シャルニーア様、本日はお天気も良いので少しだけ遠出してみましょう
ファッ?!
今朝も時間がなく風呂に浸かりながら朝飯を食べた、というよりは流し込み終わり、そして急いで服を着たところで、アイシャが唐突にそんなことを宣うた。
というか、そんなことを言い出すなど非常に、ものすごーーーーーく非常に珍しい。
思わず変な言葉が出てしまったじゃないか。
いつもならば……。
お時間が足りないようですので、昼食時間を削って魔術講習をやりますね
なんて言うところである
明日は槍でも降るんじゃないだろうか。いや、雹かもしれない。
いやいやカエルとか魚が降ってくるそ。
でも俺は公爵家の次女。滅多に外へ出してもらえないのだ。
父ちゃんは俺を箱入り娘にさせたいらしい。
いったいどういう風の吹き回しでしょうか? もしかして、どこか調子が悪いのですか?
主に性格がな。
いや、それはいつものことか。
日頃ずっと部屋に閉じこもったままでしょうから、ストレスもたまっているかと思いまして
でもアイシャもわかっているとは思いますが、私は外へ出ることは禁止されております
このアイシャ、人生を賭けて公爵閣下をご説得いたしました
そう俺が言うと、アイシャがドヤ顔でふんぞり返った。
いや、そんなに胸を反らしても、ないものはないぞ?
しかも人生を賭けてって、外出許可を取るのにどんだけお前は頑張るんだよ。
しかし、よく外出なんて父ちゃんが許したな。外出など服のサイズを測りにいく時くらいしか無かったのに。
買い食いすら出来ないなんて、なんて不便なんだろうか。まあ頼めば大抵の食べ物は持ってきてくれるけど。
ちなみにどちらまでいくのですか?
攻撃魔術を思いっきり、思う存分心ゆくまで使える場所でございます
こう言っては何だが、俺は魔力が非常に多い。
それこそ人の何倍、いや何十倍もある。
昔、掛かりつけの魔術医療師に見てもらったとき、まるで神のような人智を超えた魔力量ですな、なんて言われたっけ。
そして俺はまだまだ魔術を行使するとき、いまいち安定性に欠ける。
下手をすれば魔力が暴走して、周囲に甚大な被害が出る。
だから家の中では滅多に魔術は使わないし、やるときでもほんのわずかな量しか使わせてもらえず、更にはアイシャの結界魔術で周囲を囲っているのだ。
これは正直ストレスがたまる。
しかし、心ゆくまで思いっきり使える場所ねぇ。
一体どこだろう?
確か王都にある冒険者ギルドの本部地下に、魔術結界を張った訓練所があると噂に聞いているから、そこだろうか?
もしくは、町の外?
いや、さすがにいくら何でもそれは父ちゃんが許さないだろう。
では馬車を用意しなければなりませんね
とりあえず外に出るのなら馬車は必須だ。
アイシャは俺の専属メイドだが、さすがに馬車を動かす権限はないので、俺から命令を出さなきゃいけない。
そして呼び鈴を鳴らそうとしたとき、アイシャに止められた。
シャルニーア様、馬車を使わなくとも、この魔術転移符を使えば一瞬で移動できますよ
魔術……転移符……だと?
転移を行う魔術には莫大な魔力が必要となる。
人であれば十数人分の魔力量に匹敵する。
それだと非常に効率が悪いため、周囲に漂う魔力を使うのが一般的である。
だが転移魔術を発動するとその周囲の魔力が激減し、数日程度空っぽ状態になってしまう。
このために、転移魔術は国によって厳しく管理されており、もし無断で発動しようものなら、すぐさま魔術騎士団によって探知され捕縛されるだろう。
だが、先ほどアイシャは、符、と言った。
つまりは符に魔力を込めて発動するタイプである。
ということは、それって俺に魔力を籠めてね、と言っている。
この大陸広しといえども、転移魔術に必要な魔力量を一人で賄うものなど、俺しかいないと思っている。
魔力タンク扱いかよ。
つまり、私に魔力を籠めろ、と言っているのですか
さすがシャルニーア様。ご理解がお早くて助かります
はぁ……わかりました。では符を貸して下さい
その前に少し動きやすい服装にしましょう
今の俺の格好は貴族の娘に相応しいドレス姿である。このまま外へ行けば注目の的だろう。
つまり目立たない格好にすればいいんだな?
