『蒼星』と呼ばれる双子地球から母船へと帰投して、カナタは何事も無かったかのようにブリッジに顔を出して、そして報告書を作成しようとしていた。
そんなカナタの元にオペレーターをしていたリンが、どこか怒っているような態度で荒っぽく歩いてこようとする。

しかし、その前にカナタの前に立ったのはグレイグであった。
今日の彼は酒臭くなかった。
感情を押し殺したような表情でグレイグはカナタを見つめると口を開く。

無事、帰投出来て良かった。君なら当たり前と思うかもしれないが、とにかくよくやってくれた。長時間の任務だった。休息を取ってからでも構わないぞ?

カナタはグレイグのその言葉にどこかよそよそしさを感じるのだった。本気でこの人は今、自分を気遣ってくれているのでは無いと分かる。話すきっかけが欲しかったのだろう。

健康状態、精神状態、共に問題ないです。ご命令とあれば休息もとりますが

極めて事務的な口調でカナタは返答した。グレイグの後ろからリンがこのやり取りを真剣な眼差しで見守っていた。

命令とかそういうんじゃないんだ。近々、またあの星に降りてもらうことになるからな

カナタはしばらくどういう理由で降下させられるのかを考えて、見当が付かなかったが返事をする。

データ収集のためだ。再度、あの星に出向いて我々の母艦へと持ち帰るものを手に入れてきて欲しい

大尉。あの星……蒼星のデータならば、この時点で必要なものは全て揃えてあります。昼夜の気温差、四季の存在、そして文化の差異、極めて似た文化を持っていますが、彼らと我々では根底から異なる部分が

君らしくもない。冷静になれ。求めているものがまだ存在する、という意味だ。蒼星と言ったか、この星を魅力的に母艦に報告するためにはレポートや各種データのみでは不十分なのだ。俺も君もこの大発見を他人に横取りされたくはないだろう? だから、詳しければ詳しいほど有利だとは思わないか

仰る通りで

そうだ。なので、君があの星で接触したという少女、報告書にはハルと書かれてたあの子をサンプルとして持ち帰りたい。もちろんサンプリング対象として処理したい

その言葉の意味を理解出来ていた。カナタは動揺を体のどこにも出さないように無理をしているようだった。直立したまま何回か瞬きをしている。

サンプリング対象として処理。

それは、鉱石であるならば保存容器を該当する星の温度で保って入れておき、草花であれば冷凍保存して持ち帰り、生き物であるのならば生命活動を止めて標本のようにして回収することであった。
集められたそれらは母艦に運ばれ、そして地球近くの実験コロニーに運搬されて研究されるとカナタは聞いたことがあった。つまり、どうあってもサンプルは死ぬのである。

カナタへのグレイグからの命令は『ハルを殺してここまで持ってこい』ということであった。
返事が遅くなったことに対して彼は顔をにやつかせながら指摘してくる。

情でもわいたか? 無理もない。相手は人間と同じ格好をしており、文化も同じなのだ。これは全く当然のケースと考えよう。ならば、ここからはリンに任せるということになるが

いえ、地理に詳しいのはこちらの方です。それに顔見知りである自分の方が適任でありましょう

素っ気ないふりをしてカナタは任務を引き受ける。
その返事に安堵したような表情を浮かべたグレイグは、詳しい作戦の内容を検討するためにカナタを伴って作戦会議室へと向かうのだった。

一通り、ハルをサンプリング対象として持ち帰るための手順について話し合いがされた。訓練では何度か経験していたが、これまで生物の居る惑星を発見した事例がSETI計画内でも少ないので何が起こるか分からない。様々なケースを想定し、その考え得るあらゆる事態に対応出来るように打ち合わせをした後、カナタは一人、シーベックを格納してある区画へと向かうのだった。そんなカナタをグレッグは軽く声で引き留める。

整備ならリンに任せることもできる。疲れているだろう? 肉体をSETI計画に最適化してあるとはいえ、精神面での休息は能率を上げるはずだ。無意味とは思わんが

カナタは多くを語らなかった。断る理由は無かったのだが、断らない理由を説明するのも面倒だったからだ。自分にもよく分かっていない。

消耗箇所の把握は自分がしています。オペレーターは彼女でしたが、運転している者が一番状態を知っていますからね

そう答えて格納区画へと足を踏み入れると、そこは既に電気が点いているのに気がついた。誰かがここに来ているらしい。カナタはシーベックの周りをゆっくりと回ってその影を確かめる。

バーニアもスラスターも焦げ付き無し。カバーにも熱を込めてないので焦げてもいないわね。さすがはエース様といったところかしらね

シーベックの周囲を歩きながら手で触れ、からかうように笑うリンがそこに居た。

あの子、殺すわけ?

