ここはどこだろう。
意識を取り戻して、まず最初に抱いた感想がそれだった。
暗すぎて、目を開けているのか閉じているのかもわからないのだ。視覚が全くあてにならなかった。
耳の方はどうやら無事なようで、すぐ近くで誰かが話し合っている声が聞こえてくる。
ここはどこだろう。
意識を取り戻して、まず最初に抱いた感想がそれだった。
暗すぎて、目を開けているのか閉じているのかもわからないのだ。視覚が全くあてにならなかった。
耳の方はどうやら無事なようで、すぐ近くで誰かが話し合っている声が聞こえてくる。
あら~、ご愁傷様~
若いのにかわいそうだ。
きっと親御さんも深く悲しむだろうね
ま、仕方ないな!
何だかすごく湿っぽい内容を話しているのに、近所のおばさん達がよくやっている井戸端会議のノリなのは気のせいだろうか。
ほれ、皆の者下がるが良い。
このままではらちがあかぬじゃろうて
わいわいと騒ぐ井戸端会議の集団をたしなめたのは、老獪な口調に似合わない凛と澄んだ少女の声だった。自分と同じ歳かもっと若いか。声だけならそんな印象がする。
ほれ、そろそろ目を覚ませ。彼岸に行くまで四十九日、愉快に過ごそうではないか。
えーと……
黄昏の空、オレンジとイエローの陰影を映す雲。
その空を背負って微笑んでいるのは、長い髪の毛を肩から垂らし、こちらを覗き込んでいる和服の少女だった。
……何だ、夢か
人を勝手に夢オチにするでないわ!
いやいや、どう見ても夢でしょ。
こんな普通の公園に純和風お姫様とか
いるわけないじゃん?
ていうか、俺、下校中だった
はずなんですけどー……
まぁ、いいや。せっかくの夢だし、
美人のお姫様たっぷり拝んでおこう!
お主、さてはうつけか
何で夢の中でまで俺、disられてんの?
非モテってバレた?
自慢にも何にもならないが、俺は彼女いない歴=年齢である。特にモテたことはない。
残念ながらこれは夢ではない。
現実をしかと受け止めよ
幽霊は眠らぬから夢など見ぬわ。
お主はもう死んでおるのだぞ
あーはいはい、幽霊で死んで
……って、はい?
何の、冗談だろう。
死ぬようなできごとなんて、そうそう起こるわけがなかった。 まだ十七歳だから寿命なんて当分先の話で、五体満足いたって健康。思いあまって死を選ぶような悩みはない。豊かで平和な現代日本の、特別なことなど何もない高校生が――。
そんな簡単に死ぬかよ!?
事故死くらい、この時世でも
珍しくはなかろうに……
へ? 事故?
貴方、公園近くの交差点で車にひかれたの。覚えてない?
後ろでなりゆきを見守っていたお姉さんがそう言ったけれど、残念ながら俺は何ひとつ覚えていなかった。
俺がここまで運んできてやったんだぜ?
はぁ……ありがとうございます?
うわ……この人は何か怖そう。
あれ、でもあっちにいるのは
何ていうかフツーのおっさん……
いやいや、最初はみんなそんなものだよ。
じきに慣れるさ!
……慣れていいんすか?
おじさんに朗らかに励まされてしまったけれども、何もありがたくない。
大体、俺が死んでいるとするなら、
そんな俺と平気で話せてる皆さんも
幽霊みたいになりますけど?
幽霊よ?
幽霊ですよ?
幽霊じゃねえと思ってたのか?
わらわが幽霊じゃなければ、
こんな格好でうろついたりはせぬよな?
あ……あははははは……
……………………マジすか?
いい加減、現実を見ぬか!
お姫様に一喝されてしまった。
そんなことを言っても、この公園の面々は普通に地面に立っていて、少なくともこのお姫様以外は格好もごく普通のものだ。
皆、足二本ついてるじゃん?
だって人間の幽霊だもの。
むしろ足がないのって変じゃないかしら
いや、そんな幽霊の常識を簡単に覆されても困るんすけど
細かいことは気にすんな!将来ハゲるぞ!
いやぁ、もう死んでるから
ハゲはしないんじゃないかなぁ?
……俺、どういう反応すればいいわけ?
