ホワイトボードにワンピースを着た人型スライムが描かれている。いや、スライムではなく、グレゴリーの似顔絵──作画・田中だ。
ちなみに彼の学生時代の美術の成績は、十段階評価の二だった。
ホワイトボードにワンピースを着た人型スライムが描かれている。いや、スライムではなく、グレゴリーの似顔絵──作画・田中だ。
ちなみに彼の学生時代の美術の成績は、十段階評価の二だった。
とにかくだ! 魔王とか大魔王ってのは、こう、なんつーか、ごっつい重苦しい長ったらしいマントをズルズル引きずって、その中は……
全裸ですね?
そうそう! 女子高生の背後から近付いて、素早く前に回りこんでマントを広げて、ウェヘヘ、俺のビッグマグナム見てみ……って、違ぁーうッ!! おまっ……恥ずかしくないのか、そのセリフ!?
魔王様のお言葉の方が恥ずかしゅうございます
ドロシーは何事もなかったかのように、涼しい顔でほうじ茶を啜った。
丈の長いローブだ! マントの中はローブ! ドラゴンとかメデューサなんかの、ひと目見たらチビりそうな強面の魔物か、下品にならない程度に厳か且つ、いかつい豪華な刺繍入りなんかが好ましい!
田中はホワイトボードにマーカーの先を叩きつける。ペン先が潰れ、インクが飛び散った。
ウチにそういうの、あったっけ?
確か先代様の……では衣装部屋を探してまいりましょう
ドロシーは立ち上がり、姿を消した。
グレゴリーは緩みきった表情、田中は険しい表情と、まるで対照的な二人が残される。
田中は腕組みをしたまま、何気なくグレゴリーに問い掛ける。
魔界を代表する覇王が、年中年柄ジャージとボサボサ頭とか、自分で自分が恥ずかしくねぇ? 覇王なのに威厳とかねぇの、あんた? もし急な来客とか、打倒魔王掲げた勇者とかが突然押し掛けて来たらどうすんだよ? ここ、魔王城だぜ?
んー……と
グレゴリーは指先を頬に当て、思考を巡らせる。
とりあえず座って待っててもらって、急いでコンビニ行ってジュースとお菓子買ってこようかと
違げーだろうがッ!
田中のハリセンが空を切った。
あんたの首獲りに来てんだよ、勇者は! それを覇王自ら接待してどうするよ! しかもコンビニの安っすい駄菓子で!
田中は勇者というものが何者か、勇者の目的はどんなものかを、唾を飛ばしながら熱弁する。
えー……首切られたら痛いからヤだなぁ
今更痛いとかどうなんだよ! さっきあんた、そのネズミに食われてただろうが!
指差す先には満腹になり、幸せそうに惰眠を貪るケルベロス君。
だからケルベロス君のは愛情表現の甘噛みだよ
甘噛みで顔色グールになるかよ! 血の気完璧失せてたじゃねぇか! もう復活してっけど!
うん。ご飯食べたからもう栄養になった
回復早っ!
空になった土鍋に蓋をして、グレゴリーはそれをちゃぶ台の脇に置く。
そうだ。食後のスイーツにと思って、美味しい豆大福が……
ンなモンいらねぇから、魔界の覇王らしい服着てくれ! 臣下やってる俺がマジで恥ずかしいから!! 頼むから!!
田中は血の涙を迸らせて叫んだ。
グレゴリー様。それらしいお召し物が見つかりましたので、こちらでお着替えを
わぁ、見つかったんだ。ドロシーちゃんは探し物が上手だねぇ
グレゴリーが立ち上がり、広間入り口で手招きするドロシーの方へと向かう。
ええ、七五三の時のものが
何百年前のだ! しかも入るのか、そのサイズで!
田中がハリセンを投げ付けるが、ドロシーはそれを練乳フランスで叩き落とした。
こんな事もあろうかと、固いパンを……
それさっきもやったじゃねぇか! つか、テメェは早くマトモな服に着替えてきやがれ! ドロシーはとっとと手伝ってこい!
こめかみに浮き出た田中の血管は、今にも破裂しそうになっていた。
はいはーい
二人が衣装部屋に消えるのを確認し、田中は叩き落とされたハリセンを拾った。
次からは殺傷力上げるために超合金のハリセン持って来よう……
どっしり重いビロードの艶やかさ。縁取りは柔らかなファー。エレガントで華美な、職人こだわりの金刺繍を全面にあしらったマント。荘厳にして華麗な総レース仕立ての豪奢な長ローブ。バックスタイルは贅沢なたっぷりのドレープ。ウェストを引き絞る帯にも、細かな美しい刺繍と天然石を縫い込んだ、重厚さと上品さを兼ね備えた装飾がなされている。
どう? 似合う?
グレゴリーはえへんと胸を張る。
ふざけた七五三用ではない、マトモなマントとローブを用意できたという点に関しては及第点をやろう。だが……
田中の振り下ろした拳が、ちゃぶ台を真ん中からV字にへし折った。
なんでよりによって、全部〝白〟なんだよッ! アアッ!?
そう、グレゴリーの纏う豪華な衣装は、全て純白だった。
魔族の者っつったら〝黒〟選ぶだろ、フツー!? なんで白! マントもローブもファーも全部、なんで白なんだよ!!
