家にやって来た子供達の気配を見送ってから、電気を消し我慢を忘れ床に座り込む。
ずるずると床を這って、冷蔵庫の前まで行き中に用意してあるペットボトルのブラックコーヒーを一気に飲み干した。
するとだんだんと動悸は収まりぼやけた視界もはっきりとしてきて、やっとのことで意識的に呼吸をする事ができた。
おねーちゃんお菓子ありがとー
ありがとー
うん。いいハロウィンをね
うんっ! ばいばーい!!
ばいばーい!!
…………
──はあ……!
家にやって来た子供達の気配を見送ってから、電気を消し我慢を忘れ床に座り込む。
ずるずると床を這って、冷蔵庫の前まで行き中に用意してあるペットボトルのブラックコーヒーを一気に飲み干した。
するとだんだんと動悸は収まりぼやけた視界もはっきりとしてきて、やっとのことで意識的に呼吸をする事ができた。
(……しんどい……)
(どうしてハロウィンだなんて行事があるのかな……)
10月31日、今日はハロウィン。
街では人間の子供達が魔女やらミイラやら色々な仮装をして出歩いている姿が見られる。
そして電気のついた家の扉を叩き、『トリック・オア・トリート』と言葉を投げかけるのだ。
その姿はとても可愛らしく、お菓子をあげる側の身として『どうしてハロウィンなんて』など考えたくはないのだが……、
(血が……、血が、飲みたい……)
(人間の、……血……)
ああしてほんの短い時間、人間と近くにいただけでも座り込んでしまう程なのに、こうして改めて考えてしまうと抑えたはずの渇きがまた漏れ出してくるのがわかる。
──吸血鬼。
これが私にほとんどぴったりと当てはまる種族名だ。
文字通り血を吸い、栄養源とする存在である。
今では幽霊、魔女、狼男やフランケンシュタインなどと同じく、普通の人間たちにはファンタジーという括りにされており、本気で信じているの人間は極小数だろう。
しかし実際にそういったものは今でも存在しており、その殆どは人間たちの住むところとはまた違う場所に集まり、居を構えている。
……そしてその殆どでないのの一人が、私である。
もう一度冷蔵庫を開き、ブラックコーヒーのボトルを一本飲み干す。
今日、ハロウィンまでの一ヶ月、この衝動に何度駆られただろうか。
もともとハロウィンは、秋の収穫を祝い悪霊や悪魔、そのような存在を追い払う、そういった意味の行事である。
しかし実際には行事が近くなるにつれその存在を人間たちが思い出すことから、娯楽としての意味合いが強くなったこともあり逆の作用が働いているのだ。
簡単な例を上げると、ハロウィンが近付くにつれ魔法使いの魔力というものが強くなるように、吸血鬼は血への衝動が大きくなるといったものである。
(……あ、コーヒー前に買い貯めしたばかりなのに今ので最後だった……)
何とか立ち上がり窓に寄りかかってカーテンを少しだけ開け外を見る。
アパートの四階から見える景色は広くはないものの、この街に来て……あれ、何年だったかな。
……いつも夜は静かな街中はハロウィンのお祭りで賑わい、きらきらとしていた。
(どうしよう、今日は絶対に外出したくなかったのに)
普通の吸血鬼はこの時期の吸血衝動を押さえつけられないわけではない。
ただちょっとだけいつもより飲む量が多くなるくらいでほとんどがいつも通りの生活を送っている。
……そう、普通の吸血鬼ならば。
(だって血、……飲みたくないんだもの)
理性がそう言う。
そのちっぽけな理性で自分を律し始めてからもうかなり長い、と思う。
でも時折、特にこの時期に食事──人間──が目の前に在ると理性は簡単に本能に壊されてしまう。
普通の吸血鬼のように普通に食事をしていれば、ブラックコーヒーなんかの気休めで無理矢理それを抑える必要もないのだ。
(でもコーヒーもそろそろ慣れてきちゃったしまた新しい代わりを探さなくっちゃ……)
!
思わず部屋を見回す。
電気はさっき消したので勿論部屋は暗い。
自身の体質上夜目が利くので、驚いて確認してしまった。
つまり、来訪者はハロウィンにお菓子を貰いに来た子供達ではないということだ。
こんな日に誰……?
正直誰かと会うのは自分の今の状態から避けたいところであるが、警察とかであった場合居留守はまずい。
ついさっきまで電気はつけていたし、何よりこの街に人間として潜り込んでいる以上どんな小さなものでもごたごたは避けたい……。
警察だとかそんな考え過ぎだろうからって思ったけど……
と言うかなんでノックに変えたんだろう
扉を軽く叩く音にはおよそ感情が見られず、常に一定に部屋に響く。
まさかイタズラ?
ハロウィンだし、誰かの悪戯と言う可能性もないことはないだろうが、わざわざ私にそれをしに来るような人間は居ないはずだ。
……そうじゃないとしたら、
ふと、近頃話題になっている事件のことを思い出す。
街で起きている、無差別の殺人事件。
──そんなまさか!