クローゼットの中からとあるモノを取り出し、俺はいそいそと着替え始めた。
シャルニーア様……その格好は……?
何やら呆れた顔のアイシャである。
俺の服装は、黒色のジャージに黒のズボン。そして下にはちゃんとスパッツを穿いている。
ちなみに靴も運動靴で、更にスパイクだ。家の床だと歩き難いが、外ならばっちりだろう。
これですか? これは運動服、というものです
俺はさっきのお返しとばかりに、胸を逸らしてアイシャに見せびらかした。
お針子が得意なメイドに頼み込んで作ってもらった、特注の一品だ。
スパイクの運動靴は、高級品を扱っている靴屋と、そしてうちと契約しているドワーフの鍛冶屋とのコラボである。
さすがドワーフ族の作ったものであり、試しに庭で少し走ってみたところ食いつきがハンパなく良かった。
これなら百メートル走でも上位を狙えるぜ!
公爵家の次女が着る様な服でないことは確かだけど。
とても動きやすそうな服装ですね。到底公爵家のお嬢様には見えませんが
良いではありませんか、そのほうがばれずに済みます
どうせ誰もいない場所ですが
……。
一体どこへ行く気なのだろうか。
人気のない大草原とか?
まあいい。行ってみれば分かるだろう。
では魔力を籠めますよ
お願いします
渡してもらった符に、魔力を籠め始める。
……。
…………。
………………。
い、意外と必要だったな。感覚的には二十人分くらいか?
まあ転移だしそんなものなのだろう。
完了しましたね。では発動しますよ?
はい
そして周りが一瞬光ったと思った次の瞬間、見知らぬ森の中に俺とアイシャは立っていた。
朝だというのに薄暗く、そして何やら薄気味悪い。った木々が太陽の光を遮り、空気が澱んでいる。
……ここは?
ここは戦乱の闇の森と呼ばれている場所になります
戦乱の闇の森。
四百年前に大陸の覇権を争った戦争が勃発した。
当時大陸の三割を支配していた、我がファンドル王国と、大陸最強と謳われていたエイブラ帝国である。
結果的にファンドル王国が戦争に勝ちこの大陸最大の国となった訳だが、最後の戦いでエイブラ帝国の帝都を攻めた。
その決戦の場がこの森である。
四百年前は栄えた都だったが、今では鬱蒼と茂った森へと変わったらしい。
これは何千、何万も死者を出した帝国の、そして当時最強の魔術士と言われた皇帝の恨みが都を森に変化させたのだ、と伝えられている。
さて、ここは帝都だった場所で、戦争に負けた帝国の皇帝が死んだ場所である。
しかも森に変化させたほどの恨みを持ちながら……。
そして俺はファンドル王家の一つ、公爵家の次女だ。
当然、当時の王の血を俺は引いていることになる。
……つまり。
ちょおっとぉぉぉぉぉぉ!?
俺が叫ぶと同時に、周囲には何十体ものゴーストが出現した。
奇妙な雄たけびをあげながら、猫まっしぐら状態で俺へと突っ込んでくる。
さあシャルニーア様、頑張ってくださいませ。ここなら格好の攻撃魔術の練習場ですよ? なにせ敵には事欠かないほどうようよいますからね
うようよいすぎだよっ!!
ほらほら、早くしないと死んでしまいますよ? あなたの血を恨んだ亡霊に殺されたら、死後すら安らかに眠れませんよ
他人事のように言うなよ!
普段なら私も攻撃されるでしょうが、今はシャルニーア様という宿敵の血の持ち主がおりますから、私はむしろ安全ですよ?
俺は泣きながら攻撃魔術を乱舞した。
これは十四歳の小娘に翻弄される元三十五歳のおっさんの物語である。
おぉ、我が積年の恨み、ここで果たして見せようぞ
あら、エイブラ皇帝のお出ましですよ? さあシャルニーア様、ファンドル王家に連なるものの責務として、当時倒しきれなかったあの亡霊を倒してしまいましょう
鬼かあんたはぁぁぁぁぁぁぁぁ!!