― 1 ―

 結局俺は、三日間眠り続けていたらしい。
あれだけひどかった怪我も、まるで嘘みたいに完治していた。

中田 実

ぐぁーー! 腹減った!!

 佳奈の作ってくれた朝食をガツガツ食っているとき、電話が鳴った。

大神早紀

中田君? 私、大神です

 その声は暗く、涙声だった。

中田 実

ど、どうしたんだ? いったい何が?

大神早紀

落ち着いて聞いてね。風香ちゃんが……自殺したの

中田 実

え?

大神早紀

マンションの屋上から飛び降りて……涼子の時と、ぐすっ、おんなじ……


 目の前が真っ暗になった。あの風香ちゃんが、まさか……おそらくまた、鬼の仕業なんだろう。ボディガードするなんて言ってたくせに、俺は……風香ちゃんを助けられなかった。

中田 実

と、とにかくそっち! 行くよ!

 嫌な一日の始まりだった。

― 2 ―

中田佳奈

……う、嘘でしょ?

 風香ちゃんの死について話すと、佳奈はそう言ったまま絶句してしまった。目はうつろで、顔色は真っ青になり今にも倒れそうだ。

中田 実

だ、大丈夫か!? 佳奈?

中田佳奈

………………

中田 実

今から俺、彼女のマンションに行くけど、お前どうする?

中田佳奈

………………

 佳奈は黙って、俺のあとを付いてきた。……俺はしっかりと佳奈の手を握り、自分に言い聞かせるように、大きな声を出した。

中田 実

行こう!!


 風香ちゃんのマンションの前に、大神早紀が立っていた。

大神早紀

中田君……佳奈ちゃん……

中田佳奈

お、大神さん!! うわぁーーーーーん!!!

 早紀の姿を見た途端、今まで押し黙っていた佳奈の感情が爆発した。

中田佳奈

ひっく! ひっく! 風香ちゃんが……風香ちゃんが……

大神早紀

ぐすっ。……うん。佳奈ちゃん……泣かないで

 そう言いながら、早紀も号泣していた。二人はずっと抱き合って泣き続けていた。

中田 実

あ。やべっ

 今まで泣くことを忘れていた俺の目からも、急に涙が流れ始めた。
あの晩、風香ちゃんが焼いてくれた餃子の味とか、今でもちゃんと思い出せるのに、風香ちゃんはもう、いないんだ……俺が風香ちゃんを守りきれなかったせいだ。一度鬼を倒したからって、安心してぐぅぐぅ眠り続けていたせいだ。

 この日、風香ちゃんのご両親を初めて見た。二人とも憔悴しきった表情だった。高校生の娘に先立たれるってことは、俺なんかが想像もつかないくらい辛いことなんだろうと思う。

中田 実

風香ちゃんは自殺したんじゃなくて、鬼に殺されたんです!

そんなふうに話したら……

 お父さんとお母さんの心も、少しは楽になるかもしれない。……いや、信じてくれるわけないか。

 俺にできること……俺がやるべきことは、これ以上被害者を増やさないようにすること! そのためには、鬼を操っている張本人を捜し出すこと! 風香ちゃんの葬儀に参列しながら、俺は心に誓った。

……絶対に! 捜し出してみせる!

― 3 ―

 その日の夜は、なかなか寝付けなかった。死んでしまった二人の女の子の面影が、頭の中で、ぐるぐると回り続けている。

ガタン!

その時、窓の外で大きな物音がした。

中田 実

だ、誰だ!

慌てて飛び起き、カーテンを開けると、そこには――

中田 

ん? 実か……悪かったな、起こしちゃったのか?

 申し訳なさそうな顔をしてこっちを見ているのは、ベランダで煙草を吸っていた父さんだった。
 ヒゲ面で太り気味の四十男が、ベランダでこそこそしてるのは、なんだかユーモラスな感じだ。

中田 徹

か、母さんや佳奈には内緒だぞ!

中田 実

うん。わかった

 口ではそう言ったが、きっと二人ともとっくに気付いてると思う。外から帰ってきた父さんは、必ずと言っていいほど、強い煙草の匂いをさせている。気付かないのはたばこを吸ってる本人だけだ。

 親父の吸う、ハイライトの香り。嫌煙権が声高に叫ばれてる今、こういう言い方するのはちょっと勇気がいるけど、俺はこの香り、嫌いじゃない。

中田 実

仕事、忙しいの?

