ひんやりとした石造りの柱の影から、田中、ドロシー、グレゴリーの身長順で、目的の少年の様子を覗き見る。
通路には松明に見せかけた自動点灯式の照明が等間隔に設置されており、遠目にも少年の様子を伺うには充分な光量を湛えている。

ランドセルだねぇ

……お約束すぎる……

あぁ……やはりなんて私好みの美少年……あのお顔を見ているだけで、私、四枚切り食パン十枚は軽くイケますわ。あ、でも軽くトーストしてくださいませ。あと蜂蜜もたっぷりとお願いしますわ

三者三様の感想を口にし、グラウンドのコーナーで級友と差を付けるという謳い文句で売り出されているスニーカーを履いた少年が、食い入るように歩き読書をしている。

ドロシー、お前ショタ属性か?

まぁ、部下の女性にそんな事を聞くなんてセクハラですわよ。そうですわね……あえて言うなれば、下は一歳から上は九十九歳まで限定です。百歳はアウトですね

ストライクゾーン広いな、おい!

淫魔であるサキュバス相手に、年齢制限や属性を付ける方がそもそも間違っている。

若々しく瑞々しい肌の美少年も、今にもポックリ逝きそうな皺クシャのボケ美老人も、一段高い所から見下ろしていると心躍りませんこと?

美老人ってなんだ、美老人って! しかもボケ付いてるし! お前は介護士か!? つか、女王気取りもおかしいだろうが!

シッ! 騒ぐと彼に気付かれてしまいますわ!

ドロシーはピンヒールを勢いよく踏み降ろし、田中の足をビーチサンダルごと踏み抜いた。声もなく悶絶して転げまわる田中。

その時、少年の足が通路の石畳の一部をカチリと踏み抜いた。

いけません! あれは落とし穴のスイッチ!

ドロシーはどこから取り出したのか、超ロングのバゲット三本を、シュッと彼の足元に投げる。
カパッと開いた落とし穴には、見事バゲット三本による橋が出来ていた。
少年は足許の異変に一切気付かないまま、無事バゲットの橋を渡り切った。

ふぅ……危ない所でしたわ。さすがは私のバゲット。三日経ったものは鋼鉄のごとき固さになりますわね

ドロシーちゃん。あんな長いパン、どこに持ってたの?

いつも胸に入れておりますが、それが何か?

グレゴリーの疑問に、ドロシーは事も何気に回答する。彼女のボンテージに不思議な凹凸は無い。やはり彼女のボンテージには魔界特製の、異次元に通じる魔法が施されているようだ。
フフと微笑みを浮かべていた彼女だが、すぐに表情を固くする。

いけません! あの通路の先には、真横から無数の槍が飛び出す仕掛けが!

駆け出すドロシーに続いてグレゴリーたちも彼女を追う。そして。

グレゴリー様、魔王様。これを

と、ドロシーは胸元から取り出した大量のベーグルを手渡す。やはりこれだけの量のベーグルが収まっていたようには見えないボンテージだ。

何これ? 食べていいの?

彼に気付かれる前に、槍の穴をこれで全て塞いでください。私のベーグルの固さなら、槍の突出力は充分防げますわ

パンで槍が防げるって……それ、威力面で相当問題ありなんじゃねぇか?

槍の威力に問題はない。ドロシーのパンが特殊なだけである。

グレゴリー様、魔王様。無駄口叩いている暇があるなら、さっさとやる! でないと顔中の穴にチョココロネですわよ! それとも座薬の代わりに、激辛カレーをたっぷり絡ませたナンを押し込まれる方がお好みですか? ご所望でしたら辛さを瞬間昇天レベルにいたしますが? はっきり申し上げますが、腫れ爛れますわよ……穴が。

ドロシーに脅され、田中はやや慌てて通路を先回りし、槍の穴にベーグルを詰め込み始めた。グレゴリーも──うっかり攻撃射程に入って飛び出してきた槍に眉間を貫かれながらも、穴にベーグルを詰める作業を黙々と続ける。
腐ってもモブ顔でも魔界の覇王。眉間に槍が刺さっていようと、ダメージはほとんど通っていない。
──本気で痛いだけだ。

あっ……

ドロシーが振り向いて声をあげる。田中がベーグル詰め作業を続けながら彼女の方を見やると、視線の先には少年の後ろ姿。

別の通路に行ってしまいましたわ

なっ……無駄な作業かよ、これ!

ベーグルを足許に投げ捨て、彼は地団駄を踏む。

でも大変です! あちらの通路にはもっと凶悪な罠が!

何の罠だよ!

グレゴリーがトントンと田中の肩を叩く。そして自分を指差した。

ぼくが引っ掛かった、ゴキブリコイコイ

お前も魔界に帰れーッ!! 魔界の神殿の奥で永遠に封印されてろ! むしろ頼むから帰れ!! 魔界に帰って、これ以上人間界で恥晒さずおとなしくしてろッ!!

