魔王城の主は、この世に存在するありとあらゆる魔法を使いこなし……

魔法……あたし、負けないようがんばるです

リムがぎゅっとスプーンを握る手に力を込める。

魔族ながらに、治癒術も使いこなし……

神の導きに反する魔族の身でありながら……許せない

フェーンが細い肩を震わせる。

可愛いペット……じゃなくて。最も信頼する臣下の魔獣は口から熱線を吐き出し、主を守り……

やっぱ魔王っていうからには、手強い手下をゾロゾロ連れてやがるんだろうな……オレが全員ぶっとばしてやる!

ルビルが拳を掌に叩きつける。

これまで数多の勇者を迎え討ち、誰一人生かして帰さなかった……

きっと名のある勇者もいたんだろう……先輩たちの仇は僕が討ち、そして僕が魔王を倒す最初の勇者になってみせる!

カーディスが決意を新たに、自身の拳を見つめる。

彼はカーディスたちを見つめ、ふっと口元に意味深な笑みを浮かべた。

あなたたちはこれまでの勇者様たちとは少し違いますね

当然だろ。世界の平和がかかってるんだ。オレたちの決意と勇気は、そんじょそこらの奴らにゃ真似できねぇぜ

ルビルの強気な発言を聞き、彼は空のワインボトルをテーブルに置いた。

ではとっておきの情報をお教えします

カーディスたちは息を飲み、彼の言葉を待った。

あの魔王城には……

彼はわざとゆっくり言葉を紡ぐ。

……魔王はいないんです

彼の言葉を聞いて、誰一人声を出さなかった。いや、出せなかったのだ。

……いな、い……?

ええ。魔王はいません。引っ越しちゃいました。随分前に

カーディスは数回瞬きし、深呼吸して、グラスの水を一口飲む。そのままもう一度、彼の言葉を頭の中で反芻して──ようやく疑問をぶつけるという結論を導き出す。

じゃあ今、あの魔王城には誰もいないのかい?

いえ、いますよ。魔王城の主

……だからそれが魔王じゃないのかい?

ええ。ですから魔王は、とっくの昔に引っ越しましたから、今現在、魔王はいません

彼はコクコクと頷く。カーディスは首を傾げる。仲間たちも呆然とした顔をしている。

じ、じゃあ今、誰があそこに住んでるの? 魔王城の主って誰?

フェーンが引き攣った笑みを浮かべたまま、掠れた声を絞り出して問い掛ける。

ぼくですけど?

彼は人畜無害そのものの笑顔で答え、自分を指差した。
カーディスたちは顔を見合わせ──こそこそと密談し、そして再び彼に向き直る。

もう一回聞くけど、魔王城には魔王がいるんだよね? だって〝魔王城〟だもの

だから、あの魔王城に住んでるのは、魔王じゃなくてぼくです

窓から鈴虫の鳴き声が、風に乗って流れてくる。秋はもう間もなくだった。

ふ……

皆、何かに取り憑かれたかのように──カーディスは水差しからグラスに水を注いで一気に煽り、何度もおかわりする。
ルビルは骨付き肉を豪快に噛み千切る。
フェーンはサラダを口いっぱいに頬張る。
リムはスープを皿ごと持ち上げて飲み干した。

ダンっと水のグラスをテーブルに置き、カーディスは身を乗り出した。そしてプルプル震える指先を彼の鼻先に突きつける。

君が魔王だったのかッ!!

カーディスは鋭く彼を指さした。

いえ、違います。ぼくはただの作家で、今はここのアルバイトです

彼は違うという意思を見せるように片手を振る。

だって魔王城に住んでるんだろ! だったら魔王じゃねぇか!

やだなぁ、またですよぉ。よくそういう勘違いをする人が来ちゃうんですよね。ぼくはただ、あそこに賃貸で住んでるだけです

賃貸っ!? 魔王城って賃貸物件なの!?

リムがバタバタと両手を振る。

魔王城が賃貸なんて変です! おかしいです! 魔王は魔王城に住んでるですぅ!

その思い込みは、〝アニメが好きな女子は全て腐女子〟って言ってるのと同じくらい身勝手な思い込みです。腐ってない、ノーマルなオタク女子だっているんですし

わ、私はジャニ萌えだけど、腐った見方してないわよ! ただ純粋にヤマアラシのマツジョンに憧れてるだけで、決して掛け算とか右とか左とかナマモノとかそんなのはっ!

フェーンが慌てふためきつつ、聞かれてもいない弁解を〝専門用語〟で熱弁する。
──露骨に怪しい。

時々いるんですよねぇ……呼び鈴も鳴らさず不法侵入してきて、壷割ったりタンス開けたりして中身勝手に持って行っちゃって、挙句『魔王覚悟しろ』って言う勇者。勇者だからって何してもいいんですか? 秩序ってなんだと思ってます? 法律知ってます? ぼく、本当に魔王じゃないのに

カーディスたちが再び密談する。

信じられるか、あのバイトの話?

