――つくづく、年期ってものがイヤになる。

……せっかくのお誘い、期待しちゃったのに


 がっかりした口調とともに、女はグラスを傾ける。
 洒落たレストランに、落ち着いた雰囲気の客層。ある程度の年月を経た大人が集うには最適な場所だと、女には想えた。
 そんななか、女の向かいに座る男は、少し場にそぐわないようだった。不安げに視線をさまよわせる態度と、場に物足りない若さ。それに、女に

向かって申し訳なさそうに顔を上下させる態度も、それに拍車をかけていた。

すみません、自分の話ばっかりで。けど、部長なら、俺なんかよりいい人いますよ!


 そして男は、力強い口調で女にそう告げる。

 ――ああ傷つく。

 女は内心でそう呟きながら、再びグラスを口につけ、傷心の心を落ち着ける。
 時計の針が八時を回る。夜が更けるにはまだまだ早いが、男から誘われるには、期待してしまう時間。
 仕事終わりの帰り際に、かわいい後輩に誘われた。
 しかも、今日は金曜の午後で、明日は会社も休み。
 ここしばらく、彼氏はいない。それは相手も知っている。
 期待するな、というのが無理なもの。
 しかし、結果はうまくいかないものである。

そうはいうけれど、私の年だと所帯持ちなんかが多くてね。いい相手がいても、それなりに理由があったりするし

俺は部長、とても素敵だと想います


 ――まっすぐすぎて、いたい。

 同じ干支だと知った時の衝撃といい勝負だと想いながら、女は苦笑して口を開く。

あら、不倫も似合うって言いたいのかしら?

いや、そんなわけないじゃないですか


 冗談めかしたセリフを、男は受け止めながらも否定する。
 そんな彼のさりげない真摯な態度も、悪気はないがゆえに、染みてくる。
 なので、彼女は話を相談内容に戻す。

あの子、いい子だものねぇ。おまけに仕事もできる


 男の誘いの理由は、この場にいない彼女を指すもの。
 女にしてみれば、勘弁願いたい気分になる相談内容でもあった。
 想い浮かべるのは、彼と同期の女性社員の姿。

 女は想い出す。
 自分とは違う、ほがらかな笑顔に合わせた、優しそうな雰囲気。
 化粧は控えめ、物腰は柔らか、それでいてサポートは的確。
 くやしいことに、若さ特有の甘い匂いが、近づいたときに感じられたこともあるくらいだった。

落ち込むわぁ

彼女、部長の仕事ぶりに感心してましたよ。いつも誉めてます


 男が勘違いしたフォローを告げる。
 落ちこむのは違う理由なのだが、と女は次の酒を頼みながら、グラスを空ける。
 ペースをあわせるかのように男もグラスを空けて、続ける。
 その様子に、いつもの飲み会の席とは様子が違うことを女は見てとる。

今日は早いじゃない? いつもはあんまり飲まないくせに

強くならないといけないと、想う日が増えまして

酒で開いた口と心なんて、空元気と変わらないよ?

……肝に銘じておきます


 頼りない子だな、と感じながらも

そういう場合もあるけどね

と支えもする。
 女は、そうした自分の言葉で柔らかくなる男の雰囲気が、嫌いではない。

……部長は、どうして恋をするんですか?

なあに、藪から棒な質問ね


 真摯な表情から、決して冗談を言っているのではないとわかる。
 だが、返答が難しい。
 一般論で答えればいいのか、流してしまえばいいのか、哲学を語ればいいのか。
 それとも、と女が考えていると、男が言葉を続けた。

いや、正直、自分……こんな気分になるのが、始めてで


 本当に、真剣に、苦悩するようにそう言われて。
 女は、

なるほどね

と相づちを打ち、どうして自分が彼に惹かれていたかを冷静に自覚する。

胸の奥の気分が恋かどうか、わからない?


