ここは、アルネフォロス中央魔術研究院――。

私の研究室は、繁忙を極めていた。
宮廷の舞踏場ほどもある部屋にテーブルがいくつも置かれ、その間を魔術士達が慌しく駆け回っている。

ある者は緊迫の面持ちで薬品の瓶を傾け、ある者は脇目も振らずに書類にペンを走らせている。
壁際には大きな機械が並び、輪舞曲の代わりに重々しい稼動音を奏でていた。

ルカ

……


上質な革が張られた背もたれに体を預けて、私は書類を眺めていた。目の前では、部下が強張った顔で評価を待っている。

ルカ

使いものにならないな

ルカ

ここの数値を見てみろ。この条件下で、アイテールが拡散した時はどうする? こっちの属性値が飽和状態になった時は?

ハンス

そ、それは……

ルカ

その時はその時、か? まったく、その歳で官職に上がれない理由が知れるな

ハンス

……


ハンスはうつむいて拳を握り締めた。
後ろでは、彼の部下達が困惑の表情で視線を交わしている。

ルカ

やり直しだ。六時間以内に再提出できなければ全員外れてもらう

ハンス

そ、そんなっ!


狼狽する彼らを残して、その場から離れる。


すると、機械の異常音が聞こえてきた。
何やら、機械を使ってエクストプラムの融合実験を行っていた魔術士達が慌てている。

ルカ

何をしている

マーガレット

申し訳ありません。操作を誤ってしまって……

ルカ

またお前か。よくもまあ、こんなミスを何度も繰り返せるものだな

マーガレット

すみません……

ルカ

この仕事を始めて何年になる?

マーガレット

じゅ、十年です

ルカ

十年もやっていて、たった五百の手順が憶えられないなら辞めてしまえ

マーガレット

……

ルカ

まったく……


私達が手掛けているのは、時空に影響を及ぼす大魔術だ。些細な失敗が、とんでもない事故に繋がる。彼らは、そんなことすらわからないのだろうか?

主任研究者のハンスとマーガレット。
自分を補佐してくれるはずの彼らは、足を引っ張ることしか能がないようだ。危機管理に対する意識も甘く、安心して見ていられない。

二月後には学会発表を控えている。一片の気の緩みも許されないこの時期に、この有様とは……。
本当に頭が痛い。

苛立ちながら、研究室内の部下達を監視していると……

ライオネル

あ、あのっ、先生。ア、アレ……様が


若い魔術士がこわごわと声をかけてきた。

ルカ

聞こえるように言え!


彼は肩をすくませて震え上がった。
去年入ったばかりの新人魔術士だ。

ライオネルという大層な名前を持っているくせに、とにかく要領が悪くて、使い走り以外の仕事は任せられない。

ライオネル

ア、アレクシス様がお見えになりましたっ

ルカ

事務官長が?


視線を向けると、扉の脇に精悍な顔立ちの男が立っている。

何の用だろうか?
事務官長を直々に出向かせるような心当たりはない。
訝しみながら歩み寄る……。

アレクシス

相変わらず忙しそうだな

ルカ

ええまあ

アレクシス

進行状況はどうだ?

ルカ

問題ありません


そっけない受け答えで余談を終わらせ、時間が惜しいという雰囲気を醸し出してアレクシスを見る。

アレクシス

少し外に出ないか?


ところが、返答は、あっさりと私を裏切った。

ルカ

……


あからさまに迷惑そうな表情を浮かべてみせても、アレクシスには通用しない。

アレクシス

君達の先生をお借りするよ


彼は研究室に断りを入れて、歩き始めた。

中庭には様々な植物が植えられている。
敷地から一歩も出ずに一年を過ごすこともある魔術士達が、季節の移り変わりを感じられるように配慮されているのだ。

裸の木々が冬枯れの芝生を見下ろしている。
雪のヴェールが取り払われたばかりの中庭には寂しげな空気がたたずんでいた。

花壇に視線を落とすと、薄桃色の花が揺れている。
この季節に咲く花は小さく可憐で、葉の影から顔を覗かせる妖精のようだ。

アレクシス

もうじき春だな


アレクシスは花壇の様子や木のつぼみに注目しながらのんびりと歩いている。

ルカ

……

ルカ

用件は何なんだ……


研究室が気がかりで景色を楽しむ気にはとてもなれない。
時間を無駄に浪費させられることに対する苛立ちしか感じない。
本題をうながそうと口を開きかけた時、アレクシスが足を止めた。

