――どうしよう、お姉ちゃんどうしようっ!
 真人が意識が途切れ落ちる瞬間、それが耳にした最後の言葉となった。

ん……痛ぅっ、右手が……痛い……っ!

 目に入るのはどこかの建物の天井、そして、自らの傍につりさげられた点滴のチューブとパックだった。

あれ……俺、助かったのか?

 いきなり女の子に襲われたのは覚えてはいるのだが、意識の途切れる前に聞いた言葉はなんだったろうか。

 ――間違っちゃった。

 ……っておい、間違っちゃったってなんだよ。と真人は急に理不尽な境遇にあったことだけを理解すると、胸がむかむかとして苛ついてきた。

く、くっついてる……? な、なんでだ……

普通、くっつかないよな……いや、そうでもない、のか?

 ちぎれても切り口が綺麗ならなんとかなるんだろうか。昔にそういうマンガがあった気がする。いや、それ以前に今は何時なんだ。腕が戻ってるとなると、最低でも月単位の時間が経過してしまうのではなかろうか、などと真人は考える。

指が動く……って、神経や筋肉も繋がってるってことか

 神経や筋肉を繋げるというのは並大抵の手術ではない。さぞかしお高い病院で高名で腕の良い、もしくは黒ずくめの闇医者や新宿にいるという妖しい外科医レベルな腕前でもなければ難しいだろう、などと真人は思う。
 そして、手術費用と入院費用だ。下宿先の賃貸料を支払っている親に、どれだけ支払いがかかるのかと思うと頭が痛かった。

ああ、目が覚めたのか。坊主……災難だったな。

えっと、その声は……八重、先生?

 八重先生――九重八重(ここのえ・やえ)というのは、この九重学園で校医を務めている女医さんだ。元々は実家の系列病院にいたのだが、どうにもそりが合わなくて、伝手を辿って非常勤として在籍。普段はここで校医をしている、というのが学園内での噂だった。

そうだ。さて、君。これは何本に見える?

 八重は真人の目の前に指を三本立てて見せた。ひっかけや冗談でもない、普通の診断なのだろうと思った真人は素直に答えた。

三本です。意識の方はちょっとぼんやりだけど、はっきりしてます

そうか。ならば良かった。
では肝心の右腕の方はどうだ?
違和感があるだろうが、一時的なものだ。
それに関しては安心してかまわない。

 真人の様子から八重は少しばかり胸をなでおろす。もしかしたら八重が診たのかも知れないと真人は思った。ならばその反応は当然だ。

なんだかひきつったような感覚があるんですが、それのことですか

ああ、そんな感じがあるだろうな。
普通の治療なら接合手術をした後の治癒に時間がかかって、かなり筋力などが衰えるので、長期のリハビリが必要なんだが……

 八重はおもむろに白衣の胸ポケットから煙草を取り出すと、使い込んだ感のあるオイルライターを出して火をつけた。そして、ゆっくりと満足げに紫煙を吐き出す。

君の場合は少々特殊な処置をしていてな。
斬られた箇所をよく見てみるといい。札が貼ってあるだろう。

なんですかこれ、なんかラノベとかでたまに見るようなお札っぽいんですけど。

 西洋風ではない、中国方面で見かける道教の呪符によく似たお札が右腕に巻かれた包帯の上から何枚も貼られていた。

君らの年代ではそうだろうなぁ。
正しくそれは呪符と呼ばれる類のものだ。
君の治療のために外科手術と併用して癒術も用いさせてもらった。
昨日の今日で腕が動くレベルまで治癒が進んでいるのはそのおかげといっていい。

それであの……八重先生が助けてくれたのはなんとなくわかったんですが。俺、なんでこんなことになってるんですか。

 憮然とした感情を丸出しにした真人が八重に視線を向けると、紫煙を一つ吐きながら、彼女はすい、と人差し指を横に動かした。保健室の入口へ、だ。

 彼女のさした指の先――そこにはあの時襲ってきた女の子が立っていた。

……

原因はあれだ。
というか……私の愚妹が早とちりをしてしまってな、巻き込んで本当にすまないことをした……というか、してくれたよ。
おかげで非番なので久しぶりにお気に入りの店に予約を入れたのに、しっちゃかめっちゃかだよ。

 そこまで言い終えると、ガジガジとフィルターの部分を噛み始める八重。にしても保健室は禁煙のはずじゃないか、そう思う真人だったが――

 ――藪蛇でまた巻き込まれそうだからやめとこう。うん。

あのう、八重姉さん……私……

馬鹿かお前は、こういう時は本人に言え。
目の前にいるんだから。

わかり……ました。

 そう促された女の子は、間違いなく俺の腕を切り落とした子だった。

……説明はしていただけるんですよね。

 この日本じゃあんな刀みたいな武器は銃刀法で規制されていて、扱いもかなり厳重だ。街中で簡単に振り回すなんて、後先考えてない限りできる話じゃない。

あのっ、ごめんなさいっ。
私が追っていた妖物が、貴方とよく似ていたから……

似ていたって、そんな理由なのかよ。
あとさ、妖物ってなに?
名前も言わないで謝られても、こっちもわからないし、困るよ……

 真人の問いかけに女の子は八重の方に視線を向ける。話してもいいのか、というように。八重はピコピコと煙草を上下に振り、唐突に頭をかきむしった。

あーっ、もうやってられんっ!
響真人、お前には才能がある!
異界へと自ら踏み入る才能――大正異界へと至ることの出来る力がな。

お姉ちゃんっ、異界のことは関係者以外は秘密だって言ってたじゃないっ!

