──月明かり。

 本格的に夜も更け、パレードの行進ももう遠いものになってしまったのだろう。

 街は静寂に包まれあるのは私と彼の靴音のみ。

 まるで生けるものすべてが息絶えてしまったかのような、そんな錯覚。

月が綺麗ですね

……そうだね

 歩幅が違うのだろう、噛み合わない足音と袋がかさかさ鳴る声。

 ハロウィンのパレード仕様のため電灯は最小限の明るさになっていて、空に浮かぶ白の月の方が足元をきらきらと照らしてくれていた。

管理人さん

 と、一緒に動いていたはずの影が立ち止まり、振り向く。

 自分も半歩遅れて足を止める。

 変わらない無表情がまた、私を見つめていた。

そろそろ答えを貰ってもいいですか

…………

ふふ。うん、いいよ。ごめんね、忘れてて

じゃあもう一回、訊いてもらってもいいかな

はい。お願いします

 そうか、と彼の行動に勝手に納得する。

 彼は初めに、今日最初に会った時にこの言葉を言っていたのだったと──

トリック・オア・トリート。管理人さん

 絡み合った視線をそのままに、私は──

“トリック”

…………

え、えっと……トリック、だよ?

思わずここで聞いてって言っちゃったけど今お菓子持ってなくって。ごめんね

……いえ。それでも、

嘘でも悪戯のほうがいいだなんて男の前では言わないほうがいい

……? どういうこと?

子供にあげていたお菓子、もう残ってませんか

部屋に戻ればあるけれど

それもらえますか

うん! いいよ

ありがとうございます

でも良かった。お菓子もあまっちゃってたし彼がいたずらって何をするのか全く想像できなかったし

ふふ……私なんかにまでお菓子を貰いに来るなんて、そんなに好きなの?

どちらがですか

? どちらって……お菓子の話だけど

そうですか。普通です

そっか、普通か

相変わらず独特の会話リズム……

……管理人さん

管理人さんから見て、僕はやはりまだハロウィンにお菓子を与えても違和感のない存在ですか

 彼のじっとこちらを見つめる無表情が少しだけ揺れたような気がした。


(違和感って……どういうことだろう)

(ハロウィンに大人が子供にお菓子をあげるのは普通だと思うんだけどな)

長く生きていても他の生き物の気持ちはまったくわからない。


(これも引きこもり生活が災いしてかな……)

管理人さん、着きました

えっ!? わあ、ごめんね。考え事してて

気にしてません

答えは出ましたか?

……ごめんなさい、私には少しわからなかったわ

そうですか

またちょっと考えてみるね

…………

ってお菓子! 待ってて、すぐ取って来るから!

はい

お待たせ! はい、ハッピーハロウィン!

ありがとうございます

味見はしてあるけど、口に合わなかったらごめんね

合います

え? そ、そう?

……あ、そうだ。折角だし私も訊き返してみようかな

……たまには私だって、

管理人さん?


「隣人さん」

「──トリック・オア・トリート」

…………

 ほとんどやっぱり表情は変わってなかったが、隣人さんはなんとなく驚いているかのように見えた。

 自分でも少しだけ驚いた。

 もうずっと自分以外のものに何かを求めるようなことはしてこなかったことも勿論、相手は吸血鬼から見ればただの食事。


(……そうじゃない。ずっとずっと我慢してきたんだもの。少しくらい求めたって……)

 ずっと思っていた、心から思っていた。


 ──ああ、本当に君は美味しそう。


 彼の血には穢れが全く見えなくて、ふとした時に魅惑的な甘い香りが嗅覚を刺激するのだ。

 今年のハロウィンまでの一箇月だって、何度も何度も理性を手放したくなった。

 ……どうしてだろう、こんな時に限って虫の気配すらしない。

──!! 駄目、駄目だってば!! 私は何を考えているの!!!

あんな思い、誰にもさせたくないって思って血を断ってきたのに──!!

──トリックです、管理人さん

渡せるお菓子はないし、どうぞ

僕のこと、好きにして下さい


 あ、駄目だ。


 そこからした強烈な甘い香りと許容に、身体と思考が、分離する。


 力の加減を忘れたまま彼の胸倉を掴み、壁に押し付けた。


 小さな呻き声とともに荷物が音を立てて散らばり床を汚す。


 男の子にしては細身の身体。


 白い肌、首元。


 そのふと消えてしまいそうな病的な雰囲気。


 彼の無表情が、明らかな驚きのそれを見せる。







 その表情に、吸血鬼という“バケモノ”としての本能が疼いた────







 人間の創るファンタジーの中では、時に吸血鬼に血を吸われると、生気を吸い取られミイラになるだとか吸われた人間も吸血鬼になってしまうだとかとされている。

 が、実際にはほとんど実害はないに等しい。

 しかし当たり前に相手の血は飲めば飲むほど無くなっていくので、やり過ぎると出血死してしまうが。

 でも、ただ一つ。




 ──吸血鬼 -バケモノ- は、吸血鬼 -バケモノ- の血は飲まない。





「嫌──!!!」

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