視線の先を追うと、古いレンガ造りの建物がある。
魔力炉の施設だ。周囲にはバリケードが張られ、数人の警備兵が立っている。

ルカ

まだ、閉鎖されたままですか?

アレクシス

ああ。事件以来、ずっとだ


時空に穴を開けるとそこから魔力が発生する。
魔力炉は、そのエネルギーを様々な用途に利用できるように精製する装置だ。機械の動力源である魔石や、魔術の実験に使用する薬品はこの装置を使って作り出される。

魔力炉は膨大なエネルギーを扱う装置だ。
ひとたび操作を誤ると都市を丸ごと破壊する大事故を起こしかねない。そのため、王国に認可された魔術研究機関しか設置できず、厳重な管理のもとに運用されている。

十日前の安息日、この施設に何者かが侵入して魔力炉を暴走させた。
発見が早かったために施設の一部が焼けただけで済んだが、一歩間違えれば大惨事に発展していただろう。

ルカ

犯人の目星は?

アレクシス

……

ルカ

外部の人間がここに侵入できるとは思えない。おおかた、馬鹿な新人の仕業でしょうね

アレクシス

……

ルカ

思うがままに機械を使って、魔術実験を行ってみたい……。まったく、己の力を過信した魔術士が抱きがちな――

アレクシス

君の名前が、浮上している

ルカ

……え?


一瞬、アレクシスが何を言ったのかわからなかった。
しばらく間をおいてから、ようやく言葉の意味を消化することができた。

ルカ

なぜ私が!

アレクシス

事件当日、あの建物に入っていく君の姿を見た人間がいる。君の魔術の腕なら、警備兵など簡単に欺けるだろう?

ルカ

でたらめです。その日、私はずっと研究室にいました

アレクシス

ほう。神が定めた安息日に、神の徒である君が出勤していたと?


とんだ認定聖魔術士がいるものだ、と続けてアレクシスは肩をすくめた。

ルカ

無能な部下のせいで仕事が山積みでしたからね

アレクシス

だが、その部下達は誰も出ていなかった。君が研究室にいたことを証言できる者はいない

ルカ

っ……


確かにあの日はひとりだった。安息日にも必ず出ていたハンスとマーガレットも、あの日に限って来なかった。

ルカ

私自身の言葉は信用してもらえないのですか?

アレクシス

君は前科者だからな

ルカ

え……?

アレクシス

わからないとでも思ったか?

ルカ

……!


動揺に瞳が揺れる。
平静を装おうとしても、できない。

馬鹿な。
そんなはずが……ない。

なぜ、それが、彼に?
それを知っているのは……。

アレクシス

……


アレクシスは私の後ろに視線を送った。
いつの間に忍び寄ったのか、数人の警備兵が控えている。

アレクシス

多忙な時に申し訳ないが、つきあってもらうよ

ルカ

待って下さい、私は何もしていない! そうだ、ウォーレン教授に話を――


私の言葉はそこで途切れた。
警備兵に両側から腕をつかまれたのだ。

ルカ

……っ……放せ!


必死に振りほどこうともがくが、屈強な警備兵はびくともしない。無理やり頭を前に倒され、首筋に硬いものが押し当てられる。

人を気絶させる道具だということがすぐにわかったが、抵抗するすべがない。

ルカ

うっ……


雷に打たれたような衝撃が脳天に走り、視界が暗転した。
脱力する体を警備兵が支える。

アレクシス

君を告発した者が、君を弁護するとでもいうのか?


遠のく意識の中で、アレクシスの言葉が聞こえた。

第1話 閉ざされた道

facebook twitter
pagetop