すっと、ドロシーが片手を水平に持ち上げた。その手には──パリッと黄金色に焼き上がった美味しそうなクロワッサンが。

魔界で制作されたゴキブリコイコイを侮ってはなりません、魔王様。通称〝魔ゴキコイ〟は、屈強怪力の巨漢のトロールすら、強力無比な粘着力で以って吸着し、逃げる事すら叶わず滅してしまう……粘着殺害、いわゆる〝粘殺〟(ねんさつ)ができるほど恐ろしい威力なのです!

粘殺ってなんだ、粘殺って!! そんなネーミングも殺害方法も初めて聞いたわッ!!

ドロシーはクロワッサン片手に、ピンヒールをコツコツ鳴らして歩き始める。

かくなる上は致し方ございません。彼の読書を中断させてしまうのは大変心苦しゅうございますが、これも彼の身の安全のため。このクロワッサンをブーメラン替わりに投げて彼の注意を惹き、その隙に魔ゴキコイには予め、魔王様を吸着させる他ございません

真顔で田中の腕を鷲掴みにするドロシー。

なんで俺ッ!?

グレゴリー様のお召になっているジャージ生地は、伸縮性に富むストレッチ繊維の特性上、ゴキコイの糊にくっ付きづらいからですわ

ぼくジャージで良かったぁ

グレゴリーは掌に乗せたケルベロス君と、災難を逃れた喜びを分かち合った。

良かねぇよ、俺は!

恨むのなら、綿百パーセントのアロハシャツで来訪したご自身を恨む事ですわ! せいっ!

あーっ! 心の準備が!

ドロシーの投げたクロワッサンが、ヒュンヒュンと空を切って少年に迫る!

……あっ、靴紐ほどけた

少年は本を床に置き、片膝をついて靴紐を結び直した。少年の頭上をクロワッサンが飛んでゆき、通路の先の闇に消えた。
その様子に、ドロシーはチッと舌打ちして指を鳴す。

チッ……私のクロワッサンブーメランをかわすとは、侮れませんわね……彼……

お前好みの美少年じゃなかったのかよ! 今のセリフは抹殺失敗した暗殺者のセリフだぞ!

背後のやりとりに気付く様子もなく、少年は再び本を手にして歩き出した。

ねぇ、ドロシーちゃん

なんでしょう、グレゴリー様?

グレゴリーは指をこめかみに当て、小さく首を傾げる。

この先の魔ゴキコイって、こないだぼくが引っ掛かったから、撤去したんじゃなかったっけ?

……あ……

グレゴリーの指摘によって、真っ白に石化硬直したドロシーが我に返るまで、たっぷり十分はかかった。

数々の罠をドロシーの機転と──田中の多大なる犠牲によって掻い潜らせ、少年を魔王城の正面玄関へ向かわせる。読書をさせたまま。

ド、ドロシー……あと、幾つ罠があるんだ?

ことごとく罠の餌食にされ、身も心もボロボロになった田中が、ハリセンを杖にしながらゼェゼェと声を絞り出す。
魔王の命、風前の灯。あと通常攻撃一ターンで倒せます。チャンスターン! ラッキーイニング!

あとは正面玄関を出るだけですわ。もう罠は全て通り過ぎました。彼の命は守られましたの

ドロシーは満足気な笑顔で、ブロンドの巻き毛を指先に巻き付ける。

あの子が帰ったら、やっと晩ご飯にあり付けるよ。ケルベロス君もおなかペコペコだって

魔ハムスターのケルベロス君は、空腹を紛らわせるためにグレゴリーの腕に噛み付いている。ジャージは血で濡れそぼっており、そろそろ床に滴りそうだ。

出口を出るまで見送ったら、大広間に戻ってパンを人肌に温め直しますわ

うん。お願い、ドロシーちゃん

先に輸血してやれよ……

もはや田中のツッコミに覇気はない。

ドロシーが生暖かい目で見送る少年は、ようやく本を読み終えたのか、満足そうに表紙をパタンと閉じた。その時──。
ギギギィと、重く大きな正面扉が開く。

来客? 今度こそ勇者か?

田中が目を凝らすと、細く開いた扉の隙間から、見慣れぬ老婦人が現れた。とても勇者とは思えない。

ヒィッ!

田中の隣でグレゴリーが一瞬にして青褪める。いや、ケルベロス君によって少々食われていたので、元々血の気が失せた顔色だったものを、更に青白くしているのだ。
少年は老婦人に気付き──満面の笑顔で手を大きく振った。

あ! おばあちゃん、ただいま!

まぁ……彼はあの人間の孫でしたの? でも似てな……あら、グレゴリー様?

戸惑うドロシーの脇を擦り抜け、グレゴリーは全力で老婦人の前に飛び出した。ケルベロス君は振り落とされまいと、グレゴリーのダイナミックでアクロバティックな寝癖頭に必死にしがみ付いている。
そして彼は──無駄に洗練された無駄のない無駄な動きでエクストリーム三回転半スライディング土下座を決め、声の限りに叫んでいた。

すいません大家さんんんッ! 今月の家賃、あと半日だけ待ってくださいいいぃぃぃッッッ!

潜入! 魔王城! 3

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