――しかし、勘違いとは困ったものだ。
――しかし、勘違いとは困ったものだ。
――はぁ?
想わず、稲葉明美はあきれ声をあげてしまった。
彼女にしてみれば、"げた箱にラブレターが入っていて、校舎裏に呼び出される"なんてシチュエーションだったのだ。
高揚していた気分が一気に冷め、眼の前の人物をじっと睨(にら)みつけてしまう。
すまん、本当にすまん!
……いやぁ、あんたのしっかりしてそうで抜けてるところはよく知ってるけどさぁ
眼の前で謝る男は、ぱっと見ではしっかりとした好青年。
だがしかしてその実体は、天然とくそ真面目さで女子間で密かな人気を誇る、真実(しんじつ)一路(いちろ)という少年であった。
(一路ってなぁ)
と内心で想いつつ、明美は諦めのため息をはいた。
その正直さに嘘がないことは、幼なじみである彼女にはよくわかっていた。
昔からの腐れ縁は伊達ではない。だから、幼なじみってめんどくさい。
というかね、幼なじみのげた箱に間違って入れるスキルはすごいと想うけど
なぜなら恥ずかしくないからな
確信犯なの!?
突然キリッとしてそう言う一路に、さすがにジト眼でにらむ明美。
って、アンタねぇ……
や、待て待て。ほ、ほんとは焦って間違ってしまってだな
どうせテンパって、ラベルも見ずに放り入れたんでしょ?
ま、まぁな……
堅苦しい一路の態度から、とりあえず嘘はついていないようだと想った。
明美は一路を見ていると、名は体を表す、と言った昔の人に呆れてしまう。
一路はまさしく、いろいろと想い悩んでしまうタイプだからだ。
……見ている周囲が、たまに苦々しく想うくらいには。
ドキドキするのはわかるけど、でも間違えられるこっちの身にもなってよ
やっぱり、入れられた方も、ドキドキするものなのか?
……そりゃ、ま、私だって好きな人には、ね
一路の返しに、言わせんな恥ずかしい、といった表情で明美は眼をそらした。
……で、誰なのよ?
ん?
あんたの好きな人よ、ここまできたら聞かせてもらいたいわ
さっそく一路に対して本題をねじこむ明美だったが。
この一路、それだけは口が裂けても言えぬ!
あっそ、じゃね
めんどくなったので軽く手を振ってバイバイしようとしたら、しがみつかれた。
いやいや明美さん、ここで去ったら俺たちの腐れ縁も終わりじゃないかね?
腐ってるからねぇ、もぎれるかもねぇ
ややや、明美よ……そんな寂しいことを言うな。頼む、相談に……のってくれないか?
一路にも想うところがあったのか、想いついたように明美へそう打ち明ける。
真面目に追い詰められたような表情でそう言われれば、明美だって無下にはしづらい。
……初めから、そう言えばいいのに
そっけないふりをして、明美はそう受け答えた。
すまないな
いいよ、話した方がすっきりする場合もあるし……移動する?
校舎裏で立ちっぱなしも疲れるので、手近なベンチのある場所へと移動する。
腰を落ちつけて一息ついてから、改めて明美は口を開いた。
で、重ねて聞くけど、あんたの好きな人って一体誰なの?
このみです
あらイヤだワタシだなんて
何をどう聞けばそんな解釈になる!?
好みって言ったじゃん!
違うわ! 好き嫌いのそれじゃなくて、名前だ!
ほうほう、このみさん、と
……そうだ
そうかそうか一歩前進アハハと笑いあい。
ふっと、ぴたりと笑い声が止み。
……このみ?
……はい、そうです
やたらに殊勝に気まずそうにうなずく一路の態度。
想わず、明美はちゃぶ台をひっくり返す勢いで口を開いてしまった。
ていうか、このみ!? まじ、このみ!? あの、このみですかマジですか!?
連打されると確かに恥ずかしいな、このみ
話の腰を折るなよ!
冷静に突っ込んできた一路に対して、明美は想わず怒りの逆ギレを返してしまった。そして燃えた。
このみってあれでしょ、私たちの幼なじみじゃんワタシの親友じゃんアンタも毎日会ってるじゃん!
そのとおりだがなにか?
開き直っていい顔すんなよ!