 グラスを少しだけ揺らしながら、そう問い返す。

……お恥ずかしい限りですが、そうでしょうね


 料理の手をおいて、男は下目使いでそう答えた。
 それは別に恥ずかしいことじゃないけれど、と女は返しながら。

でも、どうして私に? こう言っては悪いけれど、普通、そうした話は同姓にするものではなくて?


 ――だって、そんな話を女性にすれば、どう想われるかわかるでしょうに。

 しかし、それに気づけないほどに経験がなく、素直で愚鈍なのが、彼なのだ。
 若い頃の彼女であれば、その生真面目さに疲れ、嫌気がさしていたかもしれない。
 けれど今は、どうした経験の積み重ねがそう想わせるのか、そんな姿が初々しくて好ましい。

 ――これは、なにも知らない動物を愛でる感覚に、もしかしたら近いのだろうか。

 女がそう想っていると、男は、恥ずかしそうに口を開いた。

それは、そうなんですが……みんな、あまりこういったことに経験が薄いらしくて

あぁ……そういえば今の子達って、恋愛関係に疎いとは聞くわね


 草食系もとおりこし、今は絶食系とも言うらしい。
 女はそれを想い出して

絶食したら死んじゃうよねぇ

と言い。
 男はそれを聞きながら

そもそも食べて良いかわからないんですよ

と答える。
 ため息をついたのは、二人とも。

いいんじゃない、食べても。それが、合うか合わないか――誰かが知っているわけもないんだしね


 料理とカクテルの相性は、濃厚だ。喉元をすぎる感触が、女には心地よい。
 男はしかし、グラスの手も、料理の手も、少し鈍くなっているようだ。

――どうして恋をするのか、だったわね


 女が口を開き、男が女の言葉に耳を傾ける。

さあ、なぜかしらね? ただ、さっきの話ではないけれど……


 ゆっくりとグラスを指先でなでながら、女は夢見心地でつぶやく。

そう、まるで夢のような心地になるために……恋をするのかもしれないわね

夢……ですか?

ええ、そう。夢よ


 そう、物想いにふけるように女は言った後。

――えっ?


 突然、女はゆっくりと、男の頬に顔を近づけた。

ぶ、ぶちょ……!?

……難しいのは、難しく考えるからよ


 その唇が、男の顔へとゆっくり近づき――

フッ!

あひゃあ!?


 ――女は、男の首筋へと息を吹きかけた。

あはは、そんなに緊張すると彼女ともたないよ?

ひ、ひどいですよ……


 本当にへこんだような表情で、少し不満げに男は女に視線を向ける。
 実に反応が素直でよろしく、からかい混じりのコミュニケーションもしてしまいたくなる。

だから、だめだよ相手に惑わされちゃ

はい?


 眼の前の男の視界に。
 眼の前の女が映っていないのなら。

好きなら好きって、嘘をつかないようにすること


 無理矢理そこへ違う像をすべりこませたら、彼の映像はぐちゃぐちゃになってしまうだろう。
 それも一興なのかもしれないが――

でないと、本当の夢になっちゃうから、ね?


 ――そんな夢は、彼にはまだ早いと、女は自分に言い聞かせた。

――はい


 どうにも素直な男の顔と瞳。
 そんな彼の表情は、女に、夢と現実の境界を迷わせる。

 ――これは、母性であって、恋ではない。そう、想う。

じゃあ、女に嫌われる話題ナンバーワン、惚れた女のノロケ話でも始めるとしましょうか

え、そうなんですか!?

今、私が決めたのよ


 そういって、グラスを一気に傾ける。
 熱い衝動がのどの奥へと降りてゆく時、自分の想いも深く墜ちてゆくように、女には感じられた。

ねえ、だから教えなさい。私が君のことを嫌いになるくらい、彼女のことが好きな理由を――


 勘弁してください、と申し訳なさそうにする男に、女はさらに煽り立てるのだった。
 夜はまだ、たっぷりとその時間を残していた。

同じ干支(えと)の違う視線

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