第6話 守られて溺愛
第6話 守られて溺愛
八木さんとのデートから帰る途中の電車で、三田先輩からラインの通知が届いた。
デートどうだった?
今日はもういっこサプライズがあるかもね。恋愛経験値上げるチャンス☆
……??何言ってるんだろう三田先輩。サプライズ?経験値を上げるチャンス?一体なんの事だろ。
不思議に思って『なんの事ですか?』と返したけれど返事は無く。謎に首を傾げたまま、電車は最寄り駅へと着いた。
なんか……ちょっと疲れちゃった
通いなれた自宅近くの駅に着いてホッと安堵する。初めてのデートでずっと緊張していたからか、見慣れた景色がなんだか安心した。そんな風に肩の力を抜いて歩き出そうとした時だった。
「狭山!」
まさか、こんな所で聞ける筈の無い声に呼びかけられて、私は耳を疑いながらキョロキョロと辺りを見回した。すると。
……狭山。待ってた
と、常盤主任!?
一体どういう事だろう。私の目の錯覚でなければ、仕事後と思わしきスーツ姿の常盤主任がこちらへ向かって歩いて来るではないか。
あまりに信じられない事態に目を真ん丸くして驚いていると、私の前まで来て足を止めた主任が、どこか気恥ずかしそうに口を開いた。
……その……三田に聞いたんだ。今日、狭山がデートだって
ええっ!?
今度は耳を疑う。そういえばこないだの給湯室で『デートなんか行くな』とか何とか言われた気がする。あの時はその場を離れる事に必死だったから気に止めてなかったけど……まさか、言う事を聞かなかった私をお説教しにここまで来たとか!?
もう!どんだけ過保護で過干渉でおせっかいなのよ!!
主任と対峙する私の顔がむくれて、思わず頬を膨らます。けれど。
――そのおせっかいが、安心する。
常盤主任に対する恋心に気付いてしまった私の口からは、もう『放っておいて下さい』の台詞は出てこなかった。代わりに。
本当に過保護ですね、常盤主任は。でも、心配してくれる気持ちは嬉しいです。ありがとうございます
素直に出たお礼の言葉に、今度は彼の方が目を丸くする。けれど、伝えたいのはお礼だけじゃないから。主任にはもっと驚いてもらおうと思う。
私、やっぱり未熟者です。デートも上手くいかなかった。相手の人に申し訳ない事しちゃった。でも……ちょっとだけ成長もしたんです
成長?
はい。やっと自分の本当の気持ちに気付けたって言うか……とにかく、少しだけ大人になれたんです
私の言葉に常盤主任は不思議そうな顔をしている。
出来れば、今日気付いたこの恋心を伝えてしまいたい。そんな逸る気持ちもあるけれど。その前に今の私と主任との関係を変える方がきっと先決だと思い、私はその想いを伝えた。
主任、見てて下さい。今はまだまだ手の掛かる子供みたいな狭山なつめですけど、もっと成長していつか一人前になって見せますから。だから、その時は……私を子供扱いしないで、ひとりの女として見て下さい
口に出して改めて気が付く。
私は主任の過保護がイヤだったんじゃない。子供扱いされることが、同じ目線で女として見てもらえない事が辛かったんだって。
いつから恋をしていたかなんて分からない。もしかしたら新人研修の日、池に落ちる私を助けようとしてくれた時から、もう心は動いてたのかもしれない。
危険も省みず私を助けてくれたあの姿に。
やっと自分の気持ちに気がついて、やっと本当に伝えたかった事が口に出来たことで、私は心の底から嬉しくなって自然と顔が綻んだ。
主任をまっすぐに見つめ、ふっと微笑んだその時。
……本当に……お前は手の掛かるやつだ
しゅ、主任!?
常盤主任の腕がまっすぐ伸びてきて私を固く抱きしめた。
ぎゅっと力を籠め胸板に押し付けるように抱き寄せられる私の身体。隙間の無いふたりの距離に彼の体温を感じて、鼓動が急加速する。
なのに、主任は抱きしめた私の耳元に口を寄せると、ますます心拍数を上げるような事を囁いてきた。
俺はお前を子ども扱いした事なんか1度も無い。ずっと女として……放っておけないほど大切な女として扱ってきたつもりだ
……え。え?え?え??それって……?
