目を開けると、足元に自分が死んでいた。
目を開けると、足元に自分が死んでいた。
――え?
自分の身体を客観的な視点から見るという、非現実的な光景。
俺が状況を把握しきれず呆然としている間にも、救急隊員が俺の身体を担架に乗せている。横を見ると、白い軽トラックが建物にめり込んで止まっていた。
後ろでは挙動のおかしい男がパトカーに乗せられている。その反応は前にテレビでみた薬物中毒者と似ていた。
辺りには多くの人がいるが、まるで見えない線でもあるかのように、一定の範囲内に入ってこようとしない。
……やっと状況が整理できてきた。どうやら俺は、車に轢かれたらしい。
救急車がサイレンを鳴らしながら走り去っていく。それを目で追っていくと、少し離れたところに黒いビニール袋が落ちているのに気がついた。
そうだ。俺は今日発売のラノベの新刊を買いに来て、その帰りにトラックに轢かれたんだった。
きっと衝撃で投げ出されたのだろう。歩いていって、その本が入った袋を拾い上げようとする。
しかし、その手は空を掻いた。
いや、正確には『すり抜けた』と言うべきだろう。何かの間違いだと思って、もう一度手を伸ばす。
……おかしいな。掴めない。
何度やっても、たった一冊の本が、小さなビニール袋が持ち上がらない。ありえない事態に、理解していながらも目を背けていた事実が浮かび上がってくる。
――自らの死。
それを直視して、俺は今更ながらショックを受けた。
そして自分の運命を呪う。
だって……それが意味するのは……
――この袋に入っている、ラノベの最終巻が読めないって事じゃないか!!!
◇
そんなのってアリかよ……
俺は弱々しく呟く。
目の前には黒いビニール袋。その中には俺を二次元へと引き込んだラノベ『学園生活は魔法使いの右手に』の最終巻が入っている。
中学生になったばかりの頃に友人に勧められて読み始めたこの小説。それまで少年漫画すらろくに読んでいなかった当時の俺はその面白さに夢中になった。丁度アニメ化した時期だったのもあり、同じ作品を読んでいるクラスメイトは多く、共通の話題からすぐに友達ができた。幼稚園、小学校と友達が少ない事をコンプレックスにしていた俺にとって、この本は人生を変えてくれた大切な本だったのだ。
そして、そのシリーズ最終巻の発売日が今日。
本屋の開店と同時に店に入り、一片の迷いも無い動作でレジまで持っていった。カバーをかけてもらい、袋を受け取った時の喜びは、俺の人生の中でもトップ3に入るだろう。今日が日曜日だった事を、普段信じていない神に感謝したくらいだ。
だけど神様、前言撤回させてもらう。もし本当にいるなら、俺は恨みであんたを呪い殺せるんじゃないだろうか。
……はぁ。俺、死んだのか。せめて、この最終巻を読んでから死にたかったなぁ……
あ、もしかしてこれが俺が今ここにいる理由? つまり俺って、幽霊?
あまりのショックで気がつかなかったが、本来なら死んだはずの俺がここにいるはずがないのだ。でも俺の意識はここにある。つまり、俺は幽霊になったって事で間違いないはずだ。
ならば! あの有名な心霊現象『ポルターガイスト』を起こす事もできるのではないだろうか! 手は触れられなくとも、不思議な力で本を開くことはできないだろうか!
早速試してみる。
はぁぁぁぁ…… 動けぇー…… 動けぇぇぇぇ……
両手を前にかざし、念っぽいものを送る。すると、袋の中に入っていたはずの本が動き始め……てくれたらどんなによかっただろう。
実際には変なポーズで唸っている痛い男がそこに一人立っているだけだった。幽霊じゃなくこんなことしたらしばらくこの本屋には来られなくなる。
ていうか本当に幽霊になってるよね? まさか見られてないよね?
急に不安になって辺りを見回す。
さっきまでいた野次馬と思わしき人々はほとんど立ち去っていて、今は偶然とおりかかった人が何人かいるくらいだった。警察の人は残っている。目撃者らしき人から話を聞いたり、写真を撮ったりしている。おそらく実況見分というやつだろう。
誰もこちらに気づいてはいないようだ。ためしに警察官の目の前で手を振ってみたりするが、全く反応はない。無視されているような気分になって、ちょっとヘコむ。
うわぁ…… 俺、本当に幽霊になったんだ。
改めて実感すると、なんだか寂しくなってきた。
これからどうしよう……
死後数十分の俺は、呆然とそこに立ち尽くすしかなかった。
◇
どうしようも無いので、家に帰ってきた。
ああ、なつかしの我が家よ……
まあ家を出て一時間も経ってないけど。
家の前に立って感慨にふけっていると、突然玄関のドアが開いた。中から出てきたのは俺の母親だ。とても焦った様子で自転車に乗って走り去っていく。きっと俺が事故に遭ったという知らせを聞いて、飛び出していったんだろう。
ごめんよ、母さん。16年間ありがとう。親不孝な俺を許しておくれ……
懺悔の言葉とともに見送ると、家に入ろうとドアノブに手をかける。
するり。
……そうだった。触れないんだ。
ドアに手をつくと、硬く冷たい感触。マジか、入れないじゃん。
嘘だろ…… 母さんが帰ってくるまで待つのか
ドアを背にしてその場に座り込む。
我が家は四人家族で、妹は夕食の時間まで部活、父親が帰ってくるのは午後11時以降だ。母親が出て行った今、家の中には誰もいない。まあ仮に誰かいたとしても、幽霊になった俺の声は聞こえないだろうけど。
空を見上げ、ため息をつく。今日は厄日だ。いや厄日というか命日だが。事故に遭うわ、楽しみにしていた本は読めないわ、挙句の果てに自宅からの締め出しである。
幽霊になったは良いが、心霊現象の一つ起こせやしない。
……ん? 心霊現象?
そうだ、幽霊がすることといえば、ポルターガイスト以外にもあるじゃないか。
思い立ったら即実行。ドアを見ながら
これはモノだ。扉じゃない、ただのモノだ
と自分に言い聞かせ、えいっと足を前に出す。
するり。
さっきまで冷たく立ちはだかっていたドアは、あっけなく俺の後方へと消えた。
イッツ壁抜け。これぞまさしく幽霊。
なんだなんだ。できるんじゃないか幽霊らしいこと!
なんだか楽しくなっていろいろ試してみた結果、この身体についてある程度わかった。どうやら床や壁、扉には触れられるらしい。そして、任意ですり抜け可能。言われてみれば今の今まで普通に地に足をつけて立っていた訳だし、不思議なことではない。ただ、壁なんかには任意に触れられても、それ以外の物にはそういう訳にはいかないらしい。触れようとするとすり抜けてしまう。壁や床の定義が気になるが、まあそれはこの際いいだろう。
せっかくなので家中の壁抜け、床抜けをひとしきり楽しむと、俺は呟いた。
誰か帰ってこないかな……
その言葉は無人の廊下に吸い込まれて消えた。
こんにちは! あっさり自分の死を受け入れてる主人公が好きでした笑 ドアをすりぬけたりして、エンジョイしてるのがおもしろかったです。しかし、大好きだった作品の最終巻が読めなかったら、そりゃ成仏できません……続き、楽しみにしています!