朗らか荘 入口

 雨がざあざあ降っている。
 大きな欠伸をしながら、目の下に隈ができた竜二とじんが入口から出てくる。

「はぁ~疲れたわぁ~。こんな時間まで、今日の夜勤は大変だったっす」

「何かあったのか?」

「あったも何も、正宗のじいさんが、なかなか寝てくれなくて、夜中の2時に『殿中でござる~!』って、廊下に置き忘れてあったモップを掴んだまま、俺に切りかかってきて、
『やられたぁ~』って何度も死ぬ芝居して、俺、仮眠も出来なかったっす…」

「ああ、あの時代劇好きなじいさんか…」

「そうなんすよ。そんで、やっと眠ったかと
 思ったら、今度はいきなり部屋の戸をバンって開けて出てきて、ポリバケツを頭に被ったまま、『帰蝶はどこじゃあ~!』って、隣の人の部屋をドンドン叩きながら、『みんな起きちゃうから、正宗さん、やめましょう!』って止めるのに必死でした…」

 じん、竜二の話を聞いてクスッと笑う。

「じんさん、笑い事じゃないっすよ~」

「すまん…」

「でもまぁ、そういうのがたまにあるから、面白いんすけどね、この仕事…」

「そうだな」

 竜二、雨の中に両手を差し出す。

「やっぱ、この雨止みそうにないですね。
 ちょっと大通りに出てから、タクシー拾って帰りません?俺、今日傘持ってないし、じんさんも持ってないでしょ?」

「ああ、そうだな」

 スカジャンを頭から覆う竜二。
 じんはパーカーのフードを被り、2人で大通りまで走り出す。
 大通りに出ると、反対側からタクシーが近づいてくる。竜二が目立つように右手を上げて振る。
 信号が黄色になる前に、タクシーが勢いよく
 Uターンして竜二達の前に止まり、後部座席の扉が開く。
 中年らしい運転手が振り返って、竜二に行き先を尋ねる。

「どちらまで?」

 申し訳なさそうに竜二が運転手に行き先を伝える。 
「近くで悪いんすけど、横須賀の方までお願いします」

「横須賀ね」
 2人が乗った事を確認してから、ドアがパタンと閉まり、走り出す。

「そういやあいつ、良かったっすね…」

「ああ、お前の同級生の事か?」

「そう、美咲の事っす。河村主任の計らいで、ちょうど部屋に空きもあって、ばあさんすぐにうちに入れたし…あいつもまた、学校通えるようになったし…めでたし、めでたしってところっすね」

 信号が黄色になり、交差点の前でタクシーが停止する。
 じんが、何気なく窓の外を見ると、
 花屋の店先に並んだ|紫陽花《アジサイ》が、色鮮やかに咲いている。

「綺麗っすね…」

「そうだな」

「そういえば、|紫陽花《アジサイ》の花言葉って、なんだっけ?」

 運転手が、バックミラーに映る竜二を見て、
「【我慢強い愛情】ですよ」

 竜二が身を乗り出し、
「運転手さん、詳しいっすね」

「うちの女房が好きだったんですよ、|紫陽花《アジサイ》」

「奥さんが好きだったんですか」

「ええ、もう亡くなっちまったんですがね」

「…病気か何かですか?」

「…2年前に…癌でね…」

 悲しそうな目で運転手を見る竜二。

「辛いこと思い出させて、すみません」

「いえ、気にしないで下さい。癌と分かった時から覚悟はできてましたから…」

「…そうでしたか…」

 しばらく沈黙があり、じんが口を開く。
「…俺の母親も好きだった…」

「じんさんのお袋さんも、|紫陽花《アジサイ》好きだったんですか」

「ああ…」

 雨に濡れた紫陽花の花びらの|雫《しずく》が、静かにゆっくりと、地面に落ちていく。



(第一章 俺たち、介護⭐︎族 終)

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