――久しぶりだね、二人で飲むのも。

 約束の場所で男――ウィルの姿を見つけたとき、女――フラウは胸中で、ふとそんなことを想った。
 ドレスなどで着飾るには不似合いだが、客層が大人しい、落ち着いた酒場。
 フラウは周囲に眼を配りながら、待ち合わせの個室へと入っていった。

――この間隔と配置なら、というわけか。よく出来ている。

 他人の会話はささやきのようで、内容は聞こえてこない。逆にこちらの会話も、向こうには聞こえないだろう。眼の前の男は、こういった店を見つけてくるのが上手い。
 ウィルはいつも通り、飾り気のないシャツにズボン、とくに剃られていない髭。椅子の横には、護身用にとりまわしのしやすいショートソードがたてかけられていた。
 不衛生ではないが、女性と会うには自然体すぎるともいえる姿。だが、フラウはこの姿をよく知っている。ウィルは気を許す相手に対して、ラフな格好を好むからだ。

……懐かしいな

 フラウの方も、着慣れた上着とズボン、あとは護身用のナイフや邪魔にならない程度の小物。
 女性らしい清潔感はあるが、外出にはややラフな格好。だが、身の回りに危険を常に感じていたフラウにとって、その姿をあえて選んでいる面もあった。

待たせたわね

いや、そうでもないさ

 二人は顔を見合わせ、対面で座る。すでにある程度の注文はされていたらしく、酒や料理がテーブルに並んでいた。

付き合ってもらって、すまないな

なに言ってんの、水くさい。それとも、ほんとに水くさくなっちゃった?

 親しげに返答しながら、フラウは店員を呼んで自分のメニューも注文する。

あ、おごりだよね? 爵位もまた上がるようだし、溢れすぎて困ってるでしょ

そういうお前も、こんな安酒場で困る身分じゃないだろう?

じゃあなぜ呼んだし

そりゃあ、落ち着くからな

 お互いに軽く笑いながら、酒を胃に流しこむ。
 微妙に薄められた、純度の低い酒。悪酔いしやすい、あまり程度のよくない酒だ。
 だが、ウィルもフラウも、この酒がとても身体になじむ。

もっと高い酒飲んで、色気でも出したらどうなんだ?

安っぽい酒飲んで満足してる男ってのも、どうなのよ?

 数年前の旅立ちの時は、今飲んでいる酒ですら高級品だった。
 だが、戦場で数々の功績をあげて身分を認められた今、この程度の酒なら浴びるほど買える。ましてや、こんな安酒場自体にいる必要などないのだが。
 口に流れるこの味を、身体が求めているのだった。

慣れないんでしょ、城の中。なんでああも、みんな難しい顔してるのかしらね

確かにな。まぁ、あいつらにとってはあそこが戦場なんだから、やむを得ないだろう

そんななかでこれから生きていくのかぁ……

 城の生活を想像して、フラウはため息をはく。
 彼女にとって、ドレスの柔らかさや香水の匂いは、あまりにも価値観が違うものだった。

……俺にはむしろ、お前の方が心配になるがね

 フラウの心中を察してか、ウィルが気遣いの声をかける。

ご心配なく。いざとなったら、あたしは根無し草に戻るだけだからね

 あっけらかんと笑うフラウに対し、ウィルはやや真面目な表情で続ける。

一緒にここまで上がってきた仲間だから、消えられると、寂しいな

……まぁ、消える前には、報告するよ

 ウィルが律儀で義理堅いことを、フラウはよく知っている。

で、今日はどういった用件で呼んだの?

 なんとなく察しはつきながらも、フラウはウィルの口からその言葉を聞きたかった。

単刀直入に言う。姫様との付き合い、真剣に考えている

ああ、その話ね

 予想はできていた。
 フラウもよく知っている、この国の次代を担う姫君――フェミナ姫のこと。

あれだけの器量と心を持ちながら、美しい。恥ずかしながら、な

いいんじゃないの? 女のアタシだって、姫様には惹かれる時はあるよ

 とどのつまり、色恋の相談ということになる。
 傭兵団で女なのは、彼女を含め数人だけ。
 そして、こういった相談をウィルができるのは彼女だけだと、二人ともよく知っていた。
 没落した貴族だというウィルの言葉を信じ、長く戦場で背中を守り続けてきたフラウだからこそ、わかることだった。

 ――フェミナ姫。ウィルが彼女に惹かれるのも無理はない。

 フラウはフェミナ姫の姿を想い描きながら、状況を整理した。

 フェミナ姫は、ウィルとフラウが使える国王の娘であった。世継ぎに恵まれなかったこの国にとって、唯一の姫でもある。

 つまり、フェミナ姫の婿殿は、次代の国王であるということになる。
 それらの条件の代償か、フェミナ姫は物語のヒロインのような存在であった。可憐な容姿に、流麗な受け答え。嫌味のない仕草に、他者をいたわる優しさ。それらの面が一人の人間に備わっている様子は、非現実的でもあり、感動的でもあった。
 無論、ウィルがこうした要素から、フェミナ姫に惹かれている部分も否定はできない。だが、とフラウは想う。自分でも、フェミナ姫に惹かれる第一理由が次の理由だと、知っている。
 フェミナ姫は、戦友であった。ウィルやフラウとともに、戦場を歩き、戦いを抜け、それゆえに親しみを感じている人でもあった。

