仕事を終え、満員電車に揺られながら家へと向かう。

ありきたりで、平凡な一日の終わりは、たいていがその繰り返しだ。

色々と普通でない事態に巻き込まれから約1年。

そしてOLに戻って約半年。

ラッシュにもまれる日々にもようやく慣れてきた今日この頃だが、実を言えばまだ『普通でない』ことは続いている。

その一つが、鞄の中で震えだしたこの携帯電話だ。

サキ

あ、また……

もう2年ほど使っている私の携帯は、さして珍しくもない林檎のマークが掘られたスマートフォン。

その画面には、トークアプリの通知が表示され、見ればこの数分間で届いた通知は15もある。

サキ

これは、またいつもの催促かな……

ゲンナリしながら開いたトークアプリは、『勇』という文字がやたらと主張するアイコンで、良くある既製のものとは少し違う。

それは私がダウンロードした物ではないし、いつホーム画面の一角に現れたかも定かではない。

だがある日突然現れたそのアプリは、平穏な日常のなかにそぐわぬ、少しだけいびつな存在だ。

大きく息を吐き、意を決して『勇者グループ5』と名付けられたグループトーク画面を開く。

そのとたん、脳裏に浮かんだのは不機嫌を絵に描いたような表情でこちらをにらむ美少年達の顔だ。

ルース

おそい!おそいおそいおそい

レン

遅すぎです。今、どこにいるんですか?

ナミナ

サキ~、アタシおなか空いちゃったぁ

どこって仕事だと脳内で返事をしたが、あちらの声は聞こえてもこちらの言葉は届かない。

仕方なく、少しおっくうな気持ちで、携帯に文字を打ち込む。

サキ

少し残業してきただけよ。それに遅れるって言っても1時間くらいじゃない

ルース

だったら連絡くらいよこせ!

ルース

この俺を1時間も待たせるなんて、俺の国では死罪にあたるぞ!

サキ

あんたの国にだけは絶対行きたくないわ

心の底からの想いをうっかり打ち込めば、言葉のない……しかし怒気を含んだ

ルース

……

という主張が返ってくる。

サキ

そろそろ来てくれないかしら……

悪くなるばかりの空気に、思い浮かべたのは一人の男の顔。

『彼』さえきてくれれば場を納めてくれるのだが、今日は顔が見えない。

それでも彼の来訪を願い続けていると、頭に浮かんだその顔が、突如として、しわまみれの老人の物へと変化した。

ジイジ

サキさん、朝ご飯はまだかのぅ

のんきな笑顔と声に、思わず脱力する。

ナミナ

ジイジ、朝ご飯はもう食べたでしょ?

レン

それを言うなら夕飯だと思います

ルース

ジジイだって腹空かせて待ってんだぞ!
早く帰ってこいサキ!

色々つっこみたいところはあるが、それに追いつかぬ速度で彼らの声と表情が流れていく。

スマホの打ち込みがそれほど早くない私としてはつらい速度だが、彼らは待ってはくれない。

テオ

おまえら、少し落ち着けよ

来てほしいと、思っていた『彼』が間にはいってくれたのは、そんなときだ。

ルース

ちっ、今日も『テオ』はこいつの見方かよ……

テオ

別にそういうつもりじゃないよ『ルース』

テオ

ただ、そんなに勢いよくまくし立てても何もならないだろう?

ナミナ

確かにまあその通りよね

ナミナ

私がいくら文句言っても、サキちゃんの都合は変えられないし

ルース

だとしても、ある意味で俺たちは『同居人』なんだ

ルース

それなりの連絡はすべきだろう

サキ

たしかにまあ、言われてみるとその通りかもしれない。

サキ

ごめん、なるべく早く帰るから

ルース

あと、今日はうまいモン買ってこい

ルース

いまからかえって作るんじゃ、時間かかるからな

テオ

またそうやってわがままを……

レン

あ、僕フライドチキンがいいです

ナミナ

アタシはトマトソースのパスタがいいかなぁ

テオ

レンとナミナまで……

ジイジ

ルース

肉だ、肉を食わせろ!

テオ

……だれもきいてねぇな

サキ

いいよ。今日は奮発して買ってくる

テオ

いいのか?

サキ

うん、テオは何が食べたい?

ジイジ

サキ

おにぎり作るから心配しないで

ジイジ

うむ

テオ

じゃあ俺もそれでいいよ

サキ

遠慮しなくていいのに

テオ

サキの握るおにぎり、好きだから

ナミナ

あらやだ、さらっとイケメン発言

レン

こういうところが、ルースとテオさんの差ですよね

ルース

なんでそこで俺を引き合いに出す

レン

だってふたりとも、さきさあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

サキ

えっ、なに!?

レン

すみません、突然ナミナさんに邪魔されて

ナミナ

うふふふ、気にしないで~

ナミナ

それよりパスタ、たのしみにしてる☆

それ以上は詮索するなと言いたげな声に、私は言葉を飲み込む。

サキ

じゃあ、駅着いたからアプリ落とすね

テオ

ああ、気をつけて

サキ

なるべく早く帰るから

文字を打ち終えると同時に、スマホの画面をホーム画面へと戻す。

とたんに騒々しさは嘘のように消え去り、目に映るのは電車の窓ガラスに映る自分の顔だけだ。

サキ

我ながら、変なことになってるよなぁ……

見ただけで声はもちろん表情さえ頭に浮かぶトークアプリ(勇)

摩訶不思議なそのアプリは正式名称を『勇者LINK』と言うらしい。

『勇者LINK』とはその名の通り、ある世界で『勇者』と呼ばれた人々だけが登録、使用できる外部との連絡ツールなのだ。

それがなぜだか私の携帯にぽろっとインストールされているのかはわからない。

けれど約10ヶ月前から、私はこのアプリを使って、遠い世界にいる『勇者達』と会話をする羽目になっているのだった。

01:勇者様とトークアプリ

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