駿河恵司

麻衣、ちょっとずつでいいし、話したくないことは話さなくても構わない。話せることだけ、教えてくれ

 麻衣と向い合せになる様に椅子の向きを変えて座った恵司と、その隣に座る音耶。そして、少しだけ居心地悪そうに、教壇に寄りかかる鬱田。三人の目線が、麻衣へと向く。麻衣はそのどの視線に対しても視線を返すことなく、下を向いたままポツリポツリと話し始めた。 

駿河麻衣

麻衣と里香ちゃんは、放課後に教室に残って勉強していたのじゃ。でも、帰ろうっていう時に廊下に赤い線が引かれてるのを見つけて……あれは血の匂いだったのじゃ

鬱田志乃

……

 鬱田が顔を歪める。自分の記憶の該当するものが浮かび上がってしまったのと、麻衣の――駿河兄妹の事情、即ち砂尾空の事件を知っているからだろう。彼女の心痛は計り知れないものだった、と推測して共感しているのだ。

駿河麻衣

それから、扉の外に誰かの気配がしたのじゃ。……あれは、きっと危ない人だ。そう思って、麻衣は里香ちゃんを逃がすために囮になったのじゃ

 その言葉に、音耶が首を傾げる。同様の疑問を持ったらしい恵司が、少し言葉に詰まりながらも質問をした。

駿河恵司

だけど、麻衣はさっき違う事を言っていなかったか? 真逆の意味の事だったと思うんだが

駿河麻衣

うん。……麻衣が間違えたからのじゃ。廊下に居たのは、出井先生だったのじゃ

駿河音耶

出井先生……?

駿河麻衣

間違えて先生を箒で殴っちゃったから、麻衣はすっごく謝ったのじゃ。そうしたら先生は、『大丈夫だから、早く帰りなさい』って

駿河恵司

……それで、里香ちゃんはどうしたんだ?

駿河麻衣

……わかんない。だから、きっと麻衣のせいなのじゃ。麻衣が出井先生とひきこさんを間違えちゃったから……だから里香ちゃんは殺されちゃったのじゃ! 麻衣のせい、麻衣のせいだ!

 一気に感情が溢れだした麻衣は目に大粒の涙を浮かべ、叫ぶようにして泣いた。そんな麻衣を抱きしめる音耶の傍で、恵司は思案する。
 何故、わざわざ廊下を赤く染めたのか。出井はそんな廊下で何故平然としていたのか。麻衣とは話が食い違う、引場の見た“ひきこさん”と沢近の出来事は事実なのか。そして、美術室で遺体が発見された事件と"ひきこさん"はどう関わっているのか――。

駿河恵司

『ごめんなさい』

 恵司が小さく呟く。それに反応したのは隣に座っている音耶だ。

駿河音耶

どうしたんだ恵司。誰に対しての謝罪だ?

駿河恵司

違う。これは単純な復讐だ。それなら、線を引いたのは誰だ? 誰がそんなことをする必要があった? 何故目立たせた? ……麻衣の見たものは――

 再びぶつぶつと言葉を零し始める恵司。物騒な言葉も、泣き叫ぶ麻衣の耳に届かないのは双子にとっては幸いだろう。音耶は麻衣を鬱田に任せると、思考の海に潜ってしまってしまった恵司の手を引き、一度教室の端に連れて行く。麻衣に話を聞かれないためだ。あまり中学生の妹に聞かれたい話ではない。

駿河音耶

……恵司

 音耶の呼びかけに、恵司は言葉を切り、音耶の目を見た。そして、一度音耶から目を離し、教室を見回す。そのまま視線を音耶に戻した恵司は口元を少し緩ませると、音耶の肩を叩いた。

駿河恵司

やはり我らが妹は殺人犯ではないぞ、安心しろ弟よ

駿河音耶

……まぁ、そんなことは最初から知っていたけどな

 音耶の言葉が何かのきっかけであったかのように、教室に響いた音。驚く鬱田と麻衣をよそに、双子はまっすぐ掃除用具入れに歩いていく。

駿河恵司

安心しろ、麻衣

駿河音耶

お前は、人殺しじゃないよ

 音耶が掃除用具入れのドアを開けると、中から倒れ込むようにして現れる一人の少女。恵司はその体をそっと受け止めると、少女の拘束を解いていく。そして、その少女の姿を見た麻衣は、赤く泣き腫らした目を擦り、ぱあっと笑顔になっていく。

駿河麻衣

里香ちゃん!

 少女――沢近は、酷く衰弱しているものの、何とか心配させまいと麻衣に笑いかける。

沢近里香

ありがとう、麻衣ちゃん……。麻衣ちゃんのお兄ちゃん、やっぱり、すごいんだね

 そのままふっと力が抜けてしまった澤近の体を支えながら、恵司は鬱田に救急車を呼ぶように指示する。何が起こったかはわかっていないものの、目の前の現状だけは理解した鬱田は頷いて白衣のポケットから取り出した携帯電話で救急車を呼んでいる。同時に、沢近を音耶に任せた恵司は、隣の教室の捜査官達に校舎内に居る人間を一人も出させないよう指示する。

駿河恵司

いいか、まだ犯人はここを出ちゃいない。奴の"獲物"は保護したが、相手はそれに気付いていないだろう。校舎から一人も出すんじゃない。……生徒もだ

第二話 ⑦ “人殺し”は君じゃない

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