断言する一路の顔が、ちょっといい顔すぎんよ、と明美は内心思ってしまったりもした。くやしい。
しかし、次いで鬱っぽく疲れた顔になる一路。
そう、学校のイベントで役職を引き受ければあとで想い悩み、部活で重要な立場を与えられれば頑張りすぎて空回りし――
けれど、それが一路という男の性格なのだった。
逆にこうした性格だからこそ、案外に好かれている面もあるのだろうが。
そんな一路の表情を見て、明美のメンドクサイ指数がピークに達しようとしていた。
幼なじみとかいう設定群がなければ――そう、見捨てたいくらいのはずなのに。
はあ、呆れたわ。あんなに毎日会ってれば、いくらでもチャンスはあるでしょうに
助言を与えてしまうくらいには、嫌いになれないでいるのだ。
それは、わかっているんだ
別に、他の女子や私と比べて、話しづらいわけでもないでしょ?
むしろ明美が想いかえす分には、一路とこのみの会話は物静かながらも気が合っているように想えた。
そして明美は想いかえしながら、一路の態度や表情が、今にして想えばあまり見たことがなかったものだとぼんやり感じられた。
自分の鈍感さが悔やまれる。
米と同じだ
はい?
当たり前すぎて、味が変わったときが怖い
……や、それはそうかもしれないけれど
ようは、今の関係が壊れることが怖いということか。
明美は一路の説明でそう想い至る。具体例はどうかと思うが。
――明美は一路の顔を見ながら、このみのことを思い出す。
穏やかで優しく、引っ込み思案。容姿には気を使いながら、年齢相応のあどけなさもある。
女性の立場からも嫌われない、男子の一部には人気がある、そんなこのみの姿。
――私とは真逆ナンだよねぇ
自分とこのみを比較して、明美はどちらかといえば活発で男勝りな面もあり、頭より身体を動かす方が好きだった。
ただ、その言葉を一路は違った方に受け止めた。
そうかもな。お前みたいにまっすぐ物を言えれば、迷惑かけてないんだけど
明美のつぶやきを呆れと受けとった一路は、申し訳なさそうにそう言った。
……私だって、そんなにまっすぐ言えるわけじゃないよ
そのあたりは、このみが一番かもしれないな
違いないわ、と明美はうなずいて、このみとの出会いを想いだす。
確かに、このみは出会った時から、まっすぐに物を言う子だった。
出会いは小学校にさかのぼる。
別の街から転校してきた明美は、今一つクラスになじむことができなかった。
当時の明美はどこか陰があり、他者を拒絶するような空気を幼いながらに出していたからだ。
そんな明美に声をかけてきたのが、このみだった。
理由は、単純なもの。『明美ちゃんは、笑った方がかわいいから!』。
しかも、今想い出せば、言ったときの顔はいわゆるドヤ顔と呼ばれるものだった。
……あー、まあ、不思議な子ではあったね
だが、そんなこのみとの付き合いのおかげで、明美の周囲も変わっていった。
友達も増え、出かける機会も多くなり、そして、男子と接する機会もできてきた。
お前はすごく勝ち気で、いじわるや、からかいが大ッキライだったけどな
明るく元気な面が現れた明美は、女子をからかう男子の行動が許せなかった。
今にして想えば、たわいのないものばかりだと、かわいく想いだせもするのだが。
そんな男子との衝突を仲裁していたのが、一路である。
想いかえせば、お前のおかげで、三人でいる時間が増えたんだな
そう、なのかな?
一路の言うとおり、なんとなく三人でいる時間が多かったのは確かだ。
小中高と一緒で、なおかつ朝の登下校まで、未だに一緒な三人組。
二人以外にも友人は皆できたけれど、一緒にいる時間が多いことに変わりはない。
今日の朝も普通に話してたのにねぇ
人間には仮面があるのだ。心にある仮面はどうやって破壊したらいい?
知らないわよ
変わりがないからこそ、変えようとすることに躊躇するのか。
――変わりがないのではなく、変わりたくないのか。
想い沈む前に首を一振りして、明美は口を開いた。
で、なに。告白するの
ぶっきらぼうな明美の問いかけに、一路は。
……する!
