それから半年が経った。
この半年間でわかった、僕と藍里の状態はこうだ。

まず先述の通り、『表』に出る人格の切り替えは藍里にのみ行える。
次に、僕と藍里が意志疎通を行うには、お互いに声を出さなければならない。
声を出すといっても、『表』に出ていない方の人格は周りには聞こえない。『表』の人格にだけ聞こえる。
しかし、『表』に出ている方は普通に口から声を出さないと、もう一つの人格に意志が伝えられない。
つまり、周りからは独り言を言っているように聞こえるのだ。
藍里が変な人に見られるとまずいので、周りに人がいる状態では、僕と藍里はあまり会話をしないようにした。
……それでも、藍里は構わず僕に話しかけてきたりするが。

あとは、『表』に出ていなくても、僕と藍里は周りを見ることも、音を聞くことも出来る。
ただし、それは人格が起きている状態である時のみである。
『表』に出ていない人格も睡眠が必要であるようで、僕が『表』の人格として活動している時に、藍里が眠ってしまって会話が出来ないことがあった。
そして、その逆の状況もあり、僕が気がつくと全く別の場所に移動していたりもした。
しかし、藍里が眠ってしまうと人格の切り替えが出来ないため、藍里が『表』の状態で眠ってしまうと、僕は『表』に出ることも動くことも出来ない。
藍里が眠って目を閉じてしまうと、僕はもうなにもすることが出来ないのだ。

そして、藍里の『能力』だが、やはりそれは藍里にしか使えなかった。
僕が藍里の能力を使うことは出来ない。尤も、使うつもりもないが。

だが、依然として僕が藍里から抜け出す手段も、藍里を僕への依存から救い出す手段も見つけられていない。
まず、こんなことを他人に相談することも出来ないし、前例もない。
色々と心理学の本を読んでみたりもしたが、二重人格という現象についてはまだわかっていない部分が多いようだ。
そもそも二重人格というものは、一人の人間が人格の一部分を何らかの要因で切り離した状態のことを言い、僕らのように二人の人間が一つの肉体に宿っている状態とは異なるらしい。
正直言って、僕が藍里の体から抜け出す手段は見当もつかなかった。
しかし、藍里を説得することも難しかった。

神楽坂 藍里

大護さん、ご不便をおかけしますが、いずれは私の体であなたの人生を自由に過ごせるように、サポート致します。ご安心下さい


藍里は自分の体で、僕が第二の人生を送るようにしようとしている。
だが僕はそんなことは望んでいない。しかし……

神楽坂 藍里

どうか私に遠慮なさらず、あなたのしたいことをなさってください


藍里は僕に尽くすことで、自分を保っているように思えた。
僕のために生きることが、自分の存在理由なのだと考えているようだ。
僕はそんな藍里に対し、

栄町 大護

藍里は自分のために生きて欲しい。それが僕の望みなんだ


という自分の意志は何度も伝えている。だが、

神楽坂 藍里

私の望みは、あなたの為に生きることです


どうあっても、僕たちの意見は平行線になっていた。

そして、僕たちは高校に入学することになった。
僕は結局、受験の時も『表』に出ることになってしまい、藍里のサポートもあって、僕の第一志望の高校に行くことになった。
正直、藍里ならもっと上の高校に行くことも出来たかもしれなかったが、それでもあの高校のレベルは割と高かったので、先生や藍里の家族には喜ばれた。
そして今、僕は高校の入学式を終え、クラス名簿に書かれた教室で席についている。
だが、そんな僕に藍里が声をかけてきた。

神楽坂 藍里

大護さん、申し訳ありませんが、少し代わっていただけますか?

栄町 大護

え?


突然の藍里の提案に、僕は戸惑う。
この半年間、藍里の方から交代を申し出ることは無かったからだ。

栄町 大護

わ、わかった。いいよ

神楽坂 藍里

はい、それでは


その言葉の後に、僕は肉体の主導権を失い、体が動かせなくなる。
この状態になると、他人の体に宿っているという気分が強くなるし、正直言ってあまりいい気分ではない。
だが、僕はずっと藍里にその状態を強いてきたのだ。
それを感じた僕は、改めて藍里の肉体から出ていく決意を強くする。
そう考えていると、教室内で拍手が起こった。どうやら出席番号順に自己紹介をしていくようだ。
『か行』である藍里の順番は割と早くやってきた。前の席の生徒が自己紹介を終えたのを見て、藍里が教壇に上がる。

教師

えーと、次は神楽坂さんですね

神楽坂 藍里

……


藍里は担任の教師の呼びかけには応えず、しばらく沈黙していた。それを不審に思った教師が声をかける前に、藍里が口を開く。

神楽坂 藍里

初めまして、栄町 大護と申します

栄町 大護

……っ!?


なんだなんだなんだ!? 藍里は何を言っている!?

栄町 大護

あ、藍里!?

神楽坂 藍里

…………


思わず藍里に声をかけてしまうが、藍里は応えない。
そして、クラスメイト達は僕よりもっと驚いていた。

なあ、どう見ても女の子だよな、あの子?

うん、というか神楽坂って名前じゃないの?

なんだなんだ? 自己紹介でインパクトを与えにきたのか!?


当然だ。女子である藍里が『栄町 大護』などという、どう考えても男子としか思えない名前を名乗ったのだ。驚くに決まっている。
そもそも名簿には『神楽坂 藍里』と書かれているのだ。クラスメイトや教師からすれば、こんな不可解なことはない。
戸惑いながら、教師が藍里に声をかける。

教師

あ、あの、神楽坂さん? どういうつもりかな?


見たところ三十代の男性教師は、今までにない自体に困惑しているようだ。

神楽坂 藍里

言葉の通りです。私の……いえ、僕の名前は『栄町 大護』といいます

栄町 大護

ちょ、ちょっと、藍里!?


待て待て待て。
名前どころか、一人称まで変えてきたぞ。何を考えているんだ藍里は!?
……そこまで考えて、僕はある一つの結論に達する。

藍里は僕が藍里の体で第二の人生を歩むようにしている。それが自分の生きる理由だと考えている。
そして今、藍里は高校に入学し、新たな環境となった。
周りは皆、藍里のことを知らない人ばかりだ。割とレベルの高い高校のせいか、同じ中学の生徒は少ない。
ならば、藍里はどうする?

周りの人間に対し『栄町 大護』と名乗り、僕が僕として生きやすいようにする。

……なんということだ。
僕は甘かった。正直言って、今まで藍里のふりは割とうまくいっていた。
だからゆっくり藍里を説得していけばいいと思っていたのだ。
だが藍里の僕への依存は、僕が思っていたよりずっと深かった。

そう、自分の名前を捨て去ることを躊躇わないほどに。

……ふざけるな。
僕の心は今、自分自身への怒りで満たされていた。
ゆっくり藍里を説得していけばいい? 何を考えていたんだ僕は。
そもそも、藍里の体の中に僕という異物が入っている状態が一秒たりともあってはいけなかったんだ。
その異物が入ってしまった結果、藍里は自分の人生を僕のために使おうとしている。
冗談じゃない。藍里の幸せはどうなるんだ。僕が願った彼女の幸せはどうなるんだ。

時間がない。藍里の人生が壊れる前に、二つの課題を速やかに達成しなければならない。

藍里は僕と出会い、新たなスタートを切った。だがそれは、間違った方向へのスタートだったんだ。
だから僕は、藍里にもう一度……そう、第三のスタートを切らせなければならない。

それが僕の……最後の使命だ。

第二話・2 神楽坂高校入学・その2

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