その後。

藍里は自己紹介が終わった後、すぐに僕と交代して引っ込んでしまった。
当然、僕は廊下に行ってから藍里と会話をした。

栄町 大護

藍里、なぜあんなことをしたんだ?

神楽坂 藍里

あなたがあなたとして生きるためです

栄町 大護

……藍里、僕は

神楽坂 藍里

大丈夫です。私はあなたのために生きることが喜びなのですから


やはりそうだ。藍里は僕のためにあんなことをしたんだ。
また平行線になると思った僕は、藍里の説得を諦めて教室に戻る。
その直後、クラスメイトの女子から声をかけられた。

かぐ……ええと、栄町さん?

栄町 大護

いや、神楽坂でいいですよ

あの、本当はどっちが正しいの?

栄町 大護

……なんというか、栄町というのはあだ名みたいなものだから


とりあえず、栄町はあだ名だということにして、神楽坂という名前を通そうとする。
しかし……

神楽坂 藍里

そうですね、当分は栄町と呼んでいただけますか?

栄町 大護

……!?


急に体が動かなくなり、口が勝手に言葉を発した。
藍里が僕と交代したのだ。

え、え?


女子からすれば、藍里はいきなり発言を覆したように見えたため、当然驚く。

神楽坂 藍里

私の、いえ僕のことは『栄町 大護』と呼んでください。いいですね?

は、はい……


藍里の異様な雰囲気にその女子だけでなくクラス中が息をのむ。
だめだ。人格交代の権利を藍里に握られている以上、僕が藍里の名前を主張するのは不可能だ。
くそっ! このまま藍里が自分の名前を捨て去るのを黙って見ているしかないのか!?

女子生徒

おやおや、随分と奇特な新入生が入ってきたもんだ


その時、教室の入り口から凛とした声が発せられた。
藍里も、そしてクラスメイト達もその声の主に振り返る。

女子生徒

アンタがどんな名前を名乗ろうと勝手だけどさ、もうちょっと彼氏サンの意志を尊重してあげてもいいんじゃない?


入り口で扉に手で寄りかかるように立っていた声の主は、ショートカットで少し釣り目がちの女子生徒だった。
制服を少し着崩し、ヘアピンで前髪を留めている彼女はゆっくりとこちらに向かってくる。
上履きの色は僕たちと異なっている。どうやら上級生のようだ。

神楽坂 藍里

……なんですか、あなた?

女子生徒

いやね、アンタに関わるつもりはなかったんだけどさ


そして女子生徒は、藍里の頭を指さしながら言う。

女子生徒

アンタの中にいる彼氏サンがどうにも気の毒に思えてね

神楽坂 藍里

…………!?

栄町 大護

っ!?


彼女の言葉に、僕と藍里が同時に驚く。
どういうことだ? この人、僕の存在を知っているのか!?

神楽坂 藍里

なんのことですか?

女子生徒

とぼけなくていいよ、私もアンタと同類さ。ただ、私は特に運命的な出会いなんてしていないけどね

神楽坂 藍里

……


同類?
この人、藍里と同類と言ったのか?
まさか――

夜ヶ峰 昌子

あ、これは彼氏サンに言っておくけど、今の状況を相談したいならいつでも2年7組に来なよ。この夜ヶ峰 晶子(よるがみね しょうこ)が聞いてやるからさ


僕はその言葉に返事をすることは出来なかった。
しかし、その言葉に一筋の光明が見えた。

この人なら、この状況をどうにかできるかもしれない。

だが、藍里の顔が険しくなったのは見なくても十分に伝わった。


放課後。
教室で帰りの支度をする藍里に、僕は必死に声をかけた。

栄町 大護

藍里、代わってくれないか?

神楽坂 藍里

だめです

栄町 大護

しかし……

神楽坂 藍里

夜ヶ峰という女に会いに行くのであれば、だめです。あいつは大護さんを惑わせる魔女です。近づいてはいけません


魔女……
確かに夜ヶ峰先輩は得体の知れない人だ。いきなり下級生の教室に入り込み、僕たちしか知らないはずの事実を知っていて、挑発をしてきた。
そして、藍里からすればこの状況を崩しかねない人物、すなわち敵だ。
でも、僕にとってはやっと見えた希望の光だ。この光を手放すわけにはいかない。
なんとしても夜ヶ峰先輩に接触しないと。

中倉 美奈

なあ神楽坂ぁ


その時、一人の女子に声をかけられた。
彼女もクラスメイトだ。確か名前は中倉 美奈(なかくら みな)と言ったか。
同じクラスになったばかりだが、正直言っていい印象は抱いていなかった。
なぜならば、彼女は藍里の自己紹介の後に、あざ笑うかのように藍里を見ていたからだ。
まるで、見下すのにちょうどいい相手が見つかったと言わんばかりに。
そしてその印象通りに、彼女は藍里にちょっかいをかけてきた。

中倉 美奈

あれ、栄町って呼ばなきゃダメなんだっけ? アタシは皆とは違う、自分の中にイケメンを飼ってるみたいな? アハハハハハ!

