斉宮優理は、とにかく人と喋る事が苦手である。
 どのような事を言えば良いのかいつも判断がつかない。人に話し掛けられたとき、どのように返せば良いか分からない。

 毎日学校で、そんな優理を会話に入れてくれるクラスメート達にさえ、まともに話が出来た覚えがない。
 例えば今日の話題であった、
「A先生よりB先生のほうがかっこいい」
 というテーマに、他の女の子たちは同意見なり反対意見なりを思い思いに話していたのに、優理は相槌を打つことすら出来ずにいた。

「ねえ、優理は?優理はどう思う?」

 誰かが振ったその質問を、優理はかなり『ずるい』言葉で乗り切った。

「うーん……どっちも格好良くて、私はどっちの方がって選べないかな……」

 曖昧に濁したその言葉に、数人が笑い、数人がつまらなそうな顔をする。それだけで、優理の心臓は凍り付きそうになった。
 人と話すと、話した相手からは何らかの反応が返ってくる。その反応が自分に好意的でないことが、優理には恐怖の対象だったのだ。

魔王少女

01.少女は言葉を操れない

 帰宅すると、母が夕食を作っていた。ガスオーブンからする香ばしい匂いに、今日のご飯はグラタンかな、と優理は想像する。

ただいま、お母さん

 母の背に声を掛けると、母は振り返りもせずに「おかえり」と言葉を投げた。まるで機械的なものに思えた。
 優理は挨拶があまり好きではない。彼女の周囲では、それが機械的なやり取りである方が多かったからだ。

 優理がリビングに通学鞄をおろすと、今帰宅したばかりだというのに、母は「ねえ、ちょっと」と優理を呼びつけた。

「お使い頼める?」

 頼める?と聞く癖に、断ると母は怒る。それを知っているからこそ、優理は素直に言葉を返した。

うん、大丈夫だよ。何が必要?

「明日、河合さんと一緒にバーベキューする予定でしょう?なんだけど、敷物代わりのブルーシート、破けているみたいなの。それからマッチももう無いでしょう、それと軍手も必要なの」

ブルーシートとマッチと軍手だね、じゃあ、ホームセンターだね

「そう。お願いね」

 優理の家から少し歩いた所には、ホームセンターとスーパーマーケット、それに百円ショップと本屋が一緒になったショッピングモールがある。
 それだけ揃っていると、日々の生活用品を揃えるには便利で、自然と優理はあまり買い物の為に遠出をしない子として育った。自転車で通学出来る距離にある高校に進学した優理には、電車や車で家から離れるのはどこかへ遊びに行くときだけ、という感覚がある。

……だからなのかな

 ふと、優理はそれがクラスメイト達と上手く話が出来ない理由なのではないかと考えた。
 高校ともなると、電車通学で通ってくる子が多くなる。
 優理の高校の最寄駅は一つしかない。クラスメイトの女子達は、皆駅まで一緒に下校し、駅の周りで放課後に遊ぶ。
 ところが、優理の家は駅の反対方向で、しかもそれなりに距離がある。皆と駅方面に行ってしまえば、それだけで優理の帰宅は何時間も遅れてしまう。

 クラスメイトの子たちの話題の半分近くが『昨日の放課後』の事で、もちろん優理はその会話には参加できない。曖昧に相槌を打ち、皆に合わせて笑うだけだ。

 だから──優理はこんなにも、人と話す事が苦手なのだろうか?

多分……違う、よね

 優理はその自問を、緩く頭を振って否定した。
 そうではない。話題が共有できないのが根本的な原因ではないと、優理は頭では理解している。

考えるの……やめよう。来週はもっと、自分の考えてることを言えるようにしよう……

 お使いの買い物を終わらせて店を出ると、もう日は完全に落ちて辺りは暗くなっていた。
 夏にはまだ早い時期だ。日没はそれほど遅いわけでもない。それでも暗い夜道を歩くのを好んでいるわけでもない優理は、母から頼まれたブルーシートとマッチ、それに軍手と、自分のお小遣いで買ったチョコレートとジュースと鋏を荷物に家路を急いだ。
 鋏は筆箱の中に入れておいたものを無くしてしまい、丁度買いに行かねばと思っていたものだった。
 最近学校で物を無くすことが多くなった、と優理は思う。一週間前にスティックのりを、その四日前にも修正テープを無くしたばかりだった。

もっと気を付けないと……

 心の中で自分を叱咤する。
 そうして、一つため息をついた時だった。

そうだね、気を付けたほうがいい

 唐突に、どこからかその声は聞こえてきた。
 思わず口許を手で押さえた優理は、きょろきょろと周囲を見回す。独り言として、口から声が出ていたのだろうか。それを誰かに聞かれたのだろうか。
 そう考えると、余りの恥ずかしさに顔が火照る。

 しかし、優理があたりを見回しても、声の主の姿はどこにも無かった。
 日が落ちたとはいえ、周囲はそれほど暗くない。影になるような所も無い。
 不思議に思うよりも不気味に思った優理は、そっと背をブロック塀に預けて、街灯の下へと近づいていった。

……なに?なんか、変 

 ところが、そうしているうちに優理は自分のの頭がまるで霧でもかかったように鈍くなったのを感じた。
 どうしてか、酷く重い。眩む視界に平衡感覚が狂い、心臓が跳ねる。
 貧血だろうか、と両目を自分の掌で覆い、完全に塀に寄り掛かる。

 瞼の裏側に、チカチカと毒々しい光がいくつも瞬いた。
 酷い眩暈に全身の力が抜けていくのを優理は感じた。膝が震え、立っていられなくなる。
 制服が擦り切れるのも構わずに、ブロック塀を伝ってズリズリとしゃがみ込んだ。
 胃がひくつく。吐き気も酷い。

うぅ……

 いつの間にか食い縛っていた歯の隙間から、自分の呻き声が洩れるのを聞く。
 目の前が真っ暗になり、優理はもはや自分が目を開けているのか、閉じているのかも分からなくなった。

 その、優理の片腕を、誰かが掴む。

 嫌、という声が優理の口から飛び出た。蚊の羽音程に小さな声だった。
 きっとその声は、相手には届きもしなかった。その誰かは、蹲る優理の腕を力づくで引き上げた。

01.少女は言葉を操れない

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