あまりに暇すぎて俺が『空中浮遊』という新たなスキルを獲得した頃、やっと母親が帰ってきた。傍らには妹の結もいる。
 もう日が完全に落ちているためか、母親は洗濯物の取り込みやら夕飯の支度やらで動き回っているが、結の方はリビングのテーブルに座って俯いたまま動かない。やはり家族の死を知って落ち込んでいるんだろうか。
 結は俺より2才年下の妹で、中学2年生だ。身長は150cmに届くかどうかという小柄な体躯だが、バレー部に所属し運動神経も悪くはない。勉強の方はあまり得意ではないようだが、結構頑張り屋なので努力で補っているようだ。学力は平均以上、運動はできないわけではないという程度の俺とは正反対。好みなんかもかなり違っていた。
 結とは一時期かなり仲が悪かったが最近ではそれも無くなり、そこそこ良好な関係だったと思う。
 まあ好感度を抜きにしても家族がいなくなればショックは受けるだろう。夕飯の時間になっても結と母親の間に会話は無く、気まずい沈黙が場を支配していた。
 その空気に耐えられなくなった俺は二階にある自室に戻り、気を紛らわせるために新たな心霊スキルの習得に励んだのだった。


 ◇

 気まずい夕食も終わり、午後10時。結は録画していたらしいアイドルの番組を見ていた。
 結はアイドル好きで、こういう番組をよく見る。昔は男性アイドルを追っかけていたが、最近はもっぱら女性アイドルだ。結の部屋には大勢の女の子が写ったポスターが壁中に張ってある。その他にもいろいろ集めているようで、結の部屋はアイドルグッズがいっぱいだ。
 ちなみに俺の部屋は壁一面にアニメキャラのポスターが貼ってある……という訳ではない。代わりに、ラノベと漫画とほんの少しの純文学で埋め尽くされた本棚が部屋を圧迫している。
 しばらくして番組が終わると、結はHDDの電源を切り、適当にチャンネルを変えて偶然かかったバラエティ番組を見始めた。CMになっても反応せず、延々とテレビ画面を眺め続けている。

おーい。どうした?

 へんじがない ただのしかばねのようだ。
 いやまあ死んでるのはこっちなんだけども。
 そんな茶番を一人で繰り広げていると、ふいに結が立ち上がった。疲れたように眉間を押さえると、そのまま二階に上がっていく。
 バタン、と結の部屋のドアが閉まる音を聞き、俺は思った。

……テレビ、つけっぱなしじゃん。

 けれど、今の俺の身体ではどうすることもできないし、とりあえずテレビ鑑賞と決め込むことにする。よくよく考えてみれば自分では電源を付けられないので、この機会は貴重なのだ。
 そんな訳で深夜アニメやよくわからないバラエティ番組を見ながらしばらく過ごしていると、タイトルも知らない映画が流れ始めた。
 幽霊になったせいか全く眠くないので、丁度いい暇つぶしができたと思ってその映画を見ていると、なんと幽霊が題材の映画だった。
 内容自体は割とありきたりなものだったが、その中で登場人物が一つ気になることを言っていた。


 ――幽霊は死後49日経つと、本人の意思にかかわらず成仏してしまう。

 所詮B級映画の設定だと割り切ろうとしたが、そういえば前に読んだ少年漫画にも似たような設定があったことを思い出してしまう。そっちは成仏ではなく悪霊に変化するというものだったが、意思が無くなることに変わりはない。
 そうだ…… 俺はもう死んでるんだ。こうして幽霊になってしまったからイマイチ実感がないが、本来なら消えているはずの意識なんだ。
 このまま消えるなんて嫌だ。俺にはまだやり残したことがある。

せめて、せめてあの最終巻だけでも読んでから逝きたい!!

 改めて自分の未練を確認する。でも、物に触れないという事実は変わらない。ページをめくれない以上、小説を読むことはできないのだ。

なんだよ……小説が読みたくて幽霊になったのに、何もできないのかよ……

 もうテレビを見るような気分ではなくなり、失意のまま二階に上がる。自分の部屋に入ろうとしたとき、結の部屋から明かりが漏れているのに気がついた。
 わずかな躊躇いの後、どうせ見えないんだしと割り切って壁を抜ける。
 部屋の中では、結がベッドに寝転がってアイドルの本を読んでいた。
 活字の苦手な結が、アイドル関係とはいえ読書をするなんて珍しいと思っていると、
「だぁ~。やっぱり無理だ! 文字が多すぎてわけわからん!」
 そう言いながら手に持っていた本を投げ出す。
 やっぱりだめだったか。そう思いながら、ページが開きっぱなしになっている本を見てふと思う。

結に本を読ませて、それを後ろから覗き込めば俺も本を読めるんじゃないか?

 しかし、すぐに頭を振る。
 あの結が小説を読むなんてあり得ない。しかも『学園生活は魔法使いの右手に』は全12巻だ。最終巻を読ませるということは、それ以前の11冊を全て読ませるということ。一冊読破することすら厳しい結に、それはあまりにもハードルが高い。
 でも、本を読み慣れている俺が結の文字を読むスピードに遅れを取るはずがないし、他に方法がないのも事実。

やるしかないのか……

 いつの間にか寝てしまった妹の顔を見ながら、俺は心を決めた。

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