■ ナレーション

〈ここは、とある片田舎にある居酒屋〉

〈周囲は大自然に囲まれ、人通りのない辺鄙な場所に店は建っている〉

〈しかし、この店は人が途絶えることのない知る人ぞ知る繁盛店である〉

〈今宵も新たなる客が店にやって来る。その心に深い悩みを抱えて〉

■ 居酒屋ミズチ 夜

 一人の若い女性が入って来る。
 
『伊藤ユリ 30歳 主婦 三人の子持ち。子供は全員小学生。夫は国家公務員 33歳』

ユリ「マスター、一人だけど席は空いてる? あ、普通に空いてるじゃん。カウンター、いい? 駄目って言われても座っちゃうけれどもね」

 伊藤ユリはそう言いながらカウンター席に座る。

ユリ「ねえねえ、マスター? 今日のお通しは何? へ? それは貴女次第、ですって? ったく、マスターって変わってるわよね。普通、お客毎にお通しって変えるものなの? まあ、私もそういう変なところが気に入ってここに入り浸っているわけなんですけれども! まずはいつもの……ってか、既に中ジョッキを出しているとか、流石はマスターね」笑顔を浮かべながら、中ジョッキを口元に運びビールを喉に流す。

 伊藤ユリは恍惚な笑みを浮かべながら、勢いよくジョッキをカウンターに叩きつけるように置く。

ユリ「やっぱりキンキンに冷えた生ビールは最高ね! これで旦那が居なくなればもっと最高だったのに。え? また夫婦喧嘩でもしたのか、ですって? いえ、違うわ。ちょっと疲れちゃったのよ。旦那にもだけれども、お姑さん、旦那のお義母様によ」深く嘆息する。「ねえ、マスター? どうしてお姑さんって、嫁のことを目の敵にするんだと思う? さあ? ですって? 本当にもう、頼りになるんだかならないんだか。いいわ、それなら聞かせてあげる。でも覚悟しておいてね。私の愚痴は長いんだから」

 伊藤ユリの回想開始━━。

■ 伊藤ユリ モノローグ

 私の名前は伊藤ユリ。30歳。十年前、看護師をしていた時、公務員をしていた今の旦那と知り合い結婚した。現在は二女一男の子宝に恵まれ、それなりに幸せな日々を過ごしている。

 ただし、あの最悪な姑さえいなければ、だが。

■ 伊藤家 (夫の実家) 昼 土曜日

 伊藤ユリは家族と一緒に旦那の実家を訪れる。
 インターフォンを鳴らすと義父母が現れる。

義母「あらあら、いらっしゃい」笑顔で応対する。

ユリ「お邪魔します、お義母様」笑顔でお辞儀をする。

義母「よく来てくれたわね。ささ、早くお上んなさい」

 義母がそう言うと、ユリ以外の家族は楽しそうに家の中に入って行く。
 しかし、ユリだけは表情が暗い。

ユリ〈一見、人が良さそうな義母だが、実は裏の顔を隠している〉

ユリ〈それを知った時から、私と義母の戦いは始まっていたのだ〉

■ 伊藤家 (夫の実家)居間 昼

 孫たちと楽し気におしゃべりをしている義父母。
 
ユリ「これはつまらないものですけれども」そう言って紙袋を義母に手渡す。

義母「あらあら、いつもありがとうね、ユリさん。家族なんだから気を使わなくってもいいのに」

 義母はそう言いながらも嬉しそうに紙袋の中身を覗き込む。

ユリ「いえ、一晩御厄介になるのでこれくらいはしないと」引きつった笑みを浮かべる。

義母「あら、私の大好物の栗蒸し羊羹じゃない! 待っててね、今、お茶を淹れて来るから皆で食べましょう」

ユリ「あ、私がやりますので、お義母様は座っていてください」

義母「そう? なら、お言葉に甘えちゃおうかしらね」

■ 伊藤家 (夫の実家)台所

 ユリは険相を浮かべながらお茶の用意をする。

ユリ〈あんのクソババア、あんな笑顔を浮かべておいて、裏では何を考えているのか分かったものじゃないわ。どうせ私がお土産を持ってこなかったり、お茶の用意をしなかったら、また近所にあることないこと言いふらすに決まっているのよ〉

● 伊藤ユリ 回想

〈あれは、去年の出来事だ〉

〈あの日、お義母さんが体調不良を訴え、念のために検査入院した時の話だ〉

〈私は一人で実家に来て、義母の代わりにしばらくの間、義父の世話をすることになった〉

〈そんなある日、ご近所の奥様連中がやってきて、私にこんなことを言って来たのだ〉

主婦A「ここの奥様、入院されたんですってね」

主婦B「御身体の具合は大丈夫かしら、心配だわ」

ユリ「いえ、お義母様は大丈夫です。明後日には退院予定ですので」

主婦A「それにしても貴女、よくできたお嫁さんだわね。次男さんのお嫁さんかしら?」

ユリ「へ? いえ、主人は長男ですけれども……?」

 すると、主婦Aと主婦Bは驚いた表情を見せた。

主婦A「あら、そうなの? 変ね、奥さんに聞いていたのと話が違うわ」

ユリ「話が違う? それ、どういう意味ですか?」

主婦A「いえね、ここの奥さんってば、いつも言っていたのよ。長男の嫁はろくでもないクズ女だって」

 ユリ、唖然となる。

主婦B「長男は女を見る目がない。長男の嫁は家に来てもろくに働こうともしないぐうたら女とも言っていたわね。でも、貴女を見ている限り、きっと何かの勘違いだったみたいね」

