禍々しき漆黒の城壁に守られた城、魔王城には、グレゴリーという冴えない男が一人、住んでいる。

──賃貸で。

幾度も繰り返された洗濯により、洗いざらしになってしまったよれよれのえんじ色のジャージに、足元は健康サンダル、髪はボサボサで艶もなく、ダイナミックでアクロバティックな寝癖をだらしなくさらけ出したまま。顔立ちははっきり言ってモブ顔。これといった特徴のない平坦な顔立ち。つまり全てにおいて特筆すべきところがない地味な男。
だがこのグレゴリー。見た目は残念極まりなくとも、魔族と魔物の頂点に鎮座する魔王の中の魔王、魔界の覇王たるグレゴリー・サタニノス七世なのだ。
つまり──魔族で一番偉いヒト。

だが彼には一目で魔族と分かる角や羽根もなく、更に言えば大魔王らしいオーラもない。冴えない、とてつもなく地味で目立たない人間、むしろ村人A程度の紹介がお似合いと称せる容姿だった。むろんセリフはテンプレートの『ここは○○村だよ!』が妥当か。

ちなみに彼の職業は売れない作家。デビュー作は『恋するオーガの殺・死・愛・夢★(コロシアム)』といい、なぜか人間・魔族、老若男女問わず大ヒットした。しかしその後の作品は鳴かず飛ばずに加え、書店からの返本の嵐、電話と葉書とメールとネット掲示板での罵詈雑言に殺害予告、プレゼントに見せかけて呪われた武器や爆発物が送られてきた回数は、両手両足を使っても全く足りない。ゆえに出版社と編集者からは、泣きながら『もう新作を書くな。頼むから今すぐ筆を叩き追ってくれ。この世から消えてくれ』と嘆願されている。
──が、本人は全く聞く耳もたずへこたれず、まだまだ次回作を執筆する気満々である。

ケルベロス君。今日の晩ご飯は新鮮なゾンビ肉の雑炊だよー

グレゴリーは熱々の土鍋を年期の入ったちゃぶ台に置き、自分の向かい側にちょこんと座っている白いハムスターに語りかける。
このハムスター。一見、ただの小さく愛くるしいハムスターだが、実は獰猛で狂暴な魔界の魔獣であり、由緒正しき血統書付きの魔ハムスターなのだ。ちなみに主食は肉。しかも血が滴るほど新鮮で、グラム売り金貨数枚以上の高級な肉しか食べない超グルメだった。

あれあれ? でもゾンビってモソモソ動くけど腐った死体だよね? じゃあ新鮮なゾンビ肉ってなんか言葉が矛盾してない? わ! もしかしてぼく肉屋のおじさんに騙されたッ!? うわー、ショックだぁ

グレゴリーはバタバタと身もだえして、全身で悔しさを表現する。だがすぐに真顔に戻って土鍋の蓋をカパッと開けた。

まぁ、美味しかったらいいや。お肉って腐りかけが美味しいって言うし

※ ゾンビは腐りかけではなく腐っています。
※ 良い子は真似して食べてはいけません。

じゃあ、イタダキマース

 グレゴリーはれんげで熱々の雑炊を頬張った。
 ちゃぶ台の向かい側では、魔ハムスターのケルベロス君が、血も滴るような百グラム金貨二枚の新鮮な牛肉に食らい付いている。その鋭い齧歯は、骨付きカルビを骨ごと容易く噛み砕く。
 ケルベロス君の齧歯に噛み切れない肉など、この世に存在しないのだ。
 齧歯最強! お肉大好き! 愛らしいマスコット・ケルベロス君!

うーん! トロトロの半熟溶き卵がお肉に絡まって美味しいぃ

美味しいぃ、じゃねぇよ! このモブ顔が!

スパーンと、グレゴリーの頭が小気味よい音を発ててハリセンではたかれた。グレゴリーは思わず雑炊を吹き出す。

ジッ! ジィーッ! ジィーッ!

飛んできた熱々雑炊を、素早く跳んでかわしたケルベロス君が抗議の威嚇。威嚇する姿もこの上なく愛くるしい。

ああっ! ケルベロス君ごめんね! わざとじゃないんだ! 雑炊かかってない? ヤケドしてない? 毛なみ乱れてない?

グレゴリーは慌てて愛するペットを撫で擦る。

ネズミに何、デレデレしてやがんだ、このクソ覇王が!

