アレク

昨日まで飛び方を知らなかった鳥が、今日すぐに飛べるわけもなし。……励んだところで、事実は変わらない。

老臣たちの顔と名前を覚えるだけでも、一苦労。

鳥篭に閉じ込められていたころは、誰もが顔見知りだった。

アレク

……空ひとつ飛べない鳥、か。ふん、何も出来ない鳥とはよく言ったものだ。

なんとも忌々しいことに、私は……人の名前を覚えるところから始めなければならなかった。

お陰で、というべきだろうか?

即位してからこのかた、私は何一つとして知らない国の王座に黙って座っている。

座り心地の悪い玉座で覚えたことといえば、無益なことばかり。会議のための会議で、こちらを伺う老臣たちの溜息にばかり、慣れている。

アレク

……人が多すぎる。大分マシにはなったが……相変わらず、人混みは苦手だな。

情けない話だ。
外の世界に、戸惑うとは。

だが、実際に……優先順位がわからない。誰が、力を持っているのかすら……わからないとは笑い話だ。

アレク

やれやれ。……うん?

宮内大臣

陛下、ご勉学の最中に失礼致します。急ぎ、ご報告すべき事柄が。

アレク

またか? 宮内大臣、悪いが貴方の報告はいつもばらばらだ。順序を纏めてもらいたい。

夕食前に、顔を出した大臣の一人。

彼が差し出す書類の束を受け取りつつ、アレクは少しばかり言葉を尖らして尋ねていた。

何故、いつも請うまでもバラバラなのか、と。

宮内大臣

ご叱責、甘んじて。ですが、陛下。陛下の決済を頂戴できぬがゆえの問題であります。なにとぞ、諸卿からの御請願をご考慮ください

丁寧な言葉と裏腹の、どこか、疲れたような言葉。

だからこそ、思わず、アレクは聞いていた。

アレク

急ぎなのか?

宮内大臣

……陛下、お読みいただきましたか? 先の戦争に従軍し、王家へ究極の献身をなされた方々の葬儀ですぞ。

戦死者を追悼する為の式典と聞いて、慌てて目を通せば……随分と前から滞っている案件らしい。

アレク

なに? すまん、読んでいなかった。

はぁ。


まただ。

また、小さな溜息が零される。

宮内大臣

なにとぞ、よろしくお願いいたします。

では、私はこれにて。

こつ、こつ、という規則正しい足音と共に立ち去っていく宮内大臣。

その背中を見送り、アレクは何とか慣れぬ報告書の束を読み進めようと書類の束へ取り掛り始める。

アレク

つまり……この書類が言いたいことは……。

グレゴール

陛下、失礼致します。大蔵卿がお見えです。

またか、という言葉を飲み込み、姿を現した大蔵大臣へゆっくりと問う。

アレク

……大蔵大臣、大臣も何か急ぎだろうか?

大蔵大臣

御意。陛下、恐れながらこちらの書類にだけでもご決裁をいただけませぬでしょうか

書類の束を差し出してくる大蔵大臣の顔にあるのは、困り顔。

だが……読みなれぬ書類の束を前にしているアレクにしてみれば、優先順位が定かでない書類を積み上げられるのは困惑でしかなかった。

アレク

悪いが、大蔵大臣。

私が今確認しているのは、戦没者の追悼式典に関する書類だ。これよりも、急ぎか?

大蔵大臣

…………

はぁ。


また。

また、零れる溜息。

いい加減に、ささくれ立った心は、しかし、次の言葉で一気に冷や水を浴びせられる。

大蔵大臣

それに勝るとも劣らぬ案件にございます。

陛下、戦没者遺族への弔問金に関する決裁を、なにとぞ。

アレク

何、遺族への弔問金だと?

大蔵大臣

御意。あわせて追悼式典の費用についても、陛下のご決済を頂かねばなりません。

……準備を始めるにも、何かと物入りなのですぞ。

アレク

……なるほど、確かに重要だ。


だが、と思ってしまう。

アレク

大蔵大臣。これほどの案件ならば、何故、バラバラに出されるのだ。どうして、まとめて提出されない?