神楽坂 藍里

……何の用ですか?


藍里は中倉さんの嘲笑にはまるで動じず、そっけなく応対する。

中倉 美奈

だってさあ、自分のことを『僕』なんて言う女子高生いないよ? 恥ずかしいと思わないの?

神楽坂 藍里

別に。これも必要なことですから

中倉 美奈

その栄町 大護クンに? つーかさ、言っちゃいなよ。アンタ二重人格でも気取って皆の注目集めたいんでしょ? はっきり言ってイタイよ?

神楽坂 藍里

はあ、そうですか

中倉 美奈

なにそれ? アタシはアンタのためを思ってるんだよ? アンタのために、イタイしキモイって忠告してやってんの


何がアンタのためだ。
その裏には、相手のためという大義名分を盾に相手をあざ笑おうとする魂胆が透けて見えている。

中倉 美奈

だからさあ、キモいあんたにかまってやるよ栄町クン


そして、藍里の周りに中倉さんの友達と思われる女子が三人ほど集まってくる。

中倉 美奈

あんたは男子なんでしょ? だったらここで上半身裸にだってなれるよねえ? あれ、なれないの? だったら皆で協力してあげようよ! ちゃんと男子になりきれるようにさ!


中倉さんは友達の女子たちに呼びかける。
彼女たちは全員気まずそうな顔をしていたが、中倉さんに反論する気配はなかった。

中倉 美奈

ほら、男子なら脱げるでしょ? ぬーげ、ぬーげ

神楽坂 藍里

……くだらない

中倉 美奈

あれ? 脱げないんだ。 じゃあやっぱりアンタは単なるイタイ女子ってわけ?


あくまで挑発を繰り返す中倉さんに対し、藍里は口を開く。

神楽坂 藍里

これから大護さんのものとなる大事な体を、あなたたち如きに見せるつもりはありません


……やはり、これが藍里の意志。
藍里は自分の体で僕が人生を送るように仕立てあげるつもりなんだ。
強い意志を感じさせる言葉に、中倉さん以外の女子がたじろぐ。

中倉 美奈

ふーん、やっぱりね


しかし中倉さんはどこか納得したように頷いた。

中倉 美奈

やっぱさあ、アンタ彼氏が目の前で死んだから、イカレちゃったんだね


……!?
この人も、僕の存在を!?

中倉 美奈

友達に聞いたんだよ。同じ中学の神楽坂ってヤツが彼氏が死んでから様子がおかしいって。同じ名字だからもしやと思ったけどやっぱりねえ

神楽坂 藍里

大護さんは死んでいません。私の中で生きています

中倉 美奈

おいおい現実見ろよ! アンタの彼氏は死んだんだよ!


中倉さんはその顔をさらに歪ませる。

中倉 美奈

だからさあ、アンタが目を覚ますようにアタシが協力してやるって。アンタの裸の写真取ってばらまけば新しい男なんてすぐに出来るよ。彼氏だってアンタに新しい男が出来ることを望んでるよきっと?


……確かに。
僕が死んだ以上、藍里には新しい恋人を作って幸せに暮らしてほしい。
だけど、だけど決してそんな写真をばらまいて寄ってきた男との幸せなどあるものか!

親切心を建前に下卑た欲望を満たそうとしていた中倉さんに怒りを覚え始めていたその時。

神楽坂 藍里

ふざけるな


なんだ今の声は? 藍里が発したのか?
まるで、まるで目の前の人間を威嚇どころか刺し殺す勢いで発せられた、小さくも響く声。
いや待て、僕は知っている。この声を知っている。
これは……僕が死ぬ直前に藍里から聞いた声だ。

神楽坂 藍里

お前如きが、大護さんの意志を騙るな


敷島に会いに行こうとした時の、藍里の声だ。

中倉 美奈

な、なんだよ?


ここに来て、ようやく自分がやりすぎたと悟ったのか、中倉さんがたじろぐ。

神楽坂 藍里

ちょうどいい、お前には見せしめになってもらおう

中倉 美奈

え?

神楽坂 藍里

私と大護さんの邪魔をする者は、こうなるという見せしめだ


そして、藍里は一気に中倉さんに近づき、

中倉 美奈

ひっ!?


