#5 旅する欲望

ミュゼ

このへん?

ココ

もう少し先みたいです、
そーっと行きましょうそーっと

ミュゼ

あいさ、隠密行動なら任せて

 合流してから二日後の昼過ぎのこと。二人は無人の街道を歩き、二つの廃村を超えた。
 その後に辿りついたこの三つ目の廃村に次の食材がいるとココは言う。

ミュゼ

もう一区画進んでみようか

ココ

はいです

 廃屋の壁に身を寄せ、できる限り気配を殺しながら歩いた。
 ココの本に浮かび上がる情報を頼りに、目標がいるらしい地点との距離をじりじりと詰めてゆく。

ココ

見つかったら大変なのです、
慎重にひとつずつ捕まえて食べていきましょうです

ミュゼ

ういーっす

 この世界の住人たちにとって、『食べる』ことは創造主の特権であり、『食べられる』ことは至上の喜びである。
 意識を保っている者なら喜ばぬはずがないとココは語っていた。
 それゆえにこうして二人は建物の陰に潜んでいる。

ミュゼ

あのさ、万が一見つかっちゃったときはどう……

ココ

みぎゃーーーーーーーー!!

ミュゼ

ちょっとおーーーーーー!?

 ココが壁の破片につまづき、廃屋の壁に激突してしまった。老朽化が進んでいた壁は崩れ、土くれとなって少女の上に降り注ぐ。

ココ

ひええええ埋まるかと思いましたです、
ありがとうですっ

 ミュゼの迅速な救援により生き埋めを免れたが、代わって新たな問題が生じてしまった。

 廃屋の向こう、二人が目指していた地点がにわかに騒がしくなった。風の音のような、人の怨嗟の声のような、どこか悲しげな響きが聞こえだしたのだ。

ミュゼ

……気付かれたっぽくない?

ココ

ごめんなさいです!ごめんなさいです!

 二人は声のするほうを睨み付け、身構える。
 朽ちた壁の陰から姿を現したのは、人ほどの大きさのある黒い何かだった。

 大きさだけでなく、形も人間に近い。
 人を真っ黒に塗りつぶして少しだけ透けさせたような、影を立体にしたような何かが、

 かなり、いる。

ミュゼ

多いわ!!

 叫ぶと同時に双方駆け出していた。
 自ら食べに来てくれるのは手間が省けるが、この数に殺到されては腹が破裂してしまう。ひとまず逃げる他はない。

ミュゼ

走れーーーっ!

ココ

はい!

 二人は全速力で逃走を図る。しかしココは走り慣れていないのかどうにも速度が出ない。
 ミュゼは一旦止まり、強引にココを抱き上げて再び走り出した。

ミュゼ

しっかり捕まってなよ!

ココ

わわわわわかりましたああああああ

 横抱きにした小さな体はひどく軽い。しかし内臓がきちんと詰まっているかどうかを心配している余裕はなかった。
 人影たちは言葉にならない声をあげながら追いかけてくる。

ミュゼ

何だってあんなに必死なんだあいつら!?

ココ

誰も食べに来てくれないから、
食べて貰いたい気持ちが暴走して飛び出しちゃったのです

ココ

置いてきた身体が元の形を忘れて、
一昨日のあの大きなお肉になりましたです

ミュゼ

ああーだからあんな雑な作りしてたのか

 ミュゼはココと言う大荷物を抱えながらも軽快な足取りで逃げ回った。

ミュゼ

あそこで時間稼げっかな……

 目に留まったのは、他の家々よりも大きく立派な家だった。廃屋となってもなお気品がある。
 ミュゼは乱暴に扉を開けて乗り込むと内側から鍵をかけた。

 殺到した影たちが力任せに扉を破ろうとしている。知能は低いのか、他の部屋の窓を破って入ろうとはしてこない。
 玄関扉も鍵も、老朽化はしているがそれでもかなり頑丈な作りとなっており、影たちの体当たりに耐えてくれた。

ミュゼ

よーし、あとは勝手口からそーっと逃げ……

ミュゼ

って

ココ

ひぇぇ

 振り返った扉から、黒くて細いものがにゅるにゅると飛び出してくる。
 影たちが強引に身を押し付け、鍵穴を通って侵入してきたのだ。
 しかし経路が経路なだけにその姿はすっかり細くなってしまっている。紐のようになってしまった影は、少しの間その場でびたびたとのたうっていたが、元の姿に戻れぬ動かなくなった。

ミュゼ

これって、もしかして……

 呆然と立ち尽くすココと、一部始終を好奇の目で見つめるミュゼ。
 一本の長い紐になった元追手に続いて、次の追手がまた鍵穴から強引に侵入してくる。そして程なくして同じ末路を辿った。
 ミュゼは扉の近くにしゃがみ込み、嵩を増してゆく紐をつまみあげた。

ミュゼ

ココ、今度は大丈夫?傷みかけてない?

ココ

はい、大丈夫です!
ちゃんと見てますから!

 少女は同行者と慌てて開いた本を交互に見ながら答えた。
 安全は保障されたが、真っ黒な紐にしか見えない見た目からは味の想像が付かない。ミュゼはその匂いを嗅いだ後、思い切って齧りついてみた。

ココ

……どんな味です?

ミュゼ

匂いも味もない……口ん中でフワッてなって消える

 麺を食べるように啜ってみると、口に含んだ先から綿菓子のようにとろけて消えてしまう。

ミュゼ

味はあの肉に置いてきたのかな

 この影は一昨日食べた肉塊と分離したものの成れの果てなのです……とココは言っていた。

ココ

たぶん……

ココ

食べられたい、って気持ちは、
食べてくれる誰かを探すためにどこまでも行きたくて、味を置いてきてしまいました

ココ

置き去りにされた体のほうは、
自分が何なのかを見失って、
元の姿を忘れてしまったのです

 ココの目は憂いに満ちていた。
 ミュゼはその小さな姿に寄り添い、そっと頭を撫でてやった。

ミュゼ

で、こーやってチョコを溶かすじゃん?

ココ

ふむふむ

ミュゼ

巻いた麺を浸けるじゃん?

ココ

ふむふむむ

ミュゼ

食べるじゃん?

ミュゼ

うめぇ!!

 二人は麺となった影の一部を持ち出し、焚き火の前で様々な調理法を試していた。
 追手はもういない。結局全てが鍵穴をくぐり抜けて動かなくなってしまった。

ミュゼ

意外と甘いもんが一番合ったねえこれ

 ミュゼが魔法の鞄から取り出した調味料も試してみたが、驚いたことに塩や魚醤よりも甘味のほうが噛み合った。小鍋で溶かしたチョコレートとマシュマロは、四日前に菓子の機関車から拝借してきたものだ。

ココ

どんな感じなのですか?

ミュゼ

なんかさ、コーティングしてあるおかげで
食感が長持ちするんだ

ミュゼ

でもどっちにしろ麺は消えて無くなるから、
ソースとかよりも単体で食えるもんと
組み合わせたほうがいいみたい

ココ

そうなのですね!
美味しく食べてくれたなら何よりなのです

ココ

…………

 ミュゼは幸せそうに不思議な麺を啜り続ける。
 そんな彼女を横目に、ココは本を開き、最初のページを見つめた。
 殆どの食品が取り消し線で消されている中、本を持つ少女の名前だけが残っていた。

あと:1品

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