中田 徹

ああ。今、追い込みだからな。部下が徹夜してるのに、上司がサボってるわけにもいかないだろ?

 そう言いながら、にっこりと笑う。子供みたいに無邪気な笑顔だった。

中田 実

でも、なんか楽しそうだね

中田 徹

ああ。仕事は楽しむもんだからな

 仕事中毒の両親を持って、正直寂しい思いをしたこともあるし、不満じゃないと言えば嘘になる。でも俺も佳奈も、二人が本当に楽しそうに働いてるのを見て、羨ましいと思っているし、尊敬もしている。

 よく学校帰りにすれ違うサラリーマンは、身体よりもずっと心が疲れているように見える。でも父さんや母さんの場合、目の下にクマは作っていても気力に溢れている。こういう大人って貴重だと思う。

 だからこそ俺たち、子供同士で協力して、二人が仕事に集中できるように頑張っているつもりだ。

中田 徹

でも『楽しい』と『楽(らく)』は、字は同じでも全然違うもんだぞ。
昔、ウチの会社も資金繰りが厳しい時期があってな。俺たち社員もふらふらになりながら働いたもんだ。

 そのときに母さん、体調を崩して……俺も精神的に、ちょっとやばかったかもしれない。夫婦の危機ってヤツだ。そのときに思ったんだ。このままじゃ駄目だ。俺たち、子供を持とうって……

中田 徹

ちょうどそんな時期に、お前を授かった。
嬉しかったよ。知ってるか? 赤ん坊の笑顔ってのはな、輝いてるんだ。比喩じゃなくて、俺たちには本当に光を放って見えたんだ。

 何もかもうまくいかなかった時期。嫌な事件ばかり起こって、今思い出しただけで気持ちが暗くなるような時代……俺たちは、お前の笑顔に救われたんだ。

 コイツを守るために頑張ろうってな。……お前の笑顔が、俺たちのガソリンだったんだ。不思議なもんで、それからは全部うまくいくようになった。仕事も家庭も全部だ。お前が幸運を運んでくれた。だからお前には、感謝してるんだ

中田 実

……父さん

中田 徹

ははは。ごめんな。急にこんな昔話……

中田 実

ううん。なんか、嬉しかった

 なんとなくわかった。父さんは、友達の葬儀から帰ってきた俺を、励ましてくれてるんだ。

中田 徹

仕事一段落したら、みんなで温泉にでも行こうな

中田 実

うん。いいね

中田 徹

任せとけ! 絶対に休みを勝ち取ってやる!

中田 実

いや、普通の会社は、勝ち取らなくても休めるはずなんだけどね

中田 徹

そういやそうだな。ははは

 父さんはそういうと、子供みたいに笑った。

中田 徹

そうだ。実。お前にちゃんと話しておかなきゃならないことがあるんだ

中田 実

え? 何?

 そのとき、父さんの携帯が鳴った。

中田 徹

ああ俺だ。え? クライアントが激怒してる? わかった。すぐ行く!

 そう言って慌ただしく電話を切ると、父さんは申し訳なさそうな顔をしてこう言った。

中田 徹

ごめん実! あとでな!

中田 実

うん。頑張って!

 なんとなく心があったかくなって、それからぐっすり眠ることができた。

― 4 ―

 次の日、体育館に全校生徒が集められ、学校側からの説明が行われた。短期間のうちに自殺者が二人も出たにも関わらず、それはあっけないくらい短く、他人事な言葉だらけだった。

 『担任の先生とよく相談をして』とか『一人一人の心のケアを』とか、長い職員会議を何度もやっていた割には、その程度の結論しか出なかったみたいだ。

 ネットで調べたらこんな数字が出てきた。2006年の交通事故による死亡者は、6352人。それに比べて、自殺者は3万2155人になるそうだ。約5倍もの人が亡くなっている。

 今の時代、誰かが自殺しても、そんなに珍しいニュースではないのかもしれない。

……いや、そんなことじゃ駄目だ。交通事故による死者数だって、自治体や自動車メーカーや、そのほかいろんな人たちが努力して、減らしてきた数字のはずだ。自殺者数だって絶対に減らせる! 特に今回みたいな鬼が原因のケースは、俺が必ず減らしてみせる! 鬼が見えるっていう俺の能力は、そのために活かすべきなんだ。

 放課後、ぼうっと考え事をしていると、教室に佳奈がやってきた。

中田佳奈

お兄ちゃん……

中田 実

よ! 大丈夫か?