はぁ。


またか。

また、溜息か。

大蔵大臣

陛下、僭越ながら……宜しいでしょうか? どちらも、先立っては『一つの報告書』として纏められたものです。

アレク

……では、なぜ、ばらされている!

大蔵大臣

我々は、国法により『己の職分』以外に干渉できぬため、各々の分野で陛下に申し上げるほかありません

アレク

何?


大臣らは、それぞれの職分についてのみ、奏上できる。
それは、アレクとて理解している。

理由は……と思いを馳せたところで漸く理解が及ぶ。

アレク

……っ、そういうことか!

つまるところ、大臣連中とてばらしたくてばらしたわけではない。

逆なのだ。

彼らが、自分の私室に訪れてまでバラバラに『催促』をする理由。

……いや、そうせざるを得ない理由、というべきだろうか。

アレク

すまんな。迷惑をかける


まとめて提出されたものの決裁が進んでいないのが、すべてのきっかけ。

原因? 決まっている。つまるところ……『自分』のところで遅れているということだ。

アレク

書類は、間違いなく決裁しよう。……後ほど、執事長に届けさせる。下がってくれたまえ

大蔵大臣

御意、失礼致します

またしても、溜息混じりに立ち去っていく一人。

……何時ものこととはいえ、流石に堪えるものがないではなかった。

アレク

我がことながら、不甲斐ない。

鳥篭の中にいた自分は、兄王がどのような王であったかまでは分からない。

……だが、大臣たちの言葉にされない『溜息』がきっとその答えなのだろう。

アレク

私に対して溜息もこぼしたくなる、か。兄上と比べられているのだろうな。

グレゴール

陛下、宜しいでしょうか

アレク

うん? ああ、グレゴールか。構わないが

グレゴール

ご夕食の支度が整っております

アレク

何、もうそんな時間か?

思わず尋ね返したところで、アレクは漸く日が沈みきっているということに思い至る。

……時間だけが、無為に過ぎていくとはこのことだろう。

グレゴール

はい、この時刻に夕餉をお取りになられたいとのことでしたが……

アレク

ああ、いや、すまん。直に行く

疲れきっていた頭。

なれない政務は、自覚している以上にアレクの気分をささくれ立たせていた。

エーファ

こんばんは、陛下。

だから。

数日前に、婚約者として紹介された女性がそこに居ることにアレクは思わず尋ねていた。

アレク

……グレゴール

グレゴール

はい、陛下?

アレク

何故、彼女がここに?

夕餉に招待した記憶はないぞ。

また、自分の知らないところで何事かが進められているのか、という勝手への憤り。

……つい、言葉が逸ってしまう。

グレゴール

……殿下、失礼ながら、その。

アレク

誰の手配だ? ……困ったものだな。

エーファ

……

はぁ。


その溜息は、小さい。
だが、静まり返っていた食堂にあって……その小さな溜息は大砲の炸裂音のように響き渡っていた。

エーファ

すみません、少し食欲が。……ごちそうさまでした。失礼致します。

グレゴール

エーファ王女殿下!?

手を付けられぬまま、食卓にならんだ食器。

ぺこり、と一礼するなり足早に立ち去っていく彼女の背中も、また、自分を拒絶するように頑なでしかない。

エーファ

……シェフに申し訳ないと伝えてください。では、ごきげんよう。

エルサ

王女殿下!? すみません、陛下、執事長、私めも、失礼致します!

アレク

なんなのだ、あの態度は!

グレゴール

……はぁ。

陛下、少し、食事をお取り遊ばされませ。

アレク

ああって、なんだこれは!

冷め切った食事ではないか!

グレゴール

お分かりいただけませんか?

アレク

何? ……何のことだ?

グレゴール

……陛下、どうか、少しばかりお時間をいただけますかな。

どうしても、お話しなければ、ならぬことがあるようです。

ご一読、ありがとうございます。
次回の更新は、6月4日を予定しております。

第二話 飛び方を知らない王様

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