噂通りの人、だったからねぇ

 王族らしい威厳と優しさをきちんと持ち、立ち居振る舞いもその魅力を損ねない。
 まるで童話や神話の中から抜けでてきたような、この国のお姫様。

初めて聞いたときは、そんな完璧な人いないでしょ? って笑ったものなんだけどねぇ

 国を荒らす蛮族との戦いに参加した当初から、美しい姫君の話は伝え聞いていた。
 ただ、貴族の末裔ながら平民であったウィルと、その背中を守るように戦うフラウにとって、その噂は戦場で理想化された誇張だろうと想っていた。
 噂の真偽がわかったのは、もっとずっと後のこと。
 各地方で少しずつ戦火を抜け、二人に仲間が集っていき、戦功や武勲も増え。
 ウィルはいつしか王宮に呼ばれ、姫君の護衛を任される立場になっていき。
 その時、ウィルとフラウは、噂の姫君の姿を初めて見ることになり――その噂が嘘でなかったと、知ることになったのだ。

破天荒で遠慮がなく、物怖じもしない。けれど、まっすぐだ


 先に姫君と会ったのは、フラウの方が先だった。同性であるというのが、護衛としてウィルより気安かったのもあるのだろう。
 謁見をすませ、公式の場から一歩引いた立場で姫君と会った時、彼女はフラウにこう言ったのだ。いたずらな笑みを浮かべながら。

立ちっぱなしだと、足が棒のようになりまして。――そうなっても、楽に微笑を浮かべる方法、ご存じありません?

……いや、驚いた

 フラウは当時を思い出して、呆れたようなため息をつく。嫌味やバカにしたようなものではなく、どこか親しげに。

お前には、興味があったようだからな

 女性の傭兵や兵士は珍しい存在ではないが、フラウの存在にフェミナ姫が興味を持っていたのは確かだった。
 快進撃と勝利をおさめる貴族の末裔と、それを支える美人騎士――フェミナ姫が最初に話しかけたのも、ウィルではなくフラウへだった。

守らなきゃ、と想える笑顔なのがずるいんだよね

 戦場へ出るフェミナ姫を、この身にかけて守ろう――そう自然に想えたのも、主に彼女の魅力にあったとフラウはふりかえる。
 そう、国王の直系である姫君が、自ら異国の荒くれ者を討伐する――安直なれども効果的な策は、蛮族との最終決戦のために実施された。
 これほど志気の上がる戦もなかったが、ウィルが率いる傭兵団の責任も重要だった。国が抱える騎士団の力もあったが、姫君の損失だけは絶対に阻止しなければいけない状況だったからだ。
 ――辛い戦いであり、怪我人や死人も数えきれなかった。だが、フェミナ姫は戦技と魔術にたけ、自ら先陣に立つことを恐れず、兵をねぎらうことも忘れなかった。
 立場を考えれば、無謀とも、短慮とも、愚かとも言えたのかもしれない。
 だが、兵士とともに過ごし、かといってその地位をひけらかすこともない。それでいて周囲と溶け合い、いつも微笑を絶やすことがなく、ともに戦場を戦い抜いたフェミナ姫は――兵士達のシンボルでもあり、支えでもあった。

……まぁ、しかたないかなぁとも想うよね

なんの話だ?

 フラウの何気ないつぶやきに、怪訝な顔をするウィル。
 ああ、いやね、とフラウは呆れ顔で返答する。

同じ女として見ても、心おちつくんだよあの人。知らない内に、あんたの背中を守ってた時もあったしね

 蛮族の根拠地での戦いは大がかりなもので、いくら手練れのフラウでも、ウィルのフォローに手が回らないことが多かった。
 焦る気持ちの中で、ウィルのピンチを見かけたことも、一度や二度ではない。
 そんな時、フラウ以外にも、ウィルを救う力が別にあった。

護衛の俺が助けられるようでは、本当は失格なのだがな

百の敵から姫様を守ったのだから、卑下もいいところだね

 彼の背中に静かに寄り添うフェミナ姫は、フラウにとって、まるでおとぎ話の英雄と姫君のように映った。
 その理想的な一瞬を想いかえしながら――ウィルの助けになれなかったことを、悔いているフラウでもある。