本物の魔王なら、抜け道の情報とか教えてくれないでしょ? だって自分を倒しにくる手助けになっちゃうのよ

魔王だからこそ、嘘を教えて僕たちを撹乱させようとしてるのかも

でもでもぉ。魔王が生活苦でバイトするですか?

リムの素朴な、だが各々胸に秘めていた一番の、満場一致の最大の疑問に、これまた満場一致の答えとため息が見事にハモる。

「「「だよねぇ?」」」

そっと彼の様子を伺うと、彼はきょとんとカーディスたちを見ており、魔族らしい雰囲気や魔王らしき大物オーラなどまるで感じられない。むしろ善良そうな、地味なモブ顔汎用ユニットの村人Aだ。
せいぜい彼から聞き出せる情報は、『武器を買ったら装備するのを忘れずにね!』程度の内容がお似合いで、とてもではないが、先ほど聞いたような魔王城への抜け道や、魔王の存在の有無といった重要情報を聞けるようなポジションのキャラクターだとは、見えない思えない考え付かないここは笑うところですか?

あのさ。しつこくもう一度聞くけど……きみ、魔王じゃないのに魔王城に住んでるの?

はい、賃貸で。羽振りが良かった時に見つけたお得物件だったんで、つい飛びつきました

カーディスが黙り込んでしまったので、リムが後を続ける。

さっき話してくれた魔王城の主の話はぁ、あなたの事なんですの?

そうですけど? ぼくだって魔法くらいはかじってますよぉ。この世界じゃ魔法は一般教養や学問みたいなものじゃないですか

リムはむぐぐと口篭もる。フェーンはリムを庇うように身を乗り出し、眉を顰める。

魔獣ってなんなの、魔獣って! あなた魔物を飼ってるの?

ペットのハムスターなら飼ってます。飼い主に対しても噛み癖が酷くて、友達の田中君はネズミの魔獣だって言うんですよぉ。愛情表現の一種で甘噛みなんですけど、加減を知らなくて、彼。こないだも噛まれてちょっと血が出たんです。あはは

フェーンが言葉を続けようとしたが、ルビルが彼女を制した。

だったらなんだ! あんたは魔族に付き纏われるような秘書を雇ってるのか! そいつも魔族なんだろ! しかも魔界とか言ってなかったか!?

彼女は秘書検定を持ってる優秀なマネージャーみたいなものです。マネージャー界のアイドルなんですよ。マネージャーの世界だから〝マ界〟なんちゃって

彼はアハハと頭を掻きながら笑って見せる。

彼女はぼくのお世話をいろいろ見てくれるんです。パン焼いてくれたりとか。ぼく頼りないから、実家が気を利かせて彼女を派遣してくれたんです。だからぼくから彼女にお給料は払ってないので、雇ってる訳じゃないですよ。友達みたいなものですから

ルビルが口を閉ざした事で、カーディスたちの問答が終了した。愕然としてしまい、何も言えなくなっていた。

あ、いけない。いつまでもお喋りしてたら、宿のご主人に怒られちゃう。じゃあぼく、そろそろ行きますね

彼は空のワインボトルを抱き、人の良さそうな笑顔で肩を竦めて見せる。

あ、そうだ。明日の魔王城攻略、頑張ってくださいね。ぼくで良ければいつでも待ってますから。お客さんはいつでも大歓迎です。ではー

彼はペコリとカーディスたちに頭を下げ、食堂から出て行った。

そのまま廊下の隅に走って行き、ポケットから小さな折りたたみ式の不思議な箱を取り出す。箱をパカッと開き、指先で何か操作をしてから、それを耳に当てた。

……あ、ドロシーちゃん? うん、ぼく。えっとね。明日、勇者のパーティが来るから、適当に強そうな魔物の手配しといてくれる? うん、うん。さっすがドロシーちゃん、話が早いなぁ。うん、そうそう。いつも通り、前半はほどよく一進一退の善戦させる感じで、最後はドカーンと鬼畜な全体攻撃魔法連唱して、きっちりさっくり全滅させるパターンでよろしく。あ、うん。後始末もいつも通り〝小道具〟にしていいよ。じゃあぼく、あと二時間くらいバイト頑張って帰るね。バイバーイ

彼は手早く伝達の魔法を終了させ、そそくさと仕事へ戻った。

彼こそは漆黒の魔王城の主にして、魔物と魔族を総べる魔族の正当なる眷属──覇王グレゴリー・サタニノス七世その人だった。
先ほど彼がカーディスたちに語った事で、何一つ嘘はない。売れない作家を生業とし、凶暴な魔ハムスター・ケルベロス君を飼い、その地味なモブ顔から想像できないほどの規格外の鬼畜的強さを誇り、温厚で気の抜けた笑顔を一切絶やす事無く数多の勇者を一撃で屠ってきた。
唯一最大の弱点は──賃貸魔王城の大家さんに頭が上がらない事。
そう、嘘はないのだ。ただ、話の核心を何一つ正しく話していないだけなのだ。

ある魔王の仕事 2

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