ちょっとぉ! ケルベロス君に対してネズミなんて蔑むのは酷いなぁ! ケルベロス君は由緒正しき魔界血統書付きの魔ハムスターだよ!

魔ハムだろうがリアルハムだろうが、所詮ネズミはネズミじゃねぇか! そいつだってテメェがうっかりネズミ算式に増えるの忘れて繁殖させて、知人やら臣下に配りまくって余ったヤツだろ!

背後の人物は再びグレゴリーの頭をハリセンではたき倒した。

痛いなぁ! やめてよ、田中武志君!

俺をその名前で呼ぶなあぁぁぁッ!! しかもフルネームゥゥゥッッッ!!

ハリセンを床に叩き付け、田中武志は頭部の巨大な角を避けて頭を掻き毟った。

それにしても久しぶりだねぇ、田中君

だからその名前で呼ぶなっつーの! 俺、魔王なんだから!

ちゃぶ台に胡坐をかいて向い合わせに座り、大魔王グレゴリーと、魔王田中は、ゾンビ肉の雑炊を仲良く分け合って啜っている。

田中君、南国の新しい魔王城は慣れた?

だからその名前を……だーっ! もういい! 勝手に呼べ!

田中はとんすいによそった雑炊を一気に掻き込んだ。そしてお約束通り、熱さで噎せる。

それで南国の魔王城の住み心地はどうなの?

おう、それ! 南国はいいぜぇ。若い娘が布面積の少ない服でキャッキャウフフとビーチで……

田中の鼻の穴がムフフと広がる。

肌を焼かずに、クサヤを焼いてるんだぜ! 七輪で! あの臭い、たまんねぇよなぁ! 胃の中身吐き戻しそうなあの臭いがエロカワ萌えるぜぇ!

田中はドヤ顔で鼻息荒く胸を張った。

わあ! それいいなぁ! ぼくも見たいなぁ!

いいだろう? いいだろう? 今度特別に招待するぜ、覇王さんよ!

ベショッ、ベショッと、二人の頭に何やら柔らかいものがヒットした。

グレゴリー様、魔王様、そこは萌えるところではございません

コツコツとピンヒールを鳴らしながら、際どいボンテージ姿の女性が現れた。立派な悪魔の羽根と尾を生やし、ブロンドの長い巻き毛を揺らしつつ、彼女はグレゴリーと田中の頭の上にあるもの──ジャムパンを回収する。

やぁ、ドロシーちゃん。今日も剛速球で命中率すごいね。洩れたジャムが血みたいに見えるよ

お褒めいただき、光栄ですわ

ドロシーと呼ばれた彼女は、回収したジャムパンを几帳面に胸元へと収納する。あっという間に豊満なバストの完成だ。そう、彼女の豊かなバストは胸パット代わりのパンを詰めてこそ、成立する。

お隣、よろしいですか?

どうぞどうぞ。ドロシーちゃんみたいな綺麗どころがいると、雑炊も更に美味しくなるねぇ

ケッ。出るところは引っ込む、引っ込むところは一直線の、色気もクソもねぇサキュバスのドコが綺麗どころだよ

ドロシーの眉がピクッと攣り上がる。

彼女は悩殺的なボンテージに、ブロンドの巻き毛と悪魔の羽根に尾。完璧なるセクシー系魔族の風貌だが、惜しむらくは……盆地胸・くびれ皆無ウェスト・尻えくぼも出ない肉欲感ゼロのヒップの持ち主である。つまり、本来あるべき色気が全くないサキュバスの異端者なのだ。
しかし秘書としての技能はまさにプロフェッショナル。実務秘書検定一級の持ち主であり、パン職人の称号も持つ。
一方的に敵視している心のライバルは、遠いメルヘンの国にいるバターの名を持つパン職人の弟子だ。

魔王様。ジャムパン、召し上がりますか? 人肌に温めておきました

と、ドロシーは胸元から先ほど入れたジャムパンを取り出した。

イラネ。明らかに何か仕込んでますっつー、怪しい変色してんじゃん。毒か何かだろ

ええ、ほんの致死量ほど混ぜてございます。ご安心ください。苦しさを感じる暇もございませんわ

余計にいらんわ! だがそれを俺に食わせたら片乳なくなるぜ、ドロシー!

