勢いよく飛び出した恵司だったが、思いの外近い所でぼーっと立ちすくむ少年に足を止める。
 その少年の様子が少しおかしい事から、恵司は出来るだけ優しい言葉を選んで少年に話しかけた。

駿河恵司

引場君、だよね。どうしたの?

 心の中ではこういうのは自分じゃなくて音耶がやるもんだ、と悪態をついているが、それでも顔に浮かべた笑顔は崩さない。

引場守

……見ちゃったんだ

駿河恵司

見ちゃった、って、何をかな?

 拳を握りしめ、小さく震え始めた引場の姿に、恵司は彼が何かを知っていると確証を持つ。だが、こんな状態の少年に強く聞けば場合によっては話してくれなくなるかもしれない。焦る気持ちを抑えながら、恵司は引場の言葉を待った。

引場守

……駿河

駿河恵司

……麻衣の事か?

引場守

う、うん。その駿河が、その……

引場守

沢近の事、見捨てたんだ

駿河恵司

……どういうことだ

 沢近、聞きなれない名前だが、きっと麻衣のクラスメイトなのだろう。そう思った恵司は、”見捨てた”という言葉が酷く気になって笑顔を止めて聞き返した。少年は一度話してしまったからか、先ほどよりは少しましになった震えを必死に抑えようとしながら恵司に話す。

引場守

あ、あの時、実は、僕も見たんだ。ひきこさんを。夕方ごろ、僕が帰ろうとしたら廊下が真っ赤で……。そしたら変な物音がしたから教室に入って隠れたんだけど、そっと廊下を覗いたら、隣の教室から出てきた駿河と沢近が居て……。沢近のひ、悲鳴が聞こえて……

駿河恵司

……麻衣とその沢近って子以外に何か人影があったんだな

引場守

うん……。黒くて長い髪の、女の人……。その人が、沢近に、手を伸ばして……そっから先は分かんない……逃げちゃったし、僕も……

駿河恵司

教室の中に居たんだろ、お前。どうやってその女から逃げ切った

引場守

え……? ひ、ひきこさんが沢近に気を取られてるうちに……

駿河恵司

何だ、お前も見捨てたのか

引場守

……

 黙り込んだ引場に、恵司は頭を掻くと職員室へ戻る為に身を翻す。自分の妹が友人を見捨てたという話が本当かどうかも懸念材料だが、それ以上に沢近という子がどうなったのかが思いやられる。早歩きで職員室に戻る恵司を、引場は引き止めなかった。

駿河恵司

ただいま

鬱田志乃

ただいまって……それで? 引場は何だって?

 “無関係な”一人の生徒が校内に居る異常に気付かない鬱田は何の気なしにそういうが、恵司が深刻な顔をしているのに気付き、音耶に目配せをした。音耶は無言で頷き、出井に軽く挨拶をする。

駿河音耶

すみません出井先生。貴重な情報を、ありがとうございました。また何か尋ねに来るかもしれませんが、その時はどうかよろしくお願いいたします

出井桐子

え、ええ。此方こそ

 突然の事に、出井は少し戸惑った様子だったが、音耶と恵司がとっとと職員室を出た事と、鬱田が何も言わず彼らについていくのを見て言葉を飲み込んだ。

鬱田志乃

俺としたことが、忘れてた。駿河が居たから狂ってたが、今日は生徒は入れないはずだよな……

駿河音耶

それで、その入れないはずの生徒はお前に何を言ったんだ

駿河恵司

……麻衣が沢近っていう子を見捨てたらしい。ひきこさんと出会った時な

 一瞬黙り込む音耶と鬱田。鬱田は音耶ならすぐに反論するのではないかと睨んでいたが、音耶としては先の恵司の呟きがあったために一概に否定出来なかった。

駿河恵司

問題は、沢近の方だ。ひきこさんに引きずられるとこまで見たと引場は言っていた。鬱田、沢近って子の保護者から連絡は無いのか

鬱田志乃

無い。……しいて気になるとすれば、あの子の家は娘に無興味ってとこだな。虐待まではいかないが、ネグレクトの兆候はあった。彼女自身がよく出来た子だったからなんとかなっていたが、その彼女が居なくなったんじゃあ

駿河音耶

……わかっていたなら、どうにか出来なかったのか

 引場の話が本当なら、沢近は最悪のケースになっている可能性が高い。彼女の親が通報すればもっと早くにどうにかなった可能性があるために、音耶はぐっと奥歯を噛みしめた。

鬱田志乃

学校は万能じゃない。俺達は子供の親に許可されなきゃ何も出来ないんだ。……やって後悔する、は許されないんだよ、やらなくて後悔することが万あってもな

 鬱田の言葉に、音耶は目を伏せた。

駿河恵司

……おい、まだ分かんないだろ。通夜ムードになる前に、彼女を見つけるのが先決だ

 珍しく真面目な顔になった恵司がそう言うと、音耶と鬱田ははっとしたように頷く。








 ただ、音耶はこの時、ほとんど確信していた。恵司がこんなにやる気を出しているということは、もう彼女は――。

第二話 ⑤ 消えた彼女の行方

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