足を止めてリンが唐突に残酷な笑みを浮かべた。反応するようにカナタも立ち止まって口を閉ざす。

私がやってあげても良いんだけど? 私は別にハルに対してどんな感情も持ってないし、蒼星について羨ましいとも思ってないし、SETI計画によっていじられたこの体も嫌いじゃない

お前……

冷静でいようとしていたカナタだがリンの言葉に驚きと呆れを覚えて、つい声を大きくしてしまった。

通信機を起動させていたのか。こちらから捜索してピンポイントでレーザー受信してたといった所だろうが、そこまでして何の意味があった? 俺の弱みでも握りたかったか

リンがやったのは、こちらからレーザー送信をしなかったので、この衛星軌道上の母船から受信用のレーザーを地表に向けて放ち、カナタが着ていたスーツに当てて音波を受信したことだ。船の望遠設備を使ってもカナタたちの姿は立って眺めた地上のアリほどの大きさだ。そこにピンポイントでレーザーを当て続けることを考えると、カナタはゾッとする。

あんたがどうしてここまで脇目も振らずに人間の機能を捨てて宇宙に出て計画に参加したがってたのか、良く分かった。でも、私はそれを知ってどうこうしようって訳じゃない。ただ、自分の中で納得したかっただけ。あんたがどうしてそこまでできるのかってこと

知ったから何だって言うんだ。君に何の利益がある?

そう答えるとリンは失望したように額に手を当ててから早口になった。

分からないなら分からないでいい。むしろ、もう分かってくれるな

人の事は散々盗み聞きをしておいてか?

うるさいっての。第一、教科書に載るほどの栄光を手にするにもかかわらず、それについて無関心だったやつが、どうして最初の時にハルを撃てなかったのよ。その時点で気づくべきだったわね

あれは……

一つの事実を述べるわ。もし私たちが母艦に蒼星の情報を持って帰ったら、すぐさまここには軍隊がやって来る。何せこの星には軍備がない。攻め込まない理由がある? そうするとどうなるか

リンの言葉を聞いてカナタは想像してみた。
意気揚々と乗り込んでくる飛行機の群れ。そして、大地を蹂躙する戦車に多くの歩兵。抵抗する市民を撃ち殺し、街には悲鳴と怒声しか聞こえなくなる。激しい戦いになるだろう。各国がこぞって軍隊を派遣するに決まっている。何故なら、完全に蒼星を支配するのは『早い者勝ち』のルールだからだ。乗り遅れれば、それだけその国は他国に対して宇宙開発について後れを取ることになる。

それで本当に良いのかしら? それとも、味覚を捨てて教科書に載る人間になってみる? これから

……ごめんだ

カナタは拳を強く握り、ハルの言葉を思い出しながら俯いている。あの子はずっと待ち続けていたのだ。それがこんな争いと略奪の未来だなんて耐えられない。SETI計画でいくら体を捨てても、どれだけの名誉を受けても、これからのカナタの人生に埋めようのない大きな穴が出来てしまうことは確実だった。
けれど、自分の考えが完全に正しいという確証も持てない。
目を閉じていれば自分にはどんな危害も加わらないのだ。これから耳を塞いで生きていけば、自分は生涯誰からも尊敬されるような立場を失わないし、もしかしたらもう宇宙に出なくて良くなるかもしれない。
地球にまた閉じこもることになる。

カナタはその時の自分の気持ちがじわじわと理解出来るようになってきた。きっと、そんな事態になったら、また自分は理想の星を目指して宇宙に上がろうとするだろう。そうなれば……同じ事の繰り返した。
後悔はできない。

盗聴したことは許さない。だが、道を拓いてくれたことには感謝したい。味覚は捨てずに済みそうだ

いつの間にか私を巻き込むなっての。これから私はね、教科書に載る人間を目指すのよ。あんたとは正反対。だから、別にあんたには何もしないし、未練なんかもこれっぽっちも無いんだから

未練?

もうさっさと行動するっ! いちいち、意味を深く取るなっての!

一喝されてカナタは動き始めた。まずはブリッジに向かわなくてはならない。格納庫を後にする際、一瞬だけ見えたリンの表情は暗かったが、どこか吹っ切れたような顔をしていた。

ブリッジにはグレイグが居たのでしばらくカナタはそこで書類を作るふりをしており、彼が軽く休憩を取ると告げて一人になると行動を開始した。まず、現在位置のデータを改ざんし、それが保存してあったファイルを一つだけ母艦に送信しておく。これでもうこの船は母艦に帰る以外のエネルギーを残さないことになる。
さらに、カナタが先日書き留めた蒼星の気象データや森林のデータをためらわずに抹消した。
これで完全にこの船は、この宙域を離れてしまえば、半永久的にこの場所に戻って来られなくなるだろう。三つの作戦の内、一つが片付いた。