もう死んでいるんだって言われても、俺にはまだ信じることができなかった。
そもそも、ここにいる幽霊(暫定)たちは幽霊っぽくなさすぎる。
何でこんなに和気あいあいとしているんだろう。
まだ納得していない顔じゃのう?
そりゃそうでしょ。
俺、死んだ時のこと覚えてないし……
それは、事故などで突然死んだ者には
よくあることなのじゃ
ひとまず、一度家に帰って見ると良い。
現実が見えるぞ
……夢オチって現実を祈っとく
自称幽霊たちに見送られ、俺は公園から出た。
歩道に出てみれば、ここは通学路の途中にある小さな公園なのだとわかった。出入り口に小さなプレートがあって、『ゆうやけ公園』とある。
あれ、ここ、通学路の途中か……
ひとまず自宅に帰ってみることにして……
そして、嫌というほど思い知ることになった。
家に帰ってみたものの、もぬけの殻で誰もいなかったのだ。
夜遅くになって目を真っ赤に泣き腫らした母親と、表情が能面のように凍りついている父親と、うつむいたまま顔をあげようとしない妹が揃って帰って来た。
あ、親父……おかえり。母さんと佳苗も
……
……
……
……何で、素通りして……
忌引きになるから、三日くらい学校を休む
ことになるけど、いいな?
うん……
何、言って……
手を伸ばした俺の手は、父親と妹の佳苗の身体をすり抜けてしまった。
!?
誰一人として、俺に気が付かない。
何度も声をかけた。何度も目の前に立ってみた。気づかない。目も合わない。
誰のための忌引きなのかは、聞けなかった。
たとえ声が届くのだとしても、言えなかった。
すり抜けてしまったその身体が、何よりもの証拠だったからだ。
そのまま家にいるのもやりきれず、俺は公園に戻って来た。
独りでいたくなかった。どうしても、誰かに話を聞いて欲しかったからだ。
現実は見えたかの?
…………見えまくった
まぁ、そう落ち込むな。あんまり落ち込んでいると悪霊に引きずり込まれるぞ?
いや、普通は落ち込むだろ……
さりげなく今、怖いこと言わなかったか?
気にするな
…………だから、気にするって
俺の手を取って、自分が座っていたブランコに座らせると、和服少女は暗がりに向かって声を上げた。
皆の者、集え。しばし仲間が増えるぞ
和服少女が声をかけた途端、どこからともなく、昼間も見た面々が姿を表した。ちょっとコワモテの青年と、綺麗なお姉さん、あと普通のおっさん。
よく考えたらこの公園、何でこんなに幽霊がいるわけ?
知らん
……身もふたもねえな
ひとりふたり集まって、気づいたら大所帯になっておったな。わらわが一番の古株じゃ。
戦国の頃よりここにおるぞ?
ふふふ、そういえば自己紹介がまだじゃの
わらわはアゲハ。本当の名前かどうかは知らぬ。着物の柄がアゲハ蝶だからそう名乗っておる。よろしゅう頼む
そう言ってほほ笑む少女、アゲハは本当に『綺麗なお姫様』という感じで。
俺は自分が幽霊だということも忘れて、ときめきそうになる。もし今身体と心臓があったら、不整脈を連打しているに違いなかった。仕方ない、思春期なのだ。
あ、あたしは詩乃っていうの。シノお姉さんって呼んでね。
ちなみに死因はコードレスバンジーね!
女性が超笑顔で何だかすごく嫌な自己紹介をし。
コードレスバンジーて。つまり飛び降り自殺?
俺のことはトウカイと呼んでくれ。
お前とは事故死仲間だな!
無精ひげ青年がやたら力強く仲間宣言をかまし。どうしてだろう、あまり仲間扱いされたくない。
私は山田といいます。生前はシステムエンジニアをしておりました
おじさんがのんびりと普通の自己紹介をし。ダメだ、この面子の中だと普通過ぎて逆にヤバイ。
……えーと、高谷隆哉です。
苗字も名前もタカヤです、よろしく
正直ついていけん、と思いつつ、俺も自己紹介をした。
両親がシャレでつけたこの名前は、一発で覚えてもらえるという点においては非常に便利だ。苗字で呼ばれているのか名前で呼ばれているのか、全くわけがわからないという弊害があるが。あと、地味に変なあだ名をつけられて、多感な思春期に地味なコンプレックスを植え付けられるという実害が。
そっか、じゃああだ名はタカタカでいっかー
タカヤ二乗がいいんじゃね?
