Everything has been figured out, except how to live. - Jean-Paul Sartre -
Everything has been figured out, except how to live. - Jean-Paul Sartre -
意味や価値はどこからか与えられて、それも、当の本人にはひとつも知らされないまま。
"フィールドワーカー"は頼まれごとを仕事にしている。
彼にとってはどれも簡単な事ばかりで、働いている気はまったくしなかった。それこそ、誰にでもできる事だったから、どうして皆自分でしないのかと不思議に思っていた。
仕事の手順は、こう。
頼まれものを拾ったら、きまりを守ったラベルをつくる。それをいくつも繰り返す。
まずはそれを"意味"する名前を記す。
例えば、
[stone]
石。
硬くてちっぽけな塊は、フィールドワーカーに拾われて、これを必要としている誰かしらに届けられる。
世の中には石に名前をつけて世話をやいたり、ケースに閉じ込めてみたり、ひとかたまりをあれやこれやして事細かに調べ上げては仕分けをして、売ったり買ったり、自慢したり、大事にしまい込んだりするそうだ。
フィールドワーカーは拾った石を"イヌ"の前に差し出した。
これはなにでできてる?
尖った歯がちぐはぐに並んだ大穴から、短い舌が出て、ぺろっと石を吟味する。
この、やわらかそうな毛並みの獣を、仮に"イヌ"と呼んだが、正しくはそうでない。イヌの分類学者にみせたならば震え上がるかもしれないが、理由はきっと「化け物だ!」からだ。口があるなら、その近くに集まって付いていそうな、目や、耳や、鼻がない。もしかしたら毛の下に埋まっているのかもしれないが、噛み付かれるかもしれないなら、確かめないままでいい。表情が読めない分、動きをよくよく観察しなければいけない。イヌが尾の動きで機嫌をあらわすように、きっと何かしらの仕草から伝えられるメッセージの"意味"を拾えるはずだ。
苦い、しょっぱい、チクチクする部分もあるが、つややかで柔らかい。たくさんの水を吸い込んだ味がする、光を欲している。
…ケイ素、そして鉄、マグネシウム、すこしカルシウム、それからニッケル、チタン、マンガン。
"イヌ"はすらすら言葉を喋った。
それも、ひと舐めで見事に石ころの組成を暴いた。アナログだが高性能な分析器を備えた、四足歩行の百科事典。この生き物の名前は、
ありがとう、ドッグ・タン。
カンラン石だ。
いや、これは生まれたばかりの蛇紋石だ。すこしだけ、カンラン石も残っているけど。
3センチほどの大きさで、角がとれた丸い石は、手のうえでころころと可愛らしく転がる。
小さな表面積のなかにびっしりと色や模様が入っていてて、この縞や斑がヘビのウロコ模様に見えてくる。深々と黒い青、鉄錆色、焦げ褐色、雷光に泡立つような白、若芽の産毛みたいにやわらかい萌黄色、それがだんだんと一方の端に近づくにつれ、薄ぼんやりと淡緑色に透けてゆく。
地下深くで石の蛇がたっぷり水を飲んだ証拠。
フィールドワーカーは、ラベルの一番上の欄に[蛇紋石]と書き入れた。次に、今日の日付と採取場所、そして最後に「F」のサインが入る。
ハンナ教授はカンラン石を集めて欲しいって言ってたけどね…
ペリドット・グリーンを光に透かしながら、フィールドワーカーは今日の仕事の依頼者の名前を口にする。フィールドワーカーはハンナ教授を好いている。
透明できれいだからかな?
彼女の専門は星だ、この間はインパクト・グラスを集めただろう。研究に使うんだよ。
ドッグ・タンは無表情のまま、次の石を探し始めた。フィールドワーカーもその後を歩く。
だんだん日が傾いてきて、陰った足元から生き物のざわめきが伝わってくる。
頼まれた標本は十分な数が集まったので、そろそろ帰ることになった。フィールドワーカーは集めた石のうち、いちばんきれいに透けるものをひとつ、自分用に除けておいた。ドッグ・タンは道中、高価そうな石を見つけては美味しそうに頬張っていたようだ。
ねえ、ドッグ・タン……
どうかした?
フィールドワーカーはふと足を止め、その場に腰を下ろしてしまった。
ボクが”フィールドワーカー”と呼ばれるのは、誰かに仕事を頼まれるときだ。
はじめ、ボクには名前がなかったはずなのに、誰かがボクを”フィールドワーカー”と呼んだ。それに返事をしたボクは、いつの間にかすっかり"フィールドワーカー"になっていた。
「仕事を頼むよ、」という意味で名前を呼ばれているんだ。もし、ボクに価値がひとつも見いだされなかったら、誰にも名前を呼ばれなかったら、フィールドワーカーじゃないボクは何なんだろう。
あの小さな石を「蛇紋石」と呼ぶことになったところで、石は返事もしなかったし、石はなにも構わなかった。ラベルに「カンラン石」と書かれても不満はないし、ハンナ教授に好かれようが浮かれる事はないし、もし研究のためにその身を打ち砕かれても、本当になにもかも構わなかった。
意味や価値はどこからか与えられて、それも、当の本人にはひとつも知らされないまま。
石と同じかもしれないな。
ドッグ・タンもボクと同じだろ?
フィールドワーカーの目はそう言っていたが、口に出しはしなかった。黙ったままうつむいて、無意味に土塊をいじくっていた。
ボクがカンラン石だったら、ボクが蛇紋石だったら、透明できれいな石だったら、ハンナ教授に好いてもらえるのにな…
あんまりバカなこと言うと、喰ってやるぞ。
家に着いても気分が沈んだっきりのフィールドワーカーに、やれやれ、とドッグ・タンが提案をしてやった。
まったく、複雑で単純な竜の子だ。
…明日、ハンナ教授に、透明できれいな石は好きかと聞いて、とっておきの透明できれいな石をあげるといい。きっと彼女は気にってくれるし、資料標本を置いてある棚とは別の場所に、大事に飾ってくれる。
途端にもう、明日が楽しみだという顔をしてフィールドワーカーはさっさと寝床へ入っていった。
それで構わない。寝て覚めれば、昨日考えた意味や価値などすっかり忘れてしまうだろう。
どうしても、うまく言葉では教えてやれない事もある。添えられたラベルには書かれていなくても。
To be continued