第一話 純文学とは?

こんばんは、原由実です

あの

こんばんは、みんなのアイドル、喜多村英梨です!

あのなあ! フミ! おめーCV違うだろ!

きゃはっラブリィー♡

某7さんからネタを奪うんじゃない。彼女はネタ枠で揉めているのだから

で、今日は何について語ります?

グインサーガとか?

お前ら……いきなりハードル上げるな! グインサーガとか日本一長い物語の一つじゃねえかよ馬鹿野郎!

いや、面白いんじゃないかと

どこかじゃ! そんなもん語り始めたらグインサーガだけで終わるわ!

フミ。流石にグインサーガはだめでしょう。大体、あの作品は大衆小説ですし

なるほど…………でもさ。そう言われると不思議に思わない?

……何が?

大衆小説と純文学の違いについてさ

そう言われてみると確かに……

どうなってるの? 教えて? ダンディー先生?

ふーむ……

どうしたのです? 貴方様、腕組みなどして?

フミにそう言われるからには答えなきゃだが、これには正しい答えってのがないんだよなあ

え?

タカネよ。お前、芸術と単なるイラストの間に線を引けるか?

うーん……そう言われると……困ります

純文学を語るってことは即ちそういうこと。純文学と非純文学には線引きは難しいってことで。純文学的な大衆作家もいれば、その逆もいるわけさ。だから、線を簡単にこれって引けないのさ

なるほど……

だから、今回はダンディー的な解釈での純文学論というわけだよ。まあ、文句あるなら中村光夫なり、小林秀雄の批評を見ればいいから

はーい!

(はーい……ってわかってんのかこいつは……)

貴方様は純文学と大衆文学を一言で表すとどうなると思いますか?

ふーむ。そうだなあ。まあ、強いて例えるならば、純文学は漆器。大衆小説は大量生産する人気のお皿というたところかなあ

漆器と人気の皿⁈

漆器と人気の皿とはどういう意味でしょうか?

まあ。語弊があるかも知れぬがな。即ち、人気の皿ってのはな。次々に大量生産されるわけだ。わかるだろ?

まあ、それは。需要と供給って言葉もあるしねー?

それに対して、純文学ってのは、年に何作も生み出せない、漆器の名品に似ていると言うべきかな。まあ、最近の漆器は偽物のガラクタまがいのもんが増えたとはいえど……

ど、どういうことですか?

流行の皿ってのはな。流行だから一時的にはバカ売れするだろう。しかしな。その流行はいつか終わりが来て、パタリと皿が売れなくなってしまう時があるのだよ。もう一枚も売れずに忘れ去られてしまうようなね

流行と衰退……でしょうか?

まあ、中には映画や演劇という名前の博物館や風俗学という名前の教科書として使われることもあるが、それは物凄く少数でな。大体は忘れ去られてしまうし、もし残っていても作品ばかり残って、作者の名前なんて忘れ去られるなんてザラにあるわけだ

ああ。雪之丞変化とか一本刀土俵入りとかね

フミ、お前、渋い所ついてきたな……まあ、でも間違いではないなぁ。野坂昭如の『火垂るの墓』とかね。まあ、あれは純文学に近いんだけど……それに対して、純文学はどうだ? 結構知ってる作品や作者多いんじゃないの?

例えば?

そりゃたくさんいるが、まあ例を挙げるとならば幸田露伴、森鴎外、夏目漱石、永井荷風、佐藤春夫、谷崎潤一郎、菊池寛、芥川龍之介、川端康成、中島敦、太宰治、織田作之助、田宮虎彦、山川方夫、吉行淳之介、安岡章太郎、安部公房、大江健三郎とかさ……

ああ! 知ってる!

まあ、菊池寛以前は、純文学と大衆小説という明確な基準がなかったから何とも微妙なラインなんだが、それでも、知名度的に百年近く前に死んだはずなのに、知られているよねえ

ええ

なんというかね。さっきの話だな。そんな歴史性をも踏まえていったのだが……漆器は使い込めば使い込むほどに味が出るというのだけど、純文学はそんなもんじゃないのかなと思うよ。そりゃ発行部数や人気は大いに大衆小説に劣る。けどね。生き残った見事な名品の数々はね。いつまでも光り輝いて漆器として、皿なんか吹き飛ばしてしまうような価値を生み出すわけなんだよ。分かるかい?

あれでしょ? 人気絵師の描くエロ本は『マジシコ!』とかなんたら、大きなお友達のオカズとして活躍するけど飽きられたらすぐ捨てられる。それに対して、ある絵師が本気で書いた、裸体の絵は、殆どオカズにならないけど、美学的な解釈が広がって名作として成り立つってことでしょ?

あのな……お前はどうしてそう下ネタに……しかも大体あってんだよな……まあ、何度も言うが僕の述べた言葉は感覚で判断しているし、こればかりは明確なものがないから言いようがないのだけど、兎に角、発行部数や人気は薄いが、後世まで殆ど変わることなく残るのが純文学。世を風靡する代わりに風化しやすいのも大衆小説なんだよ。両方共に一長一短という所かね。だからね。純文学が『大衆小説は低俗』と威張る必要も大衆小説が『三千部で粋がるバカ。純文学は売れない』とかいうのもおかしい話なんだよ

なるほど……

良いものは良い。悪いものは悪い。生前、評価されなきゃ残れないってのも間違いで、梶井基次郎だの中島敦だの、さらに言えば、中上健次や太宰治のように作品そのものはあまり面白くなく、文学的要素が薄いとしても、死んだ後に周りが持ち上げてさらに人気に拍車をかける例もあるんだな。まあ、純文学に限らずだけどね。

へえ、そういう見方もできますか……でも、貴方様……純文学は難しいですね

まあ、曖昧だからね。でも、曖昧で助かる部分もいくらもあるような気がする。明確になったらダメになりそうな。この不鮮明さは永遠に残すべきだと思う。まあ、一言で言えばいいものは良い。悪いものは悪い。これだけだよ。そこに人気も流行もクソもないわけで

へー。まあ、フミはオカズに出来ればなんでもいいよ。純文学でも

お前なあ……では、次に純文学はいつ純文学として一人歩きをし始めるようになったか考えてみよう……

次は純文学的なるものの個人解釈的「文学史」です!

厭なら飛ばせ。

純文学のミカタ!! ~第一話。純文学って何よ?~

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