 それだけを言って、二人は去って行った。
 後に残された伊藤ユリは怒りで身体を震わせ、顔を引きつらせていた。

ユリ〈あんのクソババア、陰で私のことをそんな風に言っていたのね!?〉

■ 伊藤ユリ モノローグ

〈義母がご近所に私の悪口を言いふらしていたことが分かっても、私は誰にも相談出来ずにいた〉

〈今の段階ではそういった疑いがあるだけで、私に直接的な被害があったわけではないからだ〉

〈しかし、この時から義母は徐々にだが本性を現すようになってきたのだ〉

■ 伊藤ユリ 家 昼

 携帯に電話がかかってくる。画面を見ると義母からの着信だった。

ユリ〈うげ、お義母さんからだ。いったい何の用かしら? 嫌な予感がするわ〉嫌々ながらも電話を取る。

義母『もしもし、ユリさん? 私よ?』

 そんなこと分かっているっちゅーのにと思いながらも返事をする。

ユリ「お義母様、どうしました?」

義母『いえね、もう少しで子供の日じゃない? それでね、そっちに鯉のぼりをプレゼントに送っておいたから』

 ユリ、愕然となる。

ユリ〈鯉のぼりですって!? この家じゃ飾れないから、以前にも断っておいたのに!〉苛立ちに険相を浮かべる。

ユリ「あの、申し訳ありませんが、家では飾れないので以前にお断りしたはずなんですけれども?」

義母『でも、もう送っちゃったから。要件はそれだけ。じゃあね』それだけを言って電話を切る。

ユリ〈あんのクソババア……余計なことをしくさってくれちゃって!!〉

 後日、鯉のぼりが宅配便で届けられる。
 箱の中身を開けると、中には5mにもなる青鯉の他にも五匹の鯉のぼりが入っていた。しかもポールも一緒に送られて来た。
 携帯で価格を調べてみると、軽く十万円を超えていた。
 ユリは送られて来た鯉のぼりを前に絶句する。

ユリ〈我が家は公務員宿舎であって、こんな立派な鯉のぼりを飾れる庭はないのだ。そのことを義母にも説明していたってのに。正直、これは有難迷惑だ。余計な荷物が増えただけなのだから!〉

 夕方になって子供達と夫が帰宅する。
 鯉のぼりを見て、子供たちや夫は嬉しそうな笑顔を浮かべる。

夫「凄いじゃないか。ユリ、お袋にちゃんと御礼の連絡はしたのか?」

ユリ「あなた、お義母さんにちゃんと言ってよ。こんな立派なものを貰っても飾れる場所はないって。家は持ち家じゃなく、宿舎なのよ?」

夫「別に押し入れにしまっておくだけでもいいじゃないか。肝心なのは真心だろ? ほら、子供達もあんなに喜んでいるじゃないか」

 ユリは表面上は笑顔を浮かべていても、内心では苦虫を噛み潰したような顔を浮かべていた。

ユリ〈くれるだけなら問題はないのよ! あの義母ったら、何倍ものお返しを求めて来るから困っているんじゃない!〉

●ユリ 回想

〈あれは子供たちの誕生日の時のこと〉

〈義父母が子供たちに誕生日プレゼントを送ってきてくれた〉

〈ちゃんと良いおじいちゃん、おばあちゃんをしてくれて嬉しかったのだが、ある日、こんなメールが義母から送られてきたのだ〉

〈それは、お高い家電一覧表。そう言えば、今度TVを買い替えたいと言っていた。これはつまり、自分たちの誕生日に買って送って寄越せと言う意思表示なのだ〉

 回想終了━━。

 ユリ、ハッとなる。

ユリ〈そう言えば、最初の義父母からのおねだりメールを無視した時から妙な空気になったのだ。あの後、二人の誕生日には当り障りのないものを送ってからというもの、義母の態度がよそよそしくなったのだ〉

 ユリ、深く嘆息する。

ユリ「それで、お礼はどうするの?」

夫「家族なんだから別にいいんじゃないか? お礼の電話だけでいいだろう」

ユリ「いえ、それだとお義母さんがへそを曲げちゃうのよ」

 夫、苛立った表情を浮かべる。

夫「お袋はそんなあさましい人間じゃない! 馬鹿にするのか?」

ユリ「い、いえ、そういうわけじゃないけれども」顔を引きつらせる。

夫「とにかくお礼の電話だけでいい。いいから明日にでも電話をしておいてくれよな」

ユリ「わ、分かったわ」

ユリ〈私は夫に言われるがまま、翌日、義母にお礼の電話を入れた〉

ユリ〈しかし、それが後にあんな事件を引き起こすことになるだなんて、その時の私は想像すらしていなかったのだ〉

第一話のシナリオ 第一章 伊藤ユリ 三十歳 主婦の場合 其の一

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