思い浮かんですぐに掻き消した。
それに普通の人間に攻撃されそうになったところで吸血鬼である私が簡単にやられてたまるもんじゃない。
しかしノックは鳴り続け、諦めることを知らないようだった。
……仕方ないか
開けたくないという意思は見えたはず。
待たせてごめんなさい、今開けます
今晩は、管理人さん
トリック・オア・トリート
…………こんばん、は……
その訪問者に意外、とまではいかなくても素直に驚く。
彼はこのアパート……私が所有・管理人をしているこのアパートの402号室、私の隣の部屋に半年ほど前に引っ越してきた学生の男の子だ。
出会い頭から放たれた『トリック・オア・トリート』の言葉のあまりにもの無表情さに、先ほど来た子供達のそれと思わずも比べてしまう。
────
また、押さえつけたはずの衝動。
彼のシャツの襟の間から少しだけ見える首元に思わず目が行ってしまう。
本能に身を委ねてしまいたくなるが、残った理性でそれを振り払う。
やはり、こうして人間の中に混じって生きていく上で誰とも合わずに、というのは無理な話だった。
ほとんどは部屋に閉じこもっているのだが、コーヒーを買いに行く時だったり、吸血鬼とは言え感情というものはあるわけで外に出たくなる時もある。
彼とは隣人ということで部屋を出たときに鉢合わせたりすることも多かったので顔を合わせることが多いように思う。
その度に今みたいなほぼ無表情で淡々とした調子ではあったものの話しかけてくれていた。
(この街にも知り合いなんていないし、素直に嬉しいのだけれど……、)
(いつもいつも、美味しそうだなんて思ってごめんなさい……!!)
心の中で今日も精一杯謝る。
嬉しさが後ろめたさに上書きされるのはもう何度目だろう……。
アパートに越してくる時に提出された彼の調査書には身寄りは居ないとあったし、時折夜に外出することもあるが部屋の方には人を連れ込んだような気配もない。
つまり、彼にもし何かが起こったとしてすぐに足が付いてしまうということはないのだ。
それも踏まえ、会う度に、その首に噛み付き血を吸ってしまうことが出来たら……と考えてしまうのだ。
(今だってこのまま部屋に連れ込んでしまえば簡単に……)
(────!!)
(馬鹿なの私は……!? こんな、恩を仇で返すような行為──!!)
(……我慢とは……もう長すぎる付き合いじゃない……)
(とりあえず早く帰ってもらわないと……!)
管理人さん。顔色が若干悪いように見えますが、大丈夫ですか
それは……電気が消えていたからだと思うわ
部屋、真っ暗ですね。ランプくらいつけないと危ないですよ
そうだね……
というものの、出来るならばこれ以上電気の類はつけるのは避けたかった。
暗いところでもきついのに、さらに明るくして彼を見てしまえば今までの我慢が水の泡になりかねない。
(しかもついさっきコーヒーを切らしてしまったし……)
管理人さん、どうしたんですか
……っ
何とか、言い訳を探す。
やむを得ないような嘘をついてしまえばいい話であったが、こうして心配してくれている男の子に下手な嘘はつきたくない……。
じ、実は私、その……やっぱり少し体調が悪くて
…………
大丈夫ですか
え?
不意打ちだった。
彼の手が伸びてきて、私の額に添えられる。
私の体温が高いのかどうなのか、とても冷たい手。
「やめてッ!!」
…………
……あ、
すみません。驚きましたか
わ、私こそ……ごめんなさ──
気にしてません
そのまま手を引いて噛みつけてしまえたらと思ってごめんなさい──!
心配をしてくれたんだ、純粋に。
なのにこんな……!
嘘をついてごめんなさい! 私、ちょっと買い物に行きたくって……!
そうですか。一緒に行ってもいいですか
えっ!?
ハロウィンで道が明るいとは言え、夜道は危険ですよ
それにすごくとはいかずとも体調、本当は悪いんじゃないですか
…………
行きましょうか
そうして彼は私が付いてくるものと疑わないかのように返事を待たず、背中を向けて歩き出す。
…………この遠慮を知らない無表情……、なんとなくはじめて会った時を思い出すな
──約半年前
はじめまして。わざわざ部屋まで来てくれてありがとう
……
私がこのアパートの管理人です
基本的なことは仲介人に説明を聞いたと思うからいいと思うけれど、他に言っておくことといえば……
家賃は毎月一日直接じゃなくてポストに入れておいてくれればいいから。よろしくね
…………
えっと……何か他に気になることとかあるかな
…………
…………
…………
…………
……無表情でじっと見られてる……
い、一応お隣だし。よろしく、ね
…………
地面に這い蹲れメス豚野郎
(……あれあまりに聞きなれない言葉過ぎて前後がトリップしているのだけど)
(今思えば強烈な出会いな気がする……)