勝手にあだ名をつけないでください!
あんたら幽霊でしょうが!?もっとこう、幽霊らしい何かないんすか!うらみつらみとか!
人のコンプレックスを好き放題に行ってくれる。思わず全力でツッコミを入れると、幽霊の面々は一様に顔を見合わせて、きょとんとする。
うーん、失恋のショックで自殺したはずなんだけどー、もう十年くらい前だし、ぶっちゃけ相手の顔もよく覚えてないっていうか……
俺、まだまだバイク乗りたいから成仏してないだけだしよ
娘が結婚するまでは死んでも死に切れないんですよ
数百年もいると、恨みなんぞどうでもよくなるものじゃよ
何だろう、人が悲壮な想いを抱えているというのに、この緩いテンションは。悲しくないのか。辛くないのか。こんな惰性にまみれな生態(死態?)の幽霊が存在していいのか。
わけもわからないうちに死んで途方に暮れている自分の気持ちなんて、どうでもいいものにされてしまったみたいだ。
人は誰しも死ぬ。この公園は、死してなお涅槃に旅立てぬ半端者の巣窟じゃ。気が済むまでいるがよい。黄昏公園はお前を歓迎する
黄昏公園?
この公園の、我々の間での呼び名じゃよ
わらわたちは、生まれ来る朝からも眠りゆく夜からも遠ざかった、永遠の黄昏にいる
そういって、アゲハはとても綺麗な顔で笑った。
どこか空虚に、笑った。
黄昏公園……か。
何か変な集団に巻き込まれちゃったなぁ……
皆の死因をまとめてみる。
アゲハ。数百年前のことなので、詳しい死因は不明。享年十六歳(推定)。
佐藤詩乃。十年前、結婚詐欺にあい、借金を抱えた末にマンションの屋上から投身自殺。享年二十三歳。
東海道真二郎。五年前、バイクで走行中、路上に飛び出した猫を避けようとして転倒事故を起こし死亡。享年二十六歳。
山田征一。半年前、忘年会の帰り、泥酔状態で真冬の路上で眠りこみ、心不全により死亡。享年四十三歳。
そして俺、高谷隆哉。先日、学校から帰宅途中、交通事故で死亡。享年十七歳。
ちょっと待ってくださいよ。山田さんだけ、何でそんな死因なんですか!
いやぁ、ちょっと飲みすぎてしまいまして。いわゆる凍死ですね。あはは
そこ、照れるところじゃないっすよ!
どうしよう、ツッコミが止まらない。
改めて話を聞いてみれば、ここにいる面々は生まれも育ちも死んだ時期すらもバラバラだった。共通事項といえば、死んでからアゲハに誘われてここにいついたらしいということだ。
俺は死んだ時のこと覚えていないんだけど、皆、死んだ場所はこの近くだったんですか?
あ、あたしあそこのマンション
シノ姉さんが公園のすぐ脇にある、十階建てのマンションを指さす。
でも、トウカイは隣の県で死んだっていうし、山田さんもこの公園で死んだわけじゃないわ。多分、地縛霊なのはあたしとアゲハだけかしら
幽霊にも色々バリエーションあるんだな……
感心している場合じゃないのは重々承知しているわけだが、実際、この公園でだらだらとだべっている以外にすることが思いつかなかった。着々と順応している自分が怖い。
タカヤ二乗は帰宅できてたくらいだし、
普通の浮幽霊だな!
幽霊の普通ってなんすか。それとそのあだ名はナシでお願いします
じゃあタカタカだな
それもやめろ
このままだと、本気で微妙なあだ名が定着しそうだ。
なしくずしに、この妙に陽気な幽霊集団の一員扱いされているけれども、そもそもまったりしている場合なんだろうか。
本音をいうと、俺はまだ自分が死んだということを納得していなかった。だけど自分が幽霊になっているのも、死んだというのも、決して揺るがない事実で。時が経っても、夢オチが訪れるわけでもなく。
本当にこのまま、終わってしまうのか?