彼女の頭を両腕で掴み、自分の頭を近づける。

中倉 美奈

あ、ああ……


そして、中倉さんの目に涙が浮かんだかと思うと……

中倉 美奈

ああああああああああああああ!


突然叫びだした。

中倉 美奈

あ、ああああ! アタシ、アタシいいいいいいいい!


藍里が中倉さんの頭を離すと、突然彼女は窓に向かって走り出した。

み、美奈!?


彼女の友達が驚いて声をかけるが、彼女は止まらない。
その後、中倉さんは窓を開けてサッシに足をかける。

待て、何をする気だ。ここは四階だぞ!?

中倉 美奈

ア、アタシ、死ななきゃ、死ななきゃあ!?


まるで使命のように叫んだ後、中倉さんは窓から飛び出し、頭を下にした状態で落ちていく。

おい、ちょっと待て。そんな落ち方をしたら。

数秒後、何かが潰れるような音と甲高い悲鳴が校舎の外で響き渡った。

あ、あ……


中倉さんの友人たちは全員その場にへたり込み、窓の外を確認することはなかった。
藍里はそんな彼女たちに目もくれず、教室を出て行った。

栄町 大護

……はっ!?


僕が気が付くと、藍里の部屋の椅子に座っていた。
身体は動く、どうやら『表』に出れたようだ。
今まで意識を失っていたのは、中倉さんの一件のせいだろう。
そして、時計をなにげなく見ると。

栄町 大護

そ、そんな!?


デジタル時計が示している日付はあの日から一週間後だった。
まさかそんなに意識を失っていたとは。

神楽坂 藍里

気が付きましたか。良かった……


僕の頭の中で、藍里の安堵の言葉が浮かんでくる。

栄町 大護

藍里! あれは一体どういうことだ!?

神楽坂 藍里

あれ、ですか?

栄町 大護

中倉さんのことだよ!

神楽坂 藍里

ああ、見せしめとして少し『能力』を使いました

栄町 大護

見せしめ、だと?


信じたくなかったが、やはり中倉さんの自殺は藍里が仕向けたものだったのだ。

神楽坂 藍里

実はですね、私の『能力』は第二段階に移行していたんですよ

栄町 大護

第二段階?

神楽坂 藍里

はい、簡単に言えば他人の潜在意識とも意識を共有することが出来るようになったのです


……潜在意識と、共有? 何を言っているんだ藍里は?

神楽坂 藍里

潜在意識、つまり人間の意識していない意識部分に介入して、特定の意識を刻み込むことが出来るのです

栄町 大護

ちょっと待て、どういうことだ

神楽坂 藍里

中倉の例で言いますと、私は彼女に大きな殺意を抱きました。当然ですよね? 身の程知らずにも大護さんの意志を騙ったのですから


全く同意できないが、そこにはあえて触れないでおく。

神楽坂 藍里

そして私は、その殺意を持ったまま中倉と意識を共有し、潜在意識の部分に中倉への殺意を刻み込んだのです

栄町 大護

刻み込んだ?

神楽坂 藍里

はい、そして自分への殺意を刻み込まれた中倉は、自殺願望が抑えきれなくなり自殺した。こういうことです


……正直言って、わからないことが多い。
しかし、重要なのは一つだ。

藍里は、その気になれば自分の邪魔をする人間を自分の手を汚さずに殺せる。

……なんてことだ。まさか藍里がここまでするとは。
これでは迂闊に夜ヶ峰先輩とも会えない。僕が夜ヶ峰先輩と会おうとした瞬間に交代されたらアウトだ。
やっと見えたはずの希望が消えて行ってしまう。
僕の意識は、再び闇に閉ざされた。

数日後。
藍里の行動に対するショックで再び意識を失った僕は、学校でようやく目を覚ました。
だが、『表』には出ていないし、依然として僕の気分は晴れない。

当然だ。藍里が人を殺してしまったのだから。

僕のせいだ。僕がもっと早く藍里の異変に気づいていれば。
そう思っていた時、藍里が立ち止まっているのに気付いた。

栄町 大護

藍里?


ここは廊下だ。特に立ち止まる用事はないはず。
だが、藍里が見ているものを見たら、すぐに立ち止まった理由がわかった。

……こんなことが、ありえるのか?

藍里の前には、一人の男子生徒がいる。

ああ? なんだお前?


その男子生徒は、乱暴な口調で目の前の藍里を不機嫌そうに見る。
口調も違う。表情も違う。
だけど、そこにいる男子生徒の顔は紛れもなく……

神楽坂 藍里

大護、さん?

男子生徒

はあ?


本来の、『栄町 大護』の顔そのものだった。



第二話 完

第二話・3 神楽坂高校入学・その3

facebook twitter
pagetop