断言。
それは、平穏な河に、石を投げて波紋をたてるようなもの。
けれど、その男らしい顔が、なんというか、いつも以上に真面目で真剣でせっぱつまったものだったから。
……肩の力は、抜きなさいよ。このみのことだから、まず心配しちゃって、話なんか聞いてくれないんだから
明美は一路に対して、真剣な声音でそうアドバイスせざるをえなかった。
ああ、そうだな。その可能性は高いな
ははは、と笑いながらうなずく一路の顔は、"告白"をする前に比べるとずっと晴れやかなものだった。
ためこんでいた感情を誰かに話せたことで、気分がすっきりしたのだろうか。
ありがとうな、明美。お前が聞いてくれたから、気持ちが楽になった
あっそ。それは、よかったわね
呆れて流すかのように返す明美に対して、一路は大真面目な顔で言葉を重ねた。
いや、本当だ。お前がいつも俺の悩みを聞いてくれるから、助かるよ
……そりゃ、どうも
釈然としない顔で頷く明美に、満面の笑みの一路。
よし、そうと決まれば、あとは実行あるのみだな!
言うが早いか、ガタンと音を立てて、一路は勢いよく立ち上がる。
……もう、するってこと?
そうする。善は急げとも言うしな
いいんじゃない
そう、想うか?
そりゃ、想うわよ。迷いをふりきったんなら、ね
なるほど、な……
そうして立ち上がった一路は、しかし、足を踏み出すこともせずに立ち止まっていた。
明美もまた、何も言わなかった。
……言いたいことがあるなら、聞くよ?
迷いをふりきったんなら、とわざと言ったのは、幼なじみゆえに性格をよく知っているからだ。
だから、一路は明美に対して、背中を向けながら問いかけた。
お前から見て……俺とこのみは、その、どう想う?
昔から二人を見てきた明美なら、と一路は想って、そう聞いた。
けれど、明美の答えは、一路の望んだものと違っていた。
……まったく、漢らしくないわね
なんだって?
さっきまでの勢いはどこへ行ったのよ? まったく、心配しないで、ドンとぶつかってきなさい!
アンタは迷ってない方がわりといい漢だって、私が保証してあげるからさ!
明美も立ち上がり、一路の背中をバンと勢いよく叩く。
身体がよろめくくらいの叩き方に、一路も顔をしかめて明美に振りむく。
お前、加減ってもの……が……
文句を言おうと開いた口元が、次第にしぼんでいった。
振り向いた先にあった明美の顔は、今まで一路が見たことのないものだったからだ。
深く記憶を探す大人のような表情で、明美は一路に語りかける。
覚えてる? 去年の体育祭の時
あ、あぁ……みんな、一丸となって頑張ったよな
特にお前は、ケガまでして――と一路が言った言葉に、明美はうなずく。
覚えててくれたんだ
、と明美はほがらかに微笑む。
お前が足のケガを隠してまで、リレーの最終を回りきった時のことだろう?
大事なリレーの試合、皆と一番をとると決めて、練習を遅くまでして望んでいた。
けれど、リレー前の競技で、明美は足をくじいてしまっていたのだ。
隠し通してリレーは終わったものの、痛みを隠すために校舎裏へ回った時――一路が現れて、気遣いの声をかけたのだ。
うん……あの時、みんなの前じゃなくて、誰もいないところで支えてくれて、嬉しかった
なんともないと言い張る明美に対して、一路は怒った。
その怒声と気遣いが、明美の緊張感をゆるめ。
一路の背中に乗せられた明美は、あんがいに一路の背中が大きいことに気づいたのだった。
一路に支えられて保健室で治療をしていると、すぐにこのみも現れた。
このみも明美の様子がおかしいと想って、保険医に相談にきたらしい。
まったく、ステキな友人を二人も持って……私は、幸せだよ
そんな三人の関係を、一路は変えたいと相談にきた。
明美としては想うところもあったが、口にする言葉は、もう決まっていた。
最大限、協力するよ。だから……
――迷わないで、と明美は言い含めるように、言葉にのせた。
……ありがとう、な
いいから。じゃあ、続けようか?
立ち上がった一路を再び座らせ、明美は彼に、告白場所や時間帯などのアドバイスをする。
一路は、その言葉をありがたく想いながらも、不思議に感じることもあった。
なんというか、お前、やけに詳しいな
……それを聞きますか?
ハッ、と軽い息を吐き出して、一路に呆れの言葉を投げる。
その態度に一路はばつが悪そうに口元を隠しながら。
いや、お前の真剣さ、本当にありがたいと想ってるから。だから、なんでなのかと、考えただけさ
ためらいながらも視線をそらさない一路の視線に、明美は逆に視線をそらして答えた。
もう、口元や瞳に、自嘲の色はなかった。
……私の好きな人に、こうされたら嬉しいなって考えてたことを、さ……言ってるだけなのよ
なるほど、な……
い、言わせないでよ、恥ずかしい……!