中田佳奈

うん。たくさん泣いたから、もう大丈夫!

中田 実

強いんだな

中田佳奈

……強くならなきゃ。二人の敵を討つために

 そう言うと、佳奈は寂しそうに笑った。

中田佳奈

ねぇお兄ちゃん! 大神さんに会いにいかない? 河内さん……だっけ? あの人のこと、もう少し聞きたいの

中田 実

ああ。俺もちょうど、そう思ってたところだ!


 待ってるだけじゃ何も変わらない。自分たちで行動を起こさなければ! 俺たちは足早に文芸部室へと向かった。

― 5 ―

 文芸部室の奥には大神早紀がいた。短い間に親友と後輩の二人を失ってしまったせいか、見てて心配になるくらいやつれている。

中田 実

大神先輩、あの……

 佳奈の言葉を遮って、早紀は彼女らしくない、強い口調でこう言った。

大神早紀

もう、関わらない方がいいわ!

中田 実

え?

大神早紀

結局未来は、変えられないんだもの

中田 実

そんな……

 そう言って、早紀は大粒の涙をこぼした。

中田 実

ごめん。俺が、ぶっ倒れたりしてなければ……

大神早紀

ううん。中田君は悪くないわ。運命に逆らおうとしたから、結局、歪みが出ちゃったのよ

中田 実

いや、でも……

大神早紀

ねえ聞いて! 私が未来を見るとき、一瞬だけど全部感じるの。映像だけじゃなくて、音とか、匂いとか、風や日差しの強さなんかも全部。一度に頭の中で再生されるの。

 そして実際、その通りの情景が、音が、匂いが、感覚が……目の前で再現される。こういうことを何度も体験していると、未来って、ひとつの完成された世界として既に存在しているものなんじゃないかって、そんな気がしてくるの。

 できあがった映画の結末を、見ている人たちが変えられないように、私たちが未来を変えることはできないんじゃないかって、そう思えてくるの

大神早紀

 今まで私は、何度もそれに逆らおうとした。でも結局、何も変えられなかったわ。『ああ、その通りになっちゃった』ってあきらめとか、無力感とか……それしか残らない。未来なんて見えても、何の得にもならないわ。ただ、つらいだけ……


 小さな背中を震わせ、涙声で『未来』を否定する早紀。

中田 実

大神先輩……

大神早紀

明日不幸なことが起こるってわかってたら、今日楽しく過ごせる? 未来さえ見えなければ、少なくとも今日一日は、幸せでいられるのよ。

 話を聞いているうちに、俺の心の底に、怒りのような、苛立ちのような感情が湧いてきた。

中田 実

未来は……変えられるよ

大神早紀

え!?

中田 実

未来は変えられるんだよ! だってそうじゃないと、俺たちが今を生きてる意味がないだろ!? いいか聞いてくれ! 俺たちは映画の観客じゃない! みんなでその映画を作ってるんだ! だから俺たちが思う最高の結末を、みんなで思い描いて、形にしてけばいいだけなんだ!

 いろいろ哀しいことがあって、今ちょっとみんな……落ち込んじゃってるかもしれないけど、でも! そういう時だからこそ! 頑張らないと駄目なんだ!

 最後の方は、ほぼ怒鳴り声になっていた。珍しく感情を爆発させてしまった俺を見て、佳奈もびっくりした表情を浮かべている。しかし早紀は冷たい表情のまま……

大神早紀

『頑張る』って、具体的にどうする気?……精神論だけじゃ、未来は変えられないんじゃなくって?

 即座に言い返されてしまった。これだから文芸部員は嫌なんだ。

中田 実

だ、だからさぁ! えーっと……とにかく! その……頑張る方向性を考えるっていうか……否定から入るんじゃなくて……前に進むことだけ考えようよ。その……何というか……

 急に失速した俺の口調に、早紀はぷっと吹き出した。

大神早紀

ねぇ。励ましてくれるんなら、中途半端なところでやめないでくれる?

中田 実

あ! やっと笑ってくれた!

大神早紀

笑ったんじゃなくて、あきれてるの

中田 実

とにかくさ、変えようよ! 未来を! ……できるよ! 俺たちなら!

 半ば自分を勇気づけるために、俺はそう宣言した。

大神早紀

そうね。河内の住所、調べてあるわ。そこに行ってみましょう!

 俺たちは、文芸部室を後にした。

彼岸花 第四章 『忌(き)』

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