秘密も何も、コノヱ、お前がこいつに斬りつけた時点で関係者もくそもないっ……
あああもうっ、起こったことはなんともしがたい事だが話を進めてくれっ

ええっと、私は九重コノヱです。
この学園の生徒で、異界――大正異界から不正規に侵入して悪事を働く妖物と呼ばれるモノを対処する組織に属していて、ちょうどその妖物を追っている最中に……

 偶然にも真人が姿を見せ、追っていた妖物と誤認したのだという。

誤認って……間違えちゃった、ってのはそういうことか。

ああ、そういうことだ。
本当に妹のしでかしたことで、君に多大な迷惑をかけた。
……そしてこの話にはまだ続きがあるんだが……

 ――大正異界。まるでマンガか何かの冗談みたいだ。次々と知らされる事実に、真人は軽い眩暈を覚えたのだった。その世界は真人たちの歴史とは少しずれた、隣接した世界であり、大正天皇が短命で崩御し、昭和へと移り変わらずにいたようなところなのだと。

さっきも言ったから、くどいかも知れんが。
君にはどうやら異界へ自ら赴ける力があるようだ。術式もなく、単独でなど、現世の人間では聞いたことがない。
今までは、な。

 本来なら決められた場所――鳥居をくぐったりや術式の起動や場所の指定などの正規の段階を踏んだ形で異界へと入れるのだが、八重いわく、真人には体質的なものかも知れないと前置きしつつ、単独で異界に侵入できる力があるのだと説明する。

じゃあ、あの周りの風景が急にかわったのは……

逢魔が時で繋がりやすい時間、繋がりやすい状況が整ってしまったからだろう。
トンネルをくぐればそこは――ではないが、何かをくぐるという行為そのものが性質上からして、条件として当てはまるんだよ。

でなければ、異界側にいた筈のコノヱが現世に戻って君を斬りつけているなんて事故はないはずだ。
いや、そうでなければ説明がつかないのだよ

そうです。私はあの時、確かに異界側で追跡してたんです。
なのに、何故か目の前が現世になって……敵に斬りつけようとしてた私は、間違えてあなたを斬ってしまった。

 異界側で活動してたはずの彼女がいきなり現世に戻り、今の事態を引き起こした。これは知らないとはいえ、自分にも責任があるのでは、などと真人は悩み始める。

そんな……冗談みたいなことが本当にあるなんて……

 くしゃくしゃと吸殻を灰皿に押しつけて火を消す八重の言葉に、真人は矢継ぎ早に出てくる、未知の話に頭を抱えてしまっていた。

これから俺はどうなるんですか。
なんだか異界って話もすごい秘密みたいなんですけど……

当然だ。
これはごく一部の機関のみが知りうる案件であり、本来なら君のような一件は事故で片づけるつもりだった。

 あっさりと空恐ろしいことを口にする八重。もしそうなっていたら、明日の三面記事は夕闇のトンネルに切り裂き魔現る! とかワイドショーを賑やかし、真人自身の命すら危うかったかもしれない。

しかしだ、まさか自分の妹がそんなトラブルを起こすとは思わないだろう、普通。
身内のトラブルだったから、私が手ずから助けたんだ。

ううっ、お姉ちゃんの視線が痛い……

ありがとう、ございます……であってますかね、この場合。

概ね間違ってはいないよ。
本来なら一般人には隠匿するべき案件なのは重ねて言うが、事実だからな。
だが、一方で無視できない事実もある。

 先ほどの異界を渡る力――そんなものが軛もなく野に放たれたままの方が恐ろしい、と彼女は言葉を続けた。真人のことが他所に漏れたら、間違いなくとんでもない事態が起こり得るのだとも。

そんなわけで君には、大正異界と現世を違法に行き来する妖物や人間、これを取り締まる、もしくは退治する構成員になってもらう。
言っておくが、従来の生活はそこそこできるが、組織に属するという事に関して拒否権はない。

それってもし、拒否したら……

君がそのうち何かに狙われたりするかもしれないが、命の保証はしない。それだけだ。

 事実上の最後通告だ。なんでたこ焼き買って帰ってただけで、こんな命の駆け引きなんかに巻き込まれたんだろう。真人はがっくしとうなだれる。トラブルに巻き込まれやすいなんていっても、今回のだけは今まで生きてきた中で一番のヤクネタだ。もしかしたら人生で一番かも知れない――

わかりました……後のことを考えると怖いので、そうすることにします。それで、組織の名前なんかは教えてもらえるんですか?

組織の名前は私が。
えーと、鷺白コンツェルン傘下に属する九重警備保障、第七課。通称、大正警備隊です。
多分、貴方の訓練やレクチャーは私がすることになると思いますので、改めてよろしくお願いいたします。ええと……

……響真人。真人でも響でも、好きな方でいいよ。

 何ともシンプルな通称なのだろうか。いや、それ以前にまともに自己紹介したのは、今が初めてではなかったであろうか。ベッドの上でコノヱの言葉を聞いた真人はそんなことを思うのであった。

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