田中の目の前に、ずいとメロンパンが差し出された。

お心配り、痛み入ります。ですが替えのパンは幾つか常備しておりますので

ドロシーはそのメロンパンを胸元へと収めて、僅か一秒で立派な巨乳の完成である。

田中君がいらないなら、ぼくいただいちゃおうかなぁ、そのジャムパン

グレゴリーは物欲しげに、ドロシーの持つジャムパンを見つめている。

このアマが毒入りだっつったろ。死ぬぞ

大丈夫! ぼくロト6にも当たった事がないからきっと平気!

毒に当たるのとロト6の当たりは関係ねぇだろうがよ!

田中がグレゴリーの頭をハリセンで叩いた。

んで覇王さんよ。俺、里帰りしてきた理由、まだ聞いてくれねぇの?

えっ?

グレゴリーの顔色が変わり、慌ててケルベロス君を両手で抱えてふるふると首を振る。

駄目! 今、このお城追い出されたら、また新しい賃貸探すの大変だから! それにケルベロス君、寒さに弱いから! 今、冬だもん!

賃貸物件渡り歩かずに自分の城建てろよ、モブ顔大魔王ッ!

魔王城にハリセンの音が響いた。

今更この城返せなんてチンケな事、ぬかすかよ! 俺は魔王だぜ、魔王! 魔族の王!

グレゴリー様はあなたより更に格上の魔界の覇王ですが?

ドロシー会心のツッコミ。

ううっ、でもぼく。ケルベロス君が一緒なら、きっとどこでだって生きていける。ケルベロス君だけがぼくの友達だもの!

グレゴリーは愛しげにケルベロス君を頬擦りする。だがケルベロス君は、心底迷惑そうにイヤイヤしている。

ちなみにグレゴリー様の臣下に当たる魔族は約六千万、あとハーピー族とヴァンパイア族に、以前新聞の文通相手募集コーナーで知り合ったペンフレンドがいらっしゃいます

友達いるじゃん! ペンフレンドいるじゃん! 今どきメル友じゃないのが驚きだけど!

田中はちゃぶ台をハリセンで乱打する。

ケルベロス君は特別な友達だよぉ?

……その特別な友達に、あんた喉笛噛み切られてんだけど?

これはケルベロス君流の愛情表現の甘噛みだよ

首から下が血で真っ赤っかになるのはもはや甘噛みとは言わねぇよ! マジ噛みだよ! マジに殺りに逝ってやがるよ、そのネズミ!

グレゴリーの顔色は出血多量により、蒼白となっていた。

大魔王様。替えのジャージと輸血のご用意、いたしますね

それだよ!

田中がビシッとドロシーを指差した。

なんで俺より偉いはずの “大魔王” が、いつもいつでもどこに行くのも薄汚れたよれよれのイモジャージなんだよ! 魔族とか魔王らしく、ごっついマントとビラビラのローブとか着ろよ!

グレゴリーとドロシーは顔を見合わせる。そして同時に声を発した。

だって動きにくいもん

グレゴリー様には似合いませんから

動きにくいとか、似合う似合わないは関係ねぇんだよ! あんた大魔王なんだから!

田中、渾身のハリセン・フルスイング。
ハリセンはグレゴリーの顔面にクリーンヒット。ドロシーは目にも留まらぬ動きで明太フランスを構え、受け止める。

ふぅ……こんな事もあろうかと、固めのパンを用意しておいて良かったですわ

ちゃぶ台に零れた明太クリームを指先で拭い取り、魅惑的な赤い舌でペロリと舐めるドロシー。

あら、いけない。私、塩分の摂りすぎには気を付けておりましたのに、うっかり明太クリームを舐めてしまいましたわ

魔族が摂取塩分気にすんなよッ!! つかフランスパンは卑怯だろ!

田中がドロシーを指差す。ドロシーはその指に、先ほどのジャムパンをぷすっと突き刺した。その行動に意味はない。

柔らかなパンもよろしゅうございますが、たまにはハードな歯ごたえのパンも美味しゅうございましてよ? ですから卑怯とは心外ですわ

パンの問題じゃねぇよ! ってかテメェはパンばっかだな!

田中は手刀で明太フランスを叩き折った。

ドロシーちゃん。固いおっぱいは可愛くないよ

グレゴリー様がそう仰るのなら、今度からもちふわ食パン一斤で受け止めるようにいたしますわ。食パンの衝撃吸収力は侮れませんよ

わぁ、だったらおっぱいがもちふわだね

食パン詰めたら四角い乳になるだろうが! つか、パンの問題じゃねぇんだよ! 話題反らすな!

 田中の声はもう涸れていた。

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