レポートと試験をくぐり抜ければ、お待ちかねの夏休みがやってくる。

 勿論、セツナは学費を稼ぐためのバイトで忙しいし、夏の暑さはユキにとって大敵らしく、セツナがユキの家を訪ねても青い顔をして寝込んでいることが多い。それでも、セツナとユキは暇を見つけて色々な場所を遊び歩いた。……殆どが「食べ歩き」であることはご愛敬。

 今日も、「美味しい焼きそばとコーヒー」の情報を得て車で一時間ほどかかる海沿いの町まで行き、情報通りの美味しい食べ物に舌鼓を打った。男二人で何をしている、と思わなくもないが、セツナは概ね楽しんでいた。

 と。

あ、あれ……

 海からの帰り道、助手席から外を見ていたユキが不意に声を震わせる。その声の調子に不安を覚え、辺りを見回したセツナだが、不審なモノは何も見えなかった。

 代わりに、見えたモノは。

ああ、花火の準備だな

 止まった信号の向こう側、橋の横の河原に見えたのは、数台のトラックと、長さや太さの違う棒を立てている人々の姿。それだけで、セツナには「花火の準備」だとすぐに分かった。「音が煩い」と言って叔父は嫌っていたが、この辺りでは一番大がかりな花火大会であることと、普段とは違う風景に物珍しさを覚え、中学高校時代に友人達と何度か足を運んだことがあるのだ。

明日開催なのに、気が早いな

 信号が変わったので、アクセルを踏む。

行くか?

 ユキの方を見ずに、セツナはそう訪ねた。

う、うん……

 ユキの声が、震える。

 何故? セツナは思わずユキの方を向いた。

 次の瞬間。

ちゃんと前を見て。危ないから

 ユキの指摘に、慌てて視線を前に戻す。まだ免許を取って一年未満なのだから、慎重に運転しなければ。自分はともかく、ユキを危険な目に遭わせるわけにはいかない。

 次の日の夕方、セツナは徒歩でユキを迎えに行った。

セツナ、来たんだ

大丈夫か?

 玄関に出てきたユキの、普段よりさらに青白い顔に、思わずそう、尋ねてしまう。

 だが。

ん。……大丈夫

 ユキは少しだけ笑ってそういうと、すぐに靴を履いた。

 ユキの家から、花火大会の会場までは、少し距離がある。その距離を歩く間、ユキはずっと俯いたままだった。

大丈夫か?

 再び、訊ねる。道路が混むという理由で車を諦めたのだが、ユキの体調を考えるとその選択は間違っていたのかもしれない。

……うん

 だが、セツナが何度声を掛けても、帰ってくるのはこの一言だけ。花火大会以外の、次に行こうと思っている美味しい食べ物の場所について話しても、ユキは上の空だった。

 そうこうするうちに、河原に到着する。ずらっと並んだ屋台に、川に向かって設えられた桟敷。その全てが、カップルや家族連れで溢れかえっていた。

 と。

 人混みの中、不意に、ユキがしゃがみ込む。

ユキ!

 思わず後ろから、ユキの細い肩を掴んだ。

ごめん、やっぱり

 ユキの全身がひどく震えているのを、感じる。

 ユキに、無理をさせてしまった。セツナの心を過ぎったのは後悔だった。

 今からでも遅くはない、帰ろう。セツナは一瞬でそう判断し、ゆっくりとユキを立たせた。

 と、その時。

ユキ?

 喧噪の中から、甲高い声が上がる。

 この声は、知っている。

ユキ!

 顔を上げると、人混みをすり抜けてきた派手な赤色の浴衣が、セツナの目を射た。マリアだ。後ろにいるのは、マリアのカレシだという「早木ソウイチロウ」だろう。

帰ろう、ユキ

 セツナを鋭く睨んでから、打って変わった優しい声でマリアがユキに言う。

 セツナが何もできないでいる内に、マリアの後ろにいたソウイチロウがセツナとユキの間に割って入った。

ごめん、ソウ

 ふらつくユキの体を支えるソウイチロウに、マリアが頭を下げる。

良いさ

 夜風はユキに悪いだろう。ソウイチロウはそう言って羽織っていたパーカーをユキの肩に着せかけた。

 何か俺、悪役な気分。嫌な気持ちになり、セツナは徐に三人の側から一歩離れる。

 そしてそのまま、セツナはユキがマリアとソウイチロウに連れ去られるのを見送ることしかできなかった。

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