二つ目はこの船を動かして宙域から離れさせてしまうことだ。グレイグがいつも座っている場所にやって行くと、船を数時間後に自動発進させるように設定をした。行き先はこの船の母艦がある辺りにしておく。
手際よく二つを片付けてしまうと、最後の一つのために、カナタはブリッジを離れる。

そして、頭の中で自分が今、何をやっているのかを自覚する。同時にこれまで何をしてきたのかをしっかりと思い出していた。

気持ちの整理をして格納庫へと向かうと、使おうと思っていたシーベックがリンの手で整備されていた。彼女はどこか他に不備がないか調べるように、しゃがんだり背伸びをしたりしながら機体を見直していた。

すまない。全て任せてしまって

そう伝えるとリンはまるで礼の言葉など聞こえなかったかのように、確認事項をカナタに伝え始めるのだった。スラスターの噴射口の初期角度設定、そして前回の着地の時に破損したパーツの交換状況。彼女はまるで、プライベートの話をするのをひたすら怖がっているように振る舞っていた。
全てが終わり、お互いに沈黙すると、カナタの方から言葉が出る。

最後に残したいものがある。五分ほどで済むと思う。ここで待っていてくれないか。君に残したい

有無を言わせずにそのままカナタはシーベックに乗り込むと、ハッチを閉めて前面のガラスを暗くし、手元の操作盤をゆっくりといじり始める。この機能とは、自分は生涯無縁だと思っていたのだけれどな、とカナタは苦笑いをする。

準備が整うと、カイルは一寸目を閉じてから、饒舌に話し始めた。
これはシーベックに搭載されている、ビデオメッセージ機能だった。主に飛行中に復帰が不可能な状況になった際、遺書のような役割を果たすものだった。これまでカナタは幾度となく他人の最後の声を目にしてきたし、その度に『自分はこんなものを使わずに死んでいく』と覚悟を決めていた。

だから、カナタは自分がこのような形でこの機能を使っていることに、笑みさえ浮かぶほどの愉快さを覚えていた。

最初に、この行動は全て私、カナタ搭乗員の独断によるものであることをここに証言します。誰の命令でも、そして誰に助けられた訳でもなく、ただ私一人の意思で行われたことです

一通り、リンやグレッグの身の安全を保証するような言明をしておく。これがビデオメッセージの第一の目的である。
そして、それが終わると、間を置いて第二の目的のためにカナタは話し始める。穏やかで何もかもから解放されたような表情に自然と導かれていく。

私は今、出会うべき星に出会い、そして出会うべき人に出会えました。心から嬉しかった。その態度が嫉妬から生まれるもので表わされていたにしても、心の深いところではきっと、計り知れないほどの喜びと共にあったことでしょう

カナタは照れくさそうにシーベックの操作盤の縁を指でなぞって、次に言うべき言葉を探している。

ただし、この星はまだ未熟です。我々の文明から比べればまだ赤ん坊のような状態なのです。市民はろくな望遠鏡すらなく、宇宙についての知識もあまりに乏しいのです。なので、せめて、それが熟成するまで……それまで、私は彼らを守ってやらねばなりません。大人になるまで付いていてやらねばならぬのです。これが今回、私がこの船から脱走した主な理由です

まだ話し足りない気もするが、あまり時間をかけすぎると仮眠に入ったグレッグが起きてきて、計画がふいにならないとも限らない。次で最後にすると決めてメッセージを結ぶことにした。

いつかこの星が人類と遭遇する日が来るでしょう。その時、私の取った行為が正しかったのか間違っていたのか、分かると思います。しかし、そのどちらにあっても私は後悔をしません。心はとても今晴れやかです。それでは、別れの時が来ました。では

急ぐように言い放つと録画モードを切り、それから手際よくパネルを操作して足下の機械板の間からディスクを取り出した。ここにこれまでのビデオメッセージが収められている。

カナタはシーベックのハッチを開くと、心配そうな顔をしていたリンに笑顔でそれを手渡した。何も言わずとも彼女は分かっていたようだった。大事に胸元に抱えて頷く。
それからリンに別れの言葉を簡単に述べ、カナタはシーベックを発進体勢にセッティングした。
ためらいなくリンはブリッジの方へと走って行き、そして格納庫を開いてくれる。目の前に蒼星の青さが広がっていた。

一つ呼吸をしてから、カナタはシーベックを宇宙空間へと放り出した。
最初はジェット推進を使わずに、無重力空間の中で翻弄されるように回転を続けていたが、スラスターが細やかに作動して、徐々にシーベックの姿勢が安定してくる。目的を見定めた船はもう道を誤ることはない。
引力によってカナタの乗るシーベックは蒼い星へと落ちていく。

END

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