照れ顔で一路につっけんどんな態度をとり、背中を向ける明美。
うらやましいな
背中越しに聞こえた一路の声。
え?
ぽつりと呟かれた一言に、明美は肩越しで振りかえる。
一路の横顔が、とても優しく。
その、お前が好きになったやつ。幸せな奴だな、と想ってさ
口元でささやかれた言葉は、明美の心に重く染み込むものだった。
――
一路はその名の通り、まっすぐに自分の胸の内を言葉に乗せた。
ただ、それだけのことだった。
だから、明美は身体をくるりと一路の方へと戻して。
――はっ。その力は、今、アンタに注がれているわけですが?
からかうような、バカにするような、曖昧な笑顔を浮かべ。
指先で一路の顔をつんつんと突つきながら、胸の内の言葉を埋めこんだ。
違いない、と笑う一路。
二人はその後も、告白に関する不安や注意を話し合った。
それらは、あくまで相談であって回答ではなかったが、一路の中で気が休まっていったのも事実だった。
明美、具体的なことは、俺が決めるよ
あぁ、ごめん。確かに、それはそうだよね
ここまで明美に寄りかかっておいてなんだけどな、と一路は謝りながら。
しかし一路も、告白する者の礼儀として、行動は自分でしたかった。
じゃあ、一つだけ、アドバイス
明美は一つだけ、一路に対してアドバイスをした。
この学校には一つの噂がある。
中庭に立つ木の下で告白をすると、二人の想いが通じ合うという。
……逆に、避けようかと想っていたんだが
生徒の間では、まことしやかに伝えられている噂のせいで、木の下での告白は避けられるようになっていた。
一路もそれに習い、明美の提案に疑問を持つ。
それこそ逆よ! このみの趣味、あんたも知ってるでしょ?
噂を知っているからこそ、このみをよく知る明美だからこそ、そう言い切る。
明美は知っている。
このみの家には少女マンガが大量にあり、このみ本人は否定していても、そこに描かれた物語に憧れていること。
それに、友達同士の色恋の話でも、甘い出会いや運命の響きにあこがれていることが、否応なしにもれていること。
だから、迷わないこと。あんたの名前のように……ガツンと、行きなさい!
それこそドラマティックによ、とつけ加える明美の口調に押され、一路もうなずく。
ああ、そうだな。ここまできて迷ってたら……お前にも悪いし、な
うなづいて明美を見る一路の顔に、もう迷いは見られなかった。
そして明美もそれにつられて、口元に笑みを浮かべるのだった。
――告白の日取りや時間は一路が決めるとのことで、二人は別れた。
――もう、その瞬間は明美にとって関わりがなかったはずなのに。
……あぁ、もう
なにげに通りすがった、人気のない時間帯。
木の下を見れば、そこには一路とこのみの姿があった。
反射的に隠れてしまい、二人の姿を遠巻きに見る明美。
いや、私なんて、消えちゃえばいいんだろうけどさ……
二人の背中を見つめながら、ぼんやりと、明美は立ち尽くし。
……あー、なんてーか
あいまいになる視界と思考の中で、後ろ手で組んだ両手を握りしめながら、ぽつりと明美は口を開いた。
あのタイミングで、"好き"って言ってたら、卑怯だったんだよね……
泣ければいいのになぁ、と明美は想わなくもないが、なぜかそういったものが表面には出てこない。
だからこそ、今の今までポーカーフェイスで一路と付き合っていられたのだが。
――だがしかし、あの時の一路の話はこたえた。
じっくりと、後で染みてきそうな感情が、明美の気分を憂鬱にさせる。
……けれど、受け入れるだけなのは、こたえるね
一路の性格なら、明美の言葉を聞けば、きっと迷う。
そして、悩み惑いながら、必死に答えを探そうとするだろう。
優しくしてくれるかもしれない。
けれど、明美はなんとなくわかっている。
幼なじみを続けてきたからこそ、その苦しみの果てに一路が選ぶ答えが、もうわかっている。
明美が好きになった一路の選ぶ答えは、決して変わることはないだろう。
――好きな相手の幸せを願うことが、私の幸せだと信じたい。
そんなことを心の奥に秘めながら、明美は幼なじみの顔を作って、恋人同士の帰路を待つのだった。