『臨時休業』がかかったドアを眺めて、アンドレアは葉巻を灰皿に押し潰した。

おいサム

インスタントのエスプレッソを淹れてきたサマンサがルージュの塗られた唇で返す。

何かしら?

本当に小娘どもだけで行かせて大丈夫だったのか?

コトリ、とアンドレアが背を預けたカウンターにカップが置かれる。

ふふ、私、貴女のそういう意外と母性的なトコロ、好きよ

NoNoNo!

顎に手を伸ばして、耳元でに囁かれたのを必死で払いのける。密着して軽く潰れていた胸が離れると、

何しやがんだ!

と怒鳴った。

いいじゃない

何が良いんだ! 何一つ良くねえよ! 真面目に聞け! あの海域はなあ!

そうねえ……

サマンサは軽く頬に手を当てる。

でも、貴女が行ったら真っ赤なカーニバルになってしまうわ。あの子たちくらいが適任じゃないかしら

真っ赤な……な

呟きながらエスプレッソを口にした。苦い。

海図を見ながら紅玉がポリポリと頬を掻いた。

此処で合ってるか?

合ってるつってんだろうが

ダイビングスーツを着込んだエミリーは、乱暴に返す。

海に関してはエミリーが達人です。お任せしましょう

そう、此処まで小型の漁船を運転してきたのもエミリーだ。

お前が浮かんでこないと我達も陸に帰れないある。気を付けるよろし

前置きいらねえよ

ボンベを背負うと、依子も軽く眉を寄せて

お気をつけて

と言った。
軽く親指を立てて、海に飛び込む。

やれやれ、日焼けするし揺れるしロクな事ないね

日焼け止めを塗りなおす紅玉に、水筒の麦茶を差し出す。

私は少し楽しいです。船に乗れる機会なんてめったにありませんから

紅玉はため息を吐いたが、

お前が楽しいんなら上等ある

と言った。
波飛沫がきらきらと碧い海に光る。
海猫がミャアミャアと鳴く。

本当に……綺麗

あんまり日向に出ると熱中症なるあるよ

和服娘に声をかけるが、

船が見えますー!

とはしゃいだ声が返ってきたので諦めた。

漁船あるか?

船室から出ていく。その表情はすぐに強張った。

引っ込むね! 巡視船ある!

慌てて、船室に飛び込むと、無線を手に取る。
すぐに雑音交じりの通信が入った。

CQCQ……貴船の所属と……ザザ……目的を問う

紅玉は早口に伝える。

当船は商店ヘヴンズ・ドアーの個人船だ。この付近で行方不明になった当商店所属の船を探している

船の外で水音がする。

エミリー、無事でしたか!

シュノーケルとボンベを外すと、エミリーは叫んだ。

くっそ、有り得ねえ!

水中カメラを依子に押し付ける。

あのイタリア野郎の船

無線機は語る。

当方はソビエト連邦の巡視船だ。こちらの領海で得た情報を提供する

エミリーは叫ぶ。無線機は語る。

沈んでやがった!

そんな船は来ていない

紅玉は静かに目を閉じる。

了解。情報提供感謝する

エミリーが無線機を奪おうとするも、紅玉は通信を切る。

おい! どうしたんだよ! 船は沈んでたって言っただろうが! その写真だってバッチリ撮ってるんだぜ!?

紅玉は冷静な声を返す。

分からないあるか? 船が沈んでいるにも関わらず、奴らはそんな船は来ていないと言って来たね。何故、船が沈んでるか、此処まで分かり易い事もないある

双眼鏡を覗いていた依子が、巡視船の窓の向こうに見た人影を見て言葉を漏らす。
灰色の髪、灰色の瞳、周囲の人間に比べれば小柄な男。
しかし、鋭い目つきは、的確にこちらと視線を合わせていた。

大尉(カピターン)……

知ってる顔か?

双眼鏡を覗きながら、依子は叫ぶ。

自信はありませんが、スチールブルーの軍服、あの方には見覚えが! 名前も何も分かりませんけれど、お兄様ならご存知かと!

波音で声を消されながらも確認するのを、紅玉は引っ張り込んだ。

エミリー、早く船を出すある! あのイタリア男の二の舞になりたいか!

エンジン音を立て、船は唸りを上げて海上を逃げ去る。
赤い旗が嘲るかのようにそれを見送った。

おい、船を沈めやがったソ連軍人と知り合いってのは―

エミリーが酸素ボンベを取り外しながら問う。

違うね

なんだよ紅玉、間から入ってきやがって

あのソ連軍人、陸軍の軍服だったね。船を直接沈めた訳ではないはずよ

じゃあ、なんでまた出てきたんだよ? っつーか、何で沈められたんだ?

紅玉は腕を組む。

沈められた理由は簡単よ。おそらく、あのイタリア男、近道しようとしたか何かで、ソ連領海近くに入ったね

近くってだけで、領海じゃねえだろ

近くに入っただけで、沈める理由には十分よ。あれはうちの船だったね。何処かの国に、自国の目の届く範囲で、戦力が移動しようとしていたある。それも、此処はヴァルハラあるぞ

ソ連に楯突く戦力が現れる前に、沈めたって事か?

その通りよ。飲み込み早いね

なんか馬鹿にされてる気がするが……。まあいい、じゃあ、依子、あの灰色の男は何だよ?

それまで黙って話を聞いていたのが、静かに話し出す。

あの方は私の兄のお友達―の類かと思います

類?

はっきりとした事は私もわからないので……。時折うちにいらっしゃるのですが、「大尉(カピターン)」としか……ただ、確実に戦士です

いや、それでソ連の狙い分かったよ

紅玉は頷き、告げた。

依子も知ってる戦士を出す事で、うちの店に手出ししないように圧力かけてきたね

圧力ぅ?

エミリーが顔を顰める。

効く訳ないだろ、うちの店長にそんなん

ヘヴンズ・ドアー4話「―今こそ、滅私奉公の時」

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