続きを読みたい漫画だってあったし、隣のクラスにちょっと気になる女子だっていた。夏休みには家族で旅行にいく約束もあったのに。
あまりにも理不尽で、突然すぎる。どうしてこんな目にあったんだろう。何か悪いことでもしただろうか。
悶々と考え込む俺の顔を、いつの間にか目の前に回りこんでいたアゲハが見つめていた。
タカタカよ、今、未練のことを考えていたであろう。悪霊になるぞ?
ならねぇよ。あと、タカタカって呼ぶな
いや、なるぞ。特にお主のように死んで日が浅い幽霊は、悪い感情に流されやすい。
あんまり難しく考えないことじゃな
難しく考えるな、って……無茶言うなよ。俺、まだ十七だぞ!? 酒タバコどころか、車の免許も取れないんだぞ!
わらわはお主より若くして死んでいるが?
ためいきひとつついて、アゲハはすっと俺の額あたりに指を突きつける。思わず押し黙って、その指先を見つめた。
辛い思いをしたくないなら、さっさと成仏しておくことじゃ。
家族の元に戻って、お主のために捧げられた弔いを受け入れて、四十八日の後に旅立つがいい。それが一番幸せで、楽に済む方法じゃ
淡々と語るアゲハの顔は、恐ろしく無表情で、俺は何だか急に目の前にいる少女が得体の知れないバケモノに見えてきた。
実際、そうなのかもしれない。数百年の時を越えてもまだこの世界に留まっている幽霊は、ただの人間には到底理解できない、底知れぬ何かを知っていてもおかしくはないのだ。
――だって、変じゃないか。
この公園の幽霊たちはみんな、明るくて、気楽で。死んでいるなんて嘘みたいで。まるで平気な顔をしている。
この公園は、死してなお、生ける人の世に在り続けたい者を肯定する。じゃが、それには条件がある
風もないのに――あったとしても、幽霊の自分達には意味がないもののはずなのに、アゲハの髪が揺れた。
憎むな。嘆くな。羨むな。絶望するな。人生は一度きりだ。生まれ変われば今のお前は消える。お前がお前のままで在り続けたいならば、自分が死者であることを認めて、生きる人間を呪うな
彼女の言葉には、有無を言わせない強さがあった。
そんなこと、言われたってさ……
――その時だった。
あっ、いけない!
もうすぐ水曜日午前零時じゃない?
空気を読まない底抜けに明るい声で、シノ姉さんが叫んだ。
シノちゃんさぁ、マジメな空気台無しだぜ?
呆れた様子でトウカイさんが無精ひげの目立つあごをさする。
そうだね。せっかくアゲハちゃんがマジメな話をしているのに
山田さんも難色を示している。
まぁ、シノじゃから仕方ない
アゲハが先ほどの気迫はどこへやら、ひたすら怠惰に頷いた。
??????
ポカンとしていると、シノさんはシャキッと立ち上がって、敬礼のマネをする。
もう、みんな酷い!
悪い悪い。怒らないでよ、シノちゃん。
まぁ、仕方ねえよなぁ、こればっかりは
もう……。
それじゃ、時間だからいってくる!
いってらっしゃい
あのー……ちょっと知りたくないけど、
シノ姉さんはどちらに?
あそこじゃ
アゲハが公園のすぐ隣に建っている古びたマンションの、屋上あたりを指差す。何だか果てしなく嫌な予感がしながら、俺もそこを見上げた。
少しして、屋上にシノ姉さんの小さな姿が現れる。元気いっぱいに大手を振って、ひょいと高い柵を乗り越えて。
かすかにだけれど、やたらに元気いっぱいな声が聞こえてきた。
佐藤詩乃、とっびまーす!
えっ!? あ……!?
シノ姉さんの身体が、宙に舞った。
うわああああぁぁぁぁぁぁあああ!?
ただいまー!
え、あ……ご無事で?
シノ姉さんは何事もなかったかのように、ケロっとして帰ってきた。
幽霊だから、飛び降りても死なないわよ?
もう死んでおるからなぁ!
そういう問題じゃねええええ!!
ここは黄昏公園。
浮幽霊の憩いの場所(らしい)。
水曜日になると毎回飛び降りをしてしまう幽霊もいる、楽しい公園。
俺、やってけんのかなぁ……
正直、とても打班で仕方がない。