ちなみに当のグレゴリーは、衣装の豪華さに顔が馴染んでおらず、完全に〝服に食われて〟いる。まるで年末恒例歌合戦の豪華衣装とは名ばかりの〝舞台セット〟を纏った大物演歌歌手のようだった。いや、例の演歌歌手ほどの大物オーラはグレゴリーにはない。何度も繰り返すが、グレゴリーの顔は地味なモブ顔だ。
えー……白かったら汚れた時すぐ分かるから、シミになる前に洗濯できるし
大魔王が洗濯の心配すんなよ!
グレゴリーの背後で、ドロシーが各種用途別洗剤と漂白剤を準備している。
モノトーンは何にでも合わせやすい代わりに、ファッションセンスとか個性がなくなっちゃうし
年がら年中イモジャージの貴様がファッションを語るな!
田中がグレゴリーの胸倉を掴み上げる。
それに黒って悪そうなイメージじゃない?
いいんだよ、悪そうで! 魔界の覇王なんだから!
えー。ぼく、覇王って肩書き嫌い
ぷいとグレゴリーが顔を背けて頬を膨らませる。
だぁーッ! 好きとか嫌いとかじゃなく、あんたが覇王なんだよ! 魔族のテッペン! 一番偉くて悪くて強い奴! ゲームに例えりゃ、ラスボスっつーより、クリア後の隠し要素である腕試しダンジョンの最深部にいるような、鬼畜な強さとバグかってーな桁違いのヒットポイントの隠しボスクラスの立ち位置なんだよ、テメェは!! そのモブ顔でも!
顔を赤黒く変色させ、血反吐を吐きそうな勢いでツッコミ倒す田中に対し、グレゴリーはてへっと頭を掻きながら舌を出した。
あ、ごめんね田中君。ぼく、ゲーム苦手なんだ
だからそれは例えであって、ゲームの得手不得手は関係ねぇんだよぉぉぉッッッ!!
もはやツッコミが追い付かない。あらゆるツッコミの追随を許さない、グレゴリーの天然ボケの完全勝利だった。
グレゴリーは少々ムッとした表情で、田中をビシッと指差す。
じゃあぼくからも一つ言っちゃうよ!
なんだよ!
田中君だって、南国に新しい魔王城建ててちょっと浮かれてるんじゃないの?
グレゴリーは田中の双肩を掴み、彼の着ているものをピンと引っ張った。
こんな派手なアロハシャツとバミューダパンツの魔王なんてヘンだよ!
真っ青な海をイメージした地色に、真っ赤なハイビスカスが咲き乱れるアロハシャツ。若者に人気のブランド物バミューダパンツは数量限定モデルだ。更に足許はビーチサンダルだった。
お、俺はいいんだよ、俺は! 南国に引っ越したのは魔王隠居したからだし!
魔王様の雇用期間はまだ七百年ほど残っております。今、自主退役されますと、退職金は出ませんがよろしいですか?
ドロシーがどこからか取り出したファイルをパラパラ捲りながら呟く。
そうですね……任期中にせめてあと二、三回は世界征服等の悪事を企んで実行していただかないと、役職手当も減額になりますね。有給休暇はもう全て消化されていますので、以後の自主休暇は給料にそのまま響きますよ。体調管理にはくれぐれもお気を付けください
だらだらと田中が粘っこい汗を滴らせる。
う、うう……ドロシー、俺の黒マントと黒ローブを用意してくれ
かしこまりました
ドロシーが広間を出ようとした瞬間、大扉が大きな音を立てて蹴破られた。
銀色に輝く鎧をまとった騎士と、神秘的な光沢のある紫色の羽衣を着た魔法使いが飛び込んでくる。
いたな魔王! この勇者ダグウィードが成敗してくれる!
やかましい! 今、取り込み中だ!
田中の投げたハリセンの持ち手部分(注・固い)が、勇者ダグウィードの眉間にクリティカルヒット! 勇者は一撃で沈んだ。
ヒィッ! よ、よくもダグを!
魔法使いルイスが涙目で、愛する勇者ダグウィードを殺めた田中に憎しみをぶつけてくる。
あっ! ケルベロス君の餌の時間だ。きみ、ちょうどいいから餌になってね
ジィーッ!(エサクレーッ!)
魔ハムスター・ケルベロス君が、魔法使いルイスの喉笛目掛け、齧歯を剥き出して飛び掛かった。
ガムテープで簡易的に修理されたちゃぶ台に、ほうじ茶の入った湯呑みが三つ用意されている。
ドロシーはその湯呑みをゆっくりと各自に配った。
俺さ。南国帰って、ちょっと向こうの国の姫でも攫って、真面目に悪事働いてみるわ
そうだねぇ。ぼくも次回作のネタ集めのために、近隣の国に魔物の軍隊でも派遣してみようかな。ぼくの作品、人間の対応がワンパターン化してきちゃってるから、きっと面白くないんだと思う
向上心を忘れない、とても素晴らしい心掛けですわ、グレゴリー様、魔王様。あ、お茶うけに大入りクリームパンなどいかがでしょう? 人肌に温めておきました
ドロシーが胸元から取り出し配ったクリームパンをもそもそと頬張りつつ、ほうじ茶を啜る大魔王グレゴリーと、魔王田中。そして秘書サキュバスのドロシー。
束の間の平和だった。
──魔王城が平和でいいのか悪いのかは、また別問題として。