……自信持ちなよ。あんたのこと、姫様は好いているはずだからさ

 そんな危機的状況が終わった後でも、ウィルを責めることもなく、みなをいたわるフェミナ姫だからこそ、彼女もまた嫌いになれない。

確かに、あの笑顔に――俺は、惚(ほ)れてしまったのだ

おぉ、のろけるねぇ

 視線をそらして苦笑しながら、フラウは言う。
 ウィルの言うように、フェミナ姫の笑顔は、戦を勝利へと導いた要因に間違いはなかった。

姫君のおかげで、戦は終わった。今度の戦いで

そう。そうだね……

 蛮族との戦の果て、お互いに不毛な戦いであることを理解した両国は、和平を結ぶことに同意した。
 戦は終わり、傭兵団の役割は終わる。ウィルもフラウも、今までの暮らしは終わりを迎える。

だからこそ……皆のためにも、な

 ウィルのふくんだ物言いが、フラウの気に障る。
 それは、自分達の立場のことだと察せられる。戦のために集まった、荒くれ者の集まり。
 戦火のなかで、フラウは、自分たちがかなりの功績をあげたことを自覚している。街中で居場所をもらい、宮廷で役職を拝命された者もいる。大出世であり、夢のような状況だと言ってもいい。
 だが、とフラウは気づいてもいる。今のままでは、功績のあるただの傭兵団にすぎないということ。そして、その立場を保つ方法を、誰も教えてはくれないということを。
 策謀がうずまく宮廷内で、いかにして立場を保つか。そのための方策など、フラウはもちろん、傭兵団の誰一人として知ってはいない。
 将来を見据え、国の中での立ち位置を築き、皆が幸せになるための方法。
 ウィルの言葉には、フェミナ姫への思慕だけではない、そういった意味もこもっていたのだった。フラウには、それがわかってしまった。
 そんな、実に律儀なウィルらしい考えに――フラウは、しっかりとウィルの眼を見つめて答えた。

アタシは、今の気楽な暮らしが好きだよ。それこそ、旅だった頃の――なにもない、頃がね

確かに、そう言う者も多いな

 フラウの言葉のニュアンスを、ウィルはそう受け止めた。
 傭兵団の中には、戦が終わったことを理由に、今後の身の振り方を考えている者も多数いる。
 元々、教養や作法からはほど遠い者達が、傭兵団を成していたのだ。
 一部は、街の者や騎士団などに同化し、平穏な暮らしを手に入れるのかもしれない。
 だが、戦場にこそ生き甲斐を求めていた者達も多い。――フラウも、その立場にかなり近い。

俺には、責任がある

くだらないね

 フラウは一蹴した。

あたしたちの世話は、自分たちでやるさ。だから、あんたはあんたの望むものを手に入れな

それは、きついな

アンタの中で答えはもう出ているんだろ?

 ――一介の傭兵団を越え、国を手に入れる――

 ウィルはかつて、フラウにそう言った。
 まるで絵空事のようなその考えは、けれど、ウィルの今の状況では、あと少しでつかめる現実でもあるのだ。

だったら、言い訳なんか探さず、女に情けなんか求めず、自分の道を――まっすぐ、行きなよ

 ――あの時、あたしはあんたの背中になりたいと、そう想っただけなんだから――

 フラウの言葉にウィルは静かにうなずき、グラスの酒を一気にあおる。
 一息ついて、しっかりとフラウの眼を見て、ウィルは告げた。

いつもお前には、背中を守られていたのにな

そうだねぇ……

俺は背中を見ることは、できない人間のようだ

そんな人間いたら、驚くよねぇ

 ウィルの言葉にけらけら笑いながら、フラウは手元の酒と料理をかっくらう。
 とにかくなにか、口元をふさいで、奥へ流し込んでしまいたかった。

だから、願うよ。お前の背中を守ってくれる、そんな男が現れることをな

 ――本当、余計なことばかり言う――

 流れ出しそうな言葉をよけて、フラウは、前向きな言葉をつむぎだした。

今度は、アンタみたいにはっきりしない男を見たら、ぶっとばすような相方を見つけるわ

そいつは困るな

 笑いながら答えるウィルの顔に、もう迷いや戸惑いの影はなかった。

 ――あんたは、はじめから前しか見てなかったんだね。あたしは、背中にくらいついていくのに、必死だったのにさ。

 フラウの脳裏に、ウィルの背中がよみがえる。頼もしくもどこかスキの見えた過去から、皆を引き連れていく大きな背中、そして――姫君と寄り添う、未来の風景を。

  ―――

(……背中に気をつけなよ。もう、アタシはいないんだからさ)

 フラウは静かに微笑みながら、そう内心で呟いた。あの姫君がいる限り、余計な心配とは想いながら。

さあ、飲もうじゃないか。未来の英雄を祈って、背中を押してやるよ

 そうしてウィルにハッパをかけ、フラウは新しい酒をオーダーしながら。

(さて、いつ旅立つことにしようかね……)

 ウィルの背中から旅立つ未来の自分を、脳裏に想い描いていた。

見ている未来の違いにて

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