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一之瀬 奏(イチノセ ソウ)

(夕陽、綺麗だなー…もうすぐ日没か。)

その日、私がついた溜息はこれでいくつめだろうか。

私は、お昼に遭ったあの悪夢を思い出す。

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元カレ

好きな女が出来た

一之瀬 奏(イチノセ ソウ)

……そう

元カレ

別れよう。3年間ありがとう

一之瀬 奏(イチノセ ソウ)

……うん









彼が私のもとを離れただけ。
ただそれだけのこと。

もともと彼と私に共通点などなかった。
会社の飲み会で行った居酒屋でアルバイトをしていた店員に一目惚れをしたのだ。
今思えば、あの頃の私は若かったなと思う。

時はあっという間に過ぎ去り、彼とも折り合いがつかなくなり、喧嘩を繰り返した。
遊びに行ったのに数時間後には家で泣いていることもあった。
30になってそんなことを繰り返している自分も、情けなかった。





気が晴れなくて、半日分だけ有給を使って早上がりさせてもらった。というか、もう帰れと帰らされてしまった。
上司もなんとなく察しているようで、同僚の智恵子も美香も何も言わず送ってくれたのが少し虚しい。

でも、彼との思い出で溢れているその部屋に帰りたくなくて、迷惑そうな顔をしているコーヒーショップの店員を横目に今来たばかりの何杯目かのカフェラテを喉に流す。

一之瀬 奏(イチノセ ソウ)

(コーヒーはやっぱり甘いのがいい。苦くて甘みのないコーヒーなんて……)


そこまで考えて、やめた。
何カ月経てば忘れられるかな?












店内から街灯が灯るのを順番に数えて夕日も見えなくなった頃、私はやっと腰を上げた。
――前を向かなきゃ。進まなきゃ。
でも、どうやって次の恋に進めばいい?

一之瀬 奏(イチノセ ソウ)

(彼との思い出をすべて捨ててしまえば、忘れられるだろうか?)


遠い昔から同じような結末を迎えて、同じように忘れられなくて、同じような恋が始まって、また似たような終わりを迎える。

一之瀬 奏(イチノセ ソウ)

(年を重ねればそんなこともなくなるかもしれない。
でもあとどの位繰り返せばいいのだろう?)


財布の中から1000円札を3枚と小銭をいくつか抜き取り、店員に渡す。
お釣りは30円。随分と長い間居てしまったなあ。





暗くなった街灯の下、会社帰りのサラリーマンとすれ違いながら家路へと急ぐ。

会社までは徒歩通勤で10分ほどなので、多少寄り道しても帰宅の時間は変わらない。

一之瀬 奏(イチノセ ソウ)

(親に有給半分使ったこと、言わないほうがいいかなあ)


数メートル前で同じ方向へと歩いている茶髪の男性を見て、一瞬ドキッとしてしまったけれど、左耳についている透明な球体を見て彼ではないと安堵した。

スマートフォンを弄りながら、おろおろと道を探しているらしい。

七海 導(ナナミ ドウ)

ここの角を曲がればいいのかな…?
あ、でも交差点の名前違う……
ここはどこなんだろう


ぶつぶつと彼自身は小声で話しているつもりなのかもしれないけれど、対向車線の人が不思議そうに彼を見ているくらいにはよく響く声をしている。

一之瀬 奏(イチノセ ソウ)

(――まあ、たまにはいいか)






小走りで駆け下り、とんとんと肩を叩いてみる。







七海 導(ナナミ ドウ)

ぬおおおおおおあああ!?!?!?

一之瀬 奏(イチノセ ソウ)

!?




目を白黒させながら驚くその青年は、やがてハッと我に返り咳払いをした。




七海 導(ナナミ ドウ)

え、えと……?

一之瀬 奏(イチノセ ソウ)

道に迷っているんですよね?

七海 導(ナナミ ドウ)

あ、はい。今日からバイトすることになったお店を探しているんですけど……地図を見たら分かりますか?


彼が手に持っている地図を見ると私の家からそんなに離れていない場所を指し示していた。

そもそも、こんなところに店なんてあったのだろうか。




一之瀬 奏(イチノセ ソウ)

この場所なら分かりますよ。案内します

七海 導(ナナミ ドウ)

あ、ありがとうございます!

にっこりと笑う彼に愛想笑いを返してから、私は今来た道を逆方向へと進んでいくのだった。





続く……

プロローグ・第一の扉「迷い猫」

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