……本当に世話がやけるな
主任はそう言っていったん身体を離すと、真っ赤になっている私の頬を大きな手で撫でるように包んだ。そして――
好きだ。狭山
その台詞と共に、私の唇に自分の唇を重ねた。
少しだけ強引な、けれど柔らかなキス。頬に触れる手から、唇から、常盤主任の熱を感じて私の心と身体も熱くなる。
……ああ、これが好きな人とするキスなんだ。これが恋なんだ。
ドキドキとうるさすぎる胸の奥に感じた事の無い幸福感を見つける。甘くて、でもどこか切なくて、とろけてしまうような。
やがて、ゆっくりと顔を離すと常盤主任は私の目をジッと見つめて
お前がいくら鈍感でもこれなら伝わっただろう、俺の気持ちが
どこか照れくさそうに、ちょっと意地悪そうに笑って言った。
つ、伝わっちゃいました。でも鈍感って、ヒドイ
いいや、お前は鈍感だ。2回もキスされそうになったのに俺の気持ちが分からないとか、鈍感にもほどがある。けど、そんなお前だからますます放っておけない
少し拗ねてしまった私に、主任は可笑しそうにクスリと肩を竦めると、もう1度チュッと音をたてて軽いキスをしてきた。
駅からの帰り道、家まで送ってくれると申し出た主任と一緒に肩を並べて歩いた。
今までより近くなったような距離が、なんだか嬉しくてくすぐったくてムズムズする。
で?デートとやらはどうだったんだ?失敗したと言ってたが、まさか何かされたんじゃあるまいな
そ、それを聞きますか。えーと……まあその、ひとつの人生経験をしたと言いますか。あ、でも、勉強になった事もたくさんありました!例えば~男の人は名前で呼ばれると嬉しいとか!あ、主任の事も“和海さん”って呼んだ方がいいですか?
タッチの差で先に八木さんに唇を奪われてしまった事がちょっと気まずくて、焦って饒舌に喋ってしまった。
けれど、私のどさくさの提案に主任はいつも冷静な顔を赤らめてあからさまに動揺する。
お前……急に名前で呼ぶとか反則だろ……。しかも他の男に教わった事とか、俺を妬かせたいのか?
へ?すみません、私何か失敗してます?
俺を煽ってる自覚がないのなら失敗だな
そう言うと、主任は突然私の腰を強く抱き寄せ捕まえるようにキスをした。いきなりの強引な行動に、驚いて目を閉じるのも忘れてしまう。
本当にお前は手が掛かる。まだまだこれからも教えてやらないといけない事が多そうだ
悪戯っぽく私の唇を舐め上げたあとそんな事を言って微笑んだ主任に、私は真っ赤な顔をすると
よろしくお願いします……
と消え入りそうな声で返した。
それから。
両思いの恋人になってからも、やっぱり常盤主任は相変わらずの過保護でおせっかい。ううん、以前よりさらに磨きがかかった様な気がする。
狭山、よそ見をしながら歩くんじゃない。ぶつかるぞ
大丈夫ですって
狭山はいつもココアを飲んでるな。糖分の取りすぎじゃないか
そ、そんな事ないです!
ん?手をすりむいてるじゃないか。また何処かにぶつけたのか?ほら、絆創膏を貼ってやる
これぐらい平気ですー!
仕事中も、休憩中も、ふたりきりの時だって。和海さんはいつも私のおせっかいばっかり。
けれど、これは子ども扱いじゃなく“特別な女の子扱い”なんだって分かってるから。口では強がってても私は嬉しくてしょうがないの。
それに、付き合って気が付いた。
インフォメーションボードが更新してないぞ。今日はお前の担当だろう、なつめ……
……っと……さ、狭山
あ~聞いちゃった。常盤主任ってば“なつめ”だって!
和海さんも意外とおっちょこちょいみたい。こんな風に時々可愛いウッカリをして、運悪く三田先輩に見つかってはからかわれたりしてる。
周囲には秘密のオフィスラブだけど、以前から薄々私と常盤主任の気持ちに勘付いていた三田先輩には、ふたりが付き合いだした事もあっさりバレてしまった。さすが女子力ハイレベル。
そんな三田先輩曰く。
男には大切な人を守りたい庇護欲ってものがあるの。つまり、常盤主任の過保護はなつめちゃんに対する最大の愛情表現よね
って事なんだって。難しくてよく分かんないけど、そーいうものなのかな?
なにはともあれ――
狭山、走るんじゃない。転ぶぞ
大丈夫ですって!って、わあ!!
ほら言わんこっちゃない!
間一髪、転びそうだった所を過保護な恋人の腕に抱えられて、私は安堵の溜息を吐くと同時にニコリと微笑んだ。
常盤主任が助けてくれるなら、おっちょこちょいも悪くないですね
――和海さんの愛がいっぱいに感じられるなら、過保護もおっちょこちょいも悪くないな。
なんて思う、幸せな私なのでした。
【おわり】