「……え、ちょっと。大丈夫ですか?」

 いつの間にか意識が混濁していたらしい。誰かに声を掛けられて、シオンははっと正気を取り戻した。

「具合悪いんですか?エシュリス症だったりする?」

 シオンに声を掛けた何者かは、焦ったようにあれこれと声を掛けながら小走りに寄って来ると、シオンの目の前にしゃがみ込んだ。
 赤い髪の少年。年の頃は自分と同じぐらいだろうかと判断する。
 少年はシオンの瞳を覗き込んで、そして息を呑んだ。

「……マナ光?まさか、高濃度マナ症!?」

 音にならないよう、シオンは軽く舌打ちした。
 瞳は人体の中でもマナの集まりやすく、出入りが容易い所。この路地のようにマナが崩壊現象を起こすほど低濃度な場所では、体内のマナが空気中の引き合う。その症状として、瞳からマナ光が零れ落ちるのだ。
 同じくこの路地に立つにも関わらず平気な顔をしている目の前の少年から考えるに、この世界の人間は体内マナの濃度がそれほど高くない。
 故に、シオンが高濃度のマナをその身に有している事を知られるのは、都合が悪かったのに。

「……は、なして」

 息も絶え絶えにシオンは喘いだ。まともに魔法も使えない今、身を守る術を持たないまま誰かに身を委ねたくなかった。
 呆然とシオンを見ていた少年は、ごくりと喉を鳴らして唾を呑む。惑うように揺れ動いていた瞳に、強い意志が灯った。

「今離したら、また倒れちゃうだろ」

 少年の腕が、シオンの体を持ち上げる。
 一体どこへ連れて行かれるのか。抗う力さえ絞り出す事も出来ず、シオンは体外へ出ようとするマナの痛みに耐えた。
 

 少年にシオンが運ばれた先は、恐らく彼の住まいだと考えられる場所だった。
 何処かの建物の屋根裏の、ほんの小さな居住空間。ベッドやテーブルといった生活のためのスペースは殺風景なほどに片付いているのに、反面、何かの資料や器具が置かれた方はこれでもかという程猥雑に様々なものが積み重なっている。

「降ろすよ。俺のベッドだけど……普段あんまり使わないから」

 言い訳染みた事を口走らせながら、少年は寝台の上へとシオンの身体を横たえた。少しはマナの濃度の高い場所に移ったのか、それでも今だに少し気分の悪いシオンは大人しく少年の動きを目で追った。

「えっと……この辺だったかな」

 少年は様々な本や紙、箱などが所狭しと詰め込まれた本棚を漁っている。普段あまり触れないのか、落ちてくる埃が赤い髪に付くのもお構いなしのようだった。

「あった、これだ。ごめん、おまたせ」

 目当てのものを見つけたのか、少年は両手に収まるほどの小箱を持って走り寄ってきた。
 重そうな、装飾的な金属の箱だ。見上げるシオンの視線に気付いたのか、少年はどこか気まずそうに「父さんから貰ったんだ」、と言葉を零しながら、箱に積もった埃を払う。そうして、慎重な手つきで箱の蓋を開いた。

 途端、体の中のマナが暴れまわる痛みが消え去る。
 驚いて目を見張ったシオンに、悪戯っぽく少年は笑って見せた。

「気分、良くなったみたいだね。瞳のマナ光も消えた」

 シオンは何と言っていいかわからず、少年の瞳を見返す。そこには、純粋な善意が見て取れた。

「あ……ありがとう」

 戸惑いはあるものの、とりあえずはお礼から。

「どういたしまして」

 屈託の無い笑顔を返されて、今度こそシオンは視線をうろうろと彷徨わせる事になった。

 そもそもシオンは人付き合いがあまり得意な方ではない。
 地球にいた頃は幼い子供であったし、その後十年を過ごした世界では隠棲する老賢者に拾われ、その技術と知識を叩き込まれる時に厭世の気質も同時に受け継いでしまった。
 であるからして、同年代と思しき初対面の少年と、何を話せばよいかもシオンには良く分からない。

 ──そして苦し紛れに放った次の一言を、この世界でどういう意味を持つ事なのか碌に考えもせずに言い放った。

「ええと……その箱の中の白い石、何?」

pagetop