺は、中学生時代、ワケあって、女装して学校に通い続けていたのだ。
 それは決して、俺が変態や奇人の類であるからという事ではなく、止むに止まれぬ事情あっての事だ。

九十九彰人

"また"男に告白されたりしたらヤだなぁ……。

 そんな事を、ひたすら一人で考え込んでいると、自室の扉が、ノックも無しに開けられた。

零里洲

おはよ~、アキ姉……じゃなくてアキ兄だった!
ママが、朝御飯出来たから早く来いってさ。

九十九彰人

はいはい。
っていうかいつも言ってるけど、ちゃんとノックしなさい、レーリスよ。

 コイツは、俺の妹を名乗る謎の女、レーリス。
 俺が中学生になって間もない頃、突然現われた女だ。
 何故か親は、コイツが、まるで最初から家族であるかのように受け入れている辺り、何かがイカれている事は明白だが、考えても分からないので、今は気にしない事にしている。

零里洲

ゴメン。つい、ね。
別に、アキ姉がいやらしい事してるのを見ちゃおうとか、そんなんじゃないよ。

九十九彰人

するとしても、わざわざこの恰好でしねえよ。

零里洲

そんなあ!
常々思ってるけどさ、アキ姉はその見た目を生かして、色々とエンジョイしちゃいなよ。せっかく可愛いのに勿体無い! 勿体無いよ!

九十九彰人

お前、ヒトを何だと思ってやがる……。

 自称妹と茶番を展開していると、下の階から轟音がした。

 最近、妙に怒りっぽい母が、キレて暴れ始めたのだ。
 仕方がないからそろそろ降りていこうと、部屋を出ようとした――のだが。

 うっかり、テーブルの脚に小指をぶつけ、そのまま勢いよく転んでしまった。
 そして、転んだ先にはレーリスが。
 不可抗力ながら、彼女の股の間に顔を突っ込む事となってしまった。

零里洲

ちょ、もう……。
注意しなよ――って言っても無駄か。

九十九彰人

ああ、すまんな。
それにしてもお前な、未だに何処からやって来たのか分からんが、ホント、パンツを穿く習慣位はつけろよな。常識だぞ?

 自称妹の股に顔を突っ込んだまま、説教する俺。
 いつも言っているのだが、コイツは、俺の言った事を全然聞いちゃいない。
 困ったものだ。

零里洲

ええ~。何か、違和感あるじゃん……?

九十九彰人

お前、ただでさえ見た目可愛いんだから、もうちょっとな……まあいいや。

九十九母

遅いんだよもーー! プーだよ、プー!
ママ怒ってるんだからね!
ママが呼んだらすぐ来ること!

 ダイニングでは、母が縦横無尽に暴れまわっており、それを父が宥めていた。

九十九父

まあまあ。その辺にしておきたまえ。
そんなに怒っていたら、御飯の味も落ちてしまうよ。

 何かにつけてやたらとキレる母に対して、父は非常に温厚であり、よく彼女を落ち着かせようと奮闘している。

九十九母

うーん……まあ今日はアキちゃんの入学式だし、特別に許してあげます。
今度怒らせたら容赦しないんだからね!
絶対に気をつけること!

九十九父

すまんな、彰人。最近、いつも以上に気が立っていてな……。

九十九彰人

は、はあ……。

 母が何故これほどに怒りっぽいのか、俺には分からないので、何とも言い難い。
 昔は父と同じ位、優しかったんだが――。

 諸々の雑談をした後、朝食を終え、出かける俺。

 これから向かう新しい環境に、九割の不安と、一割の"期待"を寄せつつ、歩みを進めていく。

九十九彰人

……ん?

 ふと、正体不明の違和感を受けた俺は、何となく、制服の襟を引っ張って、自身の胸元を見てみるが、特に何かがあったワケではなかった。

 中学生になった辺りからだろうか。しばしば、こうした、正体不明の違和感に襲われるようになった。
 何かがおかしいのは感じるけれど、それが何だか説明できない、といった感じだ。
 レーリスの件と同じく、アレコレと考えても、どうせ分からない事なので、あまり拘泥しないようにはしているが。

九十九彰人

ここが観想学園高等部か……。
ここは、俺に"まともな学園生活"を与えてくれるのかな……。

九十九彰人

いいや、過度な期待はしないでおこう。そもそも、"期待の度合いが低いからこそ、この恰好で来たんだし"。

 つい物思いに耽ってしまい、校門の前でぼーっと突っ立っている。
 そんな俺の背中に、力が掛かった。

九十九彰人

うわぁっ!?

 後ろから押し倒される形で、地面に倒れ込む。

九十九彰人

痛ってえ……お?

 うつ伏せで倒れた筈なのに、いつの間にか仰向けになっていた俺の掌に、なにやら――とはいっても、予想はつくのだが――、柔らかい感触が。
 これは間違いなく、女性の胸だ。しかもそこそこ大きい。俺には判る。"慣れてるからな"。

痛ぁ……何をぼーっと突っ立てるのよ……って!

 話し方が少々剣幕を帯びていたので、つい身構えたが、そういえば今の俺は女装をしていたという事を、すぐに思い出す。

 果たして、俺は特に顔やらを打たれる事も無く、豊かな胸を思いっきり掴んでいる手を、軽く払われるだけで済んだ。

こ、今度からは気をつけなさいよっ!

九十九彰人

ああ、ごめん、ちょっと考え事してて……。

 妙に慌てた様子で、入学式が行われる体育館の方へ立ち去って行く女子。
 突然ぶつかってコケた事で、周囲の視線を集めてしまったので、居た堪れなくなったのだろうか?
 少なくとも、俺は居た堪れない。

 ああ――早速コケてしまったじゃないか。二つの意味で。

九十九彰人

はぁ……。
俺も行くかぁ……。

――続く!(多分)

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