校舎裏、一人の少年がぶつぶつと、まるで自分に言い聞かせるかのように言葉を溢れさせていた。その体は小刻みに震えるが、口元はうっすらと笑みを浮かべている。
僕は何も間違えてない。先生も手伝ってくれた。憧れのあの人の真似も上手に出来た
校舎裏、一人の少年がぶつぶつと、まるで自分に言い聞かせるかのように言葉を溢れさせていた。その体は小刻みに震えるが、口元はうっすらと笑みを浮かべている。
でも、先生が僕の作品をぐちゃぐちゃにするように言ったから……これじゃあ見てもらえない。あの人にも、見てもらえない。きっと綺麗な死体を作ったら、あの人が来てくれるのに
うっとりとした表情で空を見上げる少年の後ろから、小さな足音。妄想に囚われていたとはいえ神経の過敏になった少年の耳にその音はいともたやすく入っていった。
誰!?
振り返った少年は、目の前に現れた人間――逆光で顔は見えない――に対して露骨な警戒反応を見せる。ポケットに手を突っ込んだのは、いつでも刃物を出せるぞという脅しだろう。
現れた人間が何も喋らないことから、殊更に気味悪がり始めた少年はじりじりと後ろに下がり、このまま校舎の外側を回って逃げてしまおうと画策する。しかし、間合いを取ろうと離れると、目の前の人物は少しずつ間を詰めていく。少年が動かなければ何も動かないのに、後ずさりすればそれ以上の距離を詰める。それを数歩繰り返し、少年とその人物の距離が大分縮まった時だった。
お前は、美しくなりたいか
……え?
永遠の美しさが欲しいか
その言葉に、少年は一気に顔を輝かせる。美しさが欲しかったからではない。その言葉は、少年の憧れの人物の口癖であったからだ。
貴方は、もしかして
質問に答えろ
しかし、少年の反応とは裏腹に、その人物は感情を感じさせない声で答えを急かした。少年は、その様子に一瞬疑問を持つ。
自分の憧れのあの人は、もっと優しく尋ねると聞いた。勿論その人の顔も声も性別も、何もかも知らないけれど、噂ではそうなのだ。
――連続殺人犯、"アーティスト"。自らを芸術家と名乗る一人の気狂いが女性ばかりを狙って殺すという、半ば都市伝説のような人物。それが少年の憧れだった。
そして、そこまで考えて少年は一つの答えに至った。
"アーティスト"は、男を狙うはずがないじゃないか。
に、偽物
少年がそう呟くと、その人物はにやりと笑った。
本物だ。証拠を見せてやろうか
その言葉と共に、少年の耳が頭からぼとりと落ちる。
う、うわあああああああああああああ!
男を飾る自信は無い。それに――
血の付いた小ぶりのナイフを見るなり、顔を歪めた"アーティスト"は、もう一度ナイフを振るう。すると、少年の残っていたもう片耳が落ちる。
お前、才能無いからな
痛みと恐怖に震えながら、初めて少年はその人間の顔を見る。少年はその顔に見覚えがあると気付き、声を漏らした。
おま、えは――
言わせないとばかりにナイフが振り下ろされる。そして、少年の意識は闇へと沈んでいった。
校庭に今再び響くサイレンの音。校舎裏に集まった捜査官達は絶句する。今まで自分達が捜査していた場所で、捕獲するはずの犯人が無残な姿で息絶えていたからだ。
そこから少し離れた場所、恵司と音耶、鬱田は捜査官から話を聞いていた。
――出井桐子が殺人容疑で逮捕された。その知らせを聞いた時、一番憤慨したのは鬱田だ。
恵司、出井先生は誰も殺しちゃいないよな? 何で逮捕されなきゃいけないんだ! 音耶、冤罪だと証明してやれ!
その言葉に、恵司は黙り込んだままで、音耶は首を横に振る。
殺人の実行犯及びその協力者が校内に居り、実行犯が殺された。なら、協力者の方の犯行だとなるのは当たり前だろう。出井桐子も自供した
だが、出井先生がやったのはあくまで隠蔽工作だろう? 自分が犯人として出頭すれば、彼女の行動はまるで無意味じゃないか!
学校の保身に走った彼女が、学校に泥を塗る形になってしまう。それでは彼女の行動は思い切り矛盾していることになってしまうと鬱田は激怒しているのだ。双子よりもよっぽど性根の真っ直ぐした鬱田は、理に適っていない出来事には異を唱える性格だった。だからこそ、彼は苛められたとも言えるのだが。
……とりあえず、鬱田の欲しがってた答えは俺がやる。真実は闇の中だが、推測なら語れる
まず、窓の血文字だが、あれは被害者自身が書いたもので相違ないだろう。実行犯は引場守……彼は恐らく、鈴木伊緒に苛められた生徒だったんじゃないか? 復讐の一環で書かせたんだろう、殺す前にな。加害者も被害者も死んじまったから確認出来ないが
恵司
ああ、悪い。続きを話そう。そして、たまたま彼の犯行を見てしまったのが出井桐子だ。彼女は事なかれ主義だったんだろうな。証拠として、実際彼女は鈴木伊緒のやったことを把握していたにも関わらず解決したのは鬱田だった。これは、彼女が分かっていて何もしなかったことを表す。そうだろ、鬱田
恵司の言葉に、鬱田は黙り込んだ。心当たりがあるのだ。鬱田は嘘を吐くことが苦手な人間だったから、黙り込むことが即ち肯定を表すことも双子はとうに知っている。
彼女は事件を隠ぺいするために、まず美術室を真っ赤に染めた。それから、廊下に線を引いた。鈴木伊緒の遺体の損傷が激しいのはそのための血液を搾取したからだろう。染めた理由は前に言った通り、異常者の犯行に見せるためだ
じゃあ、何故麻衣に目撃させた。そんなことをする必要はないと思うが
まぁ、計算外ではあったろうよ。それでも出井は相当頭がよかったらしい。引場が沢近を校内に監禁し、麻衣に疑いを向け、出井が麻衣に事件を目撃させる。教師の言葉で美術室によって欲しいだとか特定の道を通れとかそういう事を言えば、麻衣は信じるだろう。何せいい子だからな
流石に無理があるだろう。駿河麻衣も教師のものとはいえ明らかに怪しい言葉に従うとは思えないぞ
だったらこう言ったんだ。『お兄ちゃんが迎えに来ている。美術室に迎え』とな
待て、より怪しいだろそんなの! お前らそもそも学校に彼女を迎えに来たことなんてほとんどないくせに!
いや、それだったら麻衣は絶対に来た
鬱田の言葉を否定したのは意外にも音耶だった。恵司は言葉を取られたのが少し気に食わないのか唇を尖らせ音哉を見る。しかし、音耶は構わず言葉を続けた。
麻衣は家族に対して酷く依存しているところがある。特に、俺と恵司、それから俺達の姉さんには強くな。……修学旅行の時の麻衣の事、お前も知っているだろう
……ああ
成程、と鬱田は頭を抱える。そう言えば修学旅行や合宿など、そう言った泊まりの行事がある時は必ず麻衣の母親か麻衣の姉が行先に同行していた。長時間家族から離れてしまうとヒステリーを起こしてしまい、周りの生徒に危害を与えかけたこともあったからだ。普段は正常に見えても突然豹変したり、妙な行動を取ることがあるという点では彼女も恵司の妹であるな、と不謹慎ながらも鬱田は納得した。
ここの教師ならそういう都合で知っている人間の方が多いわけだ。出井はそれを利用して麻衣を目撃者にした。そして、俺らを引っ張り出した。何故だか分かるか?
……実の妹が容疑者になれば、警察も手を抜くかもしれない
御名答! しかも、わざわざ引場は少し後に麻衣が怪しいという証言を出した。これは、最初から麻衣に容疑が掛かってしまうと俺達は確実にこの捜査に参加出来ないからだ。最終的に麻衣が容疑者になれば、兄である警察はそれを察して庇うとでも思ったんだろう。ま、予測より俺らの方が頭良かったってだけだけどな!
……とにかく。そうすれば架空の犯人像が生まれ、事件は解決されない。学校はただの“被害者”になる、というわけだ
そこまで聞いた鬱田は悔しそうにではあるものの納得している顔をした。だが、一つ思い当ったことをもう一度疑問として投げかける。
出井先生が引場殺しの犯人として自分から捕まったのも、何か意味があるのか
その言葉に、双子は顔を見合わせる。言葉は無くともある程度互いの言いたいことを理解出来る彼らにとって、その行動は相談事に等しい。しばらくそうすると、音耶の方が口を開いた。
可能性があるとすれば、それが一番被害を抑えられるからだ。校内は誰も入れず、誰も出られない状態だった。となれば、犯行をしそうなのは校内の教師だ。出井は既に鈴木伊緒殺人事件の重要参考人になっていた。共犯者であることも直に気付かれるだろう。ならば、自分が引場守殺人罪も被ってしまった方が、"校内の犯罪者"は少なくて済む。そういう事じゃないのか
……どうして、出井先生はそこまで
さぁな。わかるのはこの学校はちょいとおかしいってとこだろうな。お前みたいなロリコンが教師出来てる時点で分かってたが
今までの空気をぶち壊すように冗談めかして笑う恵司。それに毒気を抜かれた鬱田も、大きなため息を吐きながら少しだけ微笑んだ。
恵司が意図的に言及しなかった、”引場守を殺した本